1. まとめトップ

ど根性ガエルの舞台になった石神井に作者の吉沢やすみさんはずっと住んでいる。

ど根性ガエルの舞台になった石神井には、高校(山梨県立日川高校)卒業後、漫画家になるために上京して以来、ずっと住んでます。吉沢さんは「少年ジャンプ」の草創期を支えた漫画家・貝塚ひろしのアシスタントを経て、70年、「ど根性ガエル」でデビューした。

更新日: 2015年03月01日

0 お気に入り 5534 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

july701さん

「ど根性ガエル」作者の吉沢やすみさん 今は「遊び人とみられて…」

日刊ゲンダイ 3月1日(日)9時26分配信

70年代に漫画とテレビアニメで大人気だった「ど根性ガエル」。主役は中学生のシャツに張り付いた“平面ガエル”のピョン吉という実に斬新な設定だった。描いたのは漫画家の吉沢やすみさん(65)。

それ以降はほとんど作品を目にしない。今どうしているのか。

「今はほとんど漫画は描いてなくて、ど根性ガエルのキャラクター版権で食べてる感じですね。小学1年生の男の子の孫の世話をし、漫画家になって覚えた趣味の麻雀を週3、4日、地元石神井の雀荘で昼の12時から夜6時くらいまでやる。世間には“遊び人”とみられてるようです、ハハハ」

 新宿御苑に近い漫画の版権を管理する事務所で会った吉沢さん、こういって苦笑した。

「ど根性ガエルの舞台になった石神井には、高校(山梨県立日川高校)卒業後、漫画家になるために上京して以来、ずっと住んでます。子供が2人いるんですが、孫がいる長男(39)夫婦と同居し、長女(40)夫婦も歩いて10分くらいのところに住んでる。ウチは女房が看護師の資格を持ってて、長男はレントゲン技師、その嫁は臨床検査技師。また、長女夫婦は2人とも漫画家で、見事にボクと女房の系統に分かれてるんです」

 吉沢さんは「少年ジャンプ」の草創期を支えた漫画家・貝塚ひろしのアシスタントを経て、70年、「ど根性ガエル」でデビューした。

■その後はガードマンや駅掃除をした時期も

「最初は読み切りの一作だったんです。でも、少年ジャンプの読者の人気投票でいきなり3位になって。1位が『男一匹ガキ大将』、2位が『ハレンチ学園』の時代です。で、3位だった『ど根性ガエル』はすぐに連載が決定しました」

 結局、連載は6年半続き、72年にはアニメ化された。

「連載6週目ごろからは人気が下降し、打ち切りにしようか、って話が出てたそうなんです。ボクは何も知らず、8週目くらいに当時、ボクが大好きだった吉沢京子さんを頭に描いて〈京子ちゃん〉って新しいキャラクターを登場させたところ、人気がじわじわ再燃してきた。ホント、これがなかったら、『ど根性ガエル』は終わったかもしれない。今にして思うと、ゾッとしますね」

 もっとも、その後は「ど根性ガエル」を超える作品に恵まれず、漫画から遠ざかり、デパートのガードマンや駅掃除をして糊口をしのいでいた時期もあった。

「女房も看護師に戻り、支えてくれました。だから、今もまったく頭が上がりません、ハハハ」

「あと、ピョン吉が助けてくれました。93年、フジテレビの人気ドラマ『ひとつ屋根の下』で江口洋介さんがピョン吉が描かれたTシャツを着てくれたおかげで『ど根性ガエル』が再注目され、以後、パチンコ台やパチスロ台のキャラクターになったり、大鵬薬品の『ソルマック』のCMに起用されたり、ユニクロのTシャツになって世界中で売れたり。アニメも今も日本のどこかで放送されてますしね。ピョン吉のような孝行息子はちょっといないでしょう」

