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未成年だが死刑判決が確定した死刑囚まとめ

未成年だが死刑判決が確定した死刑囚をまとめ。少年法では、満20歳までの触法少年に対する処遇が定められているが、犯行時18歳以上の場合、死刑事犯の犯罪を犯した被疑者に対して死刑判決を言い渡すことが可能である。

更新日: 2016年06月16日

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win-winさん

少年死刑囚

少年死刑囚(しょうねんしけいしゅう)とは未成年の時期に死刑事犯の犯罪を犯したとして死刑判決が確定した死刑囚のこと。

少年法では、満20歳までの触法少年に対する処遇が定められているが、犯行時18歳以上の場合、死刑事犯の犯罪を犯した被疑者に対して死刑判決を言い渡すことが可能である。

戦後日本では、未成年死刑判決が確定した死刑囚は42人いると確認されている。

ただし全員が執行されたわけではなく、未執行の者も多い。旧少年法(1922年制定)の規定により17歳未満の犯行で死刑判決が確定した少年死刑囚3人については、現在の少年法が1948年に制定された際に、個別恩赦されている。ほか、サンフランシスコ平和条約締結に際して政令恩赦された者が2人、反省悔悟の情の深さを理由に個別恩赦された者が1人いる。また、死刑判決を受けたが再審無罪になった者が1人いる。全員が男性であり、女性の少年死刑囚は戦後2014年現在まで確認されていない。

報道については、死刑確定判決によって少年が社会復帰する見込みがほぼなくなったことで、これまでの匿名報道から実名報道に切り替えることが多いが、新聞社や放送局によって判断が分かれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A

石巻3人殺傷事件

石巻3人殺傷事件
【事件発生日】2010年2月10日
【死刑確定日】2016年6月16日
【被害者数】3人
【備考】-

石巻3人殺傷事件(いしのまきさんにんさっしょうじけん)は、2010年2月10日に宮城県石巻市で、少年が元交際相手の少女を巡り、少女の親族・知人3人を殺傷した事件。尚主犯の少年は死刑が確定している。

http://matome.naver.jp/odai/2142536702172647801

光市母子殺害事件

光市母子殺害事件
【事件発生日】1999年4月14日
【死刑確定日】2012年2月20日
【被害者数】2人
【備考】広島拘置所収容中

光市母子殺害事件(ひかりしぼしさつがいじけん)とは、1999年(平成11年)4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳1か月の少年Aにより、主婦(当時23歳)が殺害後屍姦され、その娘の乳児(生後11カ月)も殺害された上、財布が盗まれた。Aは強姦致死罪容疑・殺人罪容疑・窃盗罪容疑の罪状で裁判となり、死刑判決を言い渡されて、確定した。

裁判中はその残虐な事件内容と、元少年を死刑にすべきでないと主張する弁護団の突飛とも言える弁護内容がマスコミで大きく取り上げられ、日本国内で論議を呼んだ。また被害者の夫が「犯罪被害者の権利確立」を訴えたことにより、この問題が大きく取りあげられるきっかけの一つとなった。

http://matome.naver.jp/odai/2139383575547840801

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件
【事件発生日】1994年9月28日-10月7日
【死刑確定日】2011年3月10日
【被害者数】4人
【備考】名古屋拘置所収容中、東京拘置所収容中

1994年9月から10月にかけて、男女の少年グループ計10人が、大阪、愛知、岐阜の3府県で4人をリンチにより死亡させた事件。二審で主犯格3人に死刑が言い渡されている。

 公判での少年達の様子は、傍聴席の仲間に向かって笑いかけるなど、遺族に対して何の配慮もないものだったが、死刑を求刑されてからは、態度を変えて「生きて償いたい」というようなことを言い出し始めた。

 01年7月9日、名古屋地裁は「通り魔的犯行で社会に大きな不安を与えた。わずか11日間に無抵抗の若者4人の生命を奪った責任は重く、極刑はやむをえない」として主犯Mに死刑、他2人に無期懲役を言い渡した。無期の2人に関しては、殺人ではなく傷害致死と判断されていた。

 05年10月14日、名古屋高裁・川原誠裁判長、3人全員に死刑判決。「3人の役割に差異はない」とされたのである。少年事件では、初めて複数に死刑が言い渡された。かつて非道を繰り返した少年達は30歳になっていた。

 無期から死刑になった1人は「死刑になってもやむを得ない」と語っており、拘置所では義務づけられていない封筒貼りの作業をやって年に3、4万円になる報酬の全額を遺族に送っていた。
 一審で無期判決を受けたもう1人も、「(誰が主犯かどうか)責任のなすりつけ合いで、聞くに忍びないから」と公判にも出ず、「死刑という判決があっても、それは覚悟している」と語った。

http://yabusaka.moo.jp/renzokurinchi.htm

市川一家4人殺人事件

市川一家4人殺人事件
【事件発生日】1992年3月5日
【死刑確定日】2001年12月3日
【被害者数】4人
【備考】東京拘置所収容中

市川一家4人殺人事件(いちかわいっか4にんさつじんじけん)は、1992年3月5日に千葉県市川市で発生した当時19歳の未成年者による殺人事件である。

1994年8月8日、千葉地方裁判所で少年に死刑判決が言い渡された。少年は控訴したが、1996年7月2日に東京高等裁判所は控訴を棄却。更に上告するが、2001年12月3日に最高裁判所で上告が棄却され、死刑が確定した。
過去に暴行事件や強姦事件(事件実行当日にも別の被害者への強姦事件を起こしている)を起こしていた点、逮捕されてから裁判中まで、被疑者の当時の少年には事件を起こしたことに対して全く反省した態度が見られない点、A子の目の前でA子の肉親を殺害したという残虐性、警察が踏み込んだ際にA子に包丁を持たせ自分が被害者を演じた計画性などが裁判で重く見られた。
未成年者に死刑が言い渡され、刑が確定するに至ったのは、永山則夫連続射殺事件の永山則夫以来であった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

警察庁広域重要指定108号事件(永山則夫)

警察庁広域重要指定108号事件(永山則夫)
【事件発生日】1968年10月11日~1968年11月5日
【死刑確定日】1990年4月17日
【被害者数】4人
【備考】1997年8月1日、死刑執行

永山則夫連続射殺事件(ながやまのりおれんぞくしゃさつじけん)とは、1968年10月から11月にかけて、東京都区部・京都市・函館市・名古屋市において発生した、拳銃による連続殺人事件である。警察庁による名称は「警察庁広域重要指定108号事件」である。

永山則夫は、犯行当時19歳の少年だったが、犯行累積の抑止と逮捕のために指名手配されたこともあり、当初から実名報道がなされる。

10年を費やした一審の審理では、1979年に東京地方裁判所で死刑判決を受けたが、東京高等裁判所での控訴審では、心境の変化(下記参照)家庭環境・生育状況が劣悪であった事、配偶者を得たことを酌量による減刑の理由として、犯行時未成年であったことからその更生を期して1981年に無期懲役に減刑された。

しかし検察側は上告し、最高裁判所は1983年に控訴審判決を破棄して事件を東京高裁に差し戻した。1987年の東京高裁(第二次)と1990年の最高裁(第二次)は「永山が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、同じ条件下で育った他の兄たちは概ね普通の市民生活を送っており、また上京から3年以上社会生活を送った後に保護観察措置を自ら拒否して逃避した末に連続殺人の犯行を犯していることから、生育環境の劣悪性は4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」と判断して、死刑判決が確定した。

永山則