 もっとも、痛い目にも遭った。

「アニメ化されて5、6年は4000万~5000万円、稼ぎましたか。でも、その後、ずさんだった税理士のおかげで税務署の査察が入り、1000万円以上の追徴金を課せられたんです。自宅だけを残して仕事場だったマンションを売り払い、貯金をはたいてどうにかまかないました。査察が入るなら、稼いでる時にしてくれって言いたいですよ。30坪の自宅が残っただけでもマシですが、それ以降、おカネの管理は税理士任せにはせず、わからないことは税務署に相談してやってます」

 山梨県観光大使を務めている。

「ど根性ガエル」について

「ど根性ガエル」とは、1970年代に『週刊少年ジャンプ』にて連載されていた漫画のタイトルである。作者は吉沢やすみ。連載中の1972年にアニメ化され、連載終了後の1981年に「新・ど根性ガエル」として二度目のアニメ化がされた。

なお、アニメ版は2012年になってニコニコ動画で有料配信が開始され(1話のみ無料)、TMSエンタテイメントの提供によりムービースクエアで見る事が出来る。また、3月22日以降はニコニコアニメ名作劇場で1日当たり2話ずつ放映している。

1980年代には徳間書店の『わんぱっくコミック』という雑誌(現在は休刊)に再掲載されており、その際に一部のコマが描き直されている

『ど根性ガエル』(どこんじょうガエル)は、吉沢やすみによる日本の漫画作品、またはそれを原作としたアニメ作品である。

漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて、1970年7月27日号から1976年6月14日号まで連載された。単行本はジャンプコミックス 全27巻、集英社漫画文庫 5巻(未完)、集英社文庫コミック版 全2巻、わんぱっくコミックス 全8巻。わんぱっくコミックス版は『スーパーど根性ガエル』の題名で『わんぱっくコミック』(徳間書店)に再掲載されたものを収録。当時の流行などについて、一部の絵が修正されている。また、ジャンプコミックス版 全27巻がコミックパークより復刻されている。アニメはタイ、香港、アルゼンチン、チリなどでも放映された。

概要

カエルのピョン吉が公園(東京都練馬区の石神井公園がモデル[1][2])にほど近い原っぱにいたところに、地元の中学生ひろしが小石につまずき倒れ込んで来て潰されてしまうが、なぜかピョン吉はひろしのシャツに張り付き、「平面ガエル」として生きていくことになる。

東京の郊外を舞台に、ひろしのガールフレンド京子、教師生活25年の町田先生、美人教師のヨシ子先生、寿司屋の職人・梅さんらがドタバタ劇を繰り広げるギャグ漫画である。

漫画家の吉沢やすみさんについて

吉沢 やすみ(よしざわ やすみ、1950年1月8日[1] - )は、日本の男性[1]漫画家。実業家。本名は吉沢 保己[1](よしざわ やすみ)。

概要

山梨県出身、山梨県立日川高等学校卒業[1]、一年後輩に元全日本プロレスのジャンボ鶴田がいる。東京都練馬区石神井町在住[2]。

1970年、『週刊少年ジャンプ』17号にて『ど根性ガエル』(吉沢 保己名義)でデビュー。その後すぐに同タイトルの作品を連載し、後に2度のアニメ化を果たすなど、当時のジャンプを支える人気作となった。

『ど根性ガエル』のヒットにより23歳で一戸建ての家を建てた[2]。しかしながらその後はヒット作に恵まれず低迷が続いた。プレッシャーやスランプのあまり1978年の秋には一ヶ月間も失踪するまでに追い詰められ、漫画家として生活するのが難しくなったため、警備員や清掃業者として働いた経験も持つ[3]。しかし、その後『ど根性ガエル』の再ヒットなどにより主にキャラクター版権による収入が確保されたおかげで、現在は経済的には安定[2]。それゆえ仕事をせずに、好きな麻雀三昧の日々を送っており[2]、2010年11月1日に行われた竹書房麻雀大会では2位を獲得した[4]。

家族

漫画家・イラストレーターの大月悠祐子(かなん)は長女[2]。かなんの夫である大井昌和も漫画家である[2]。

1 2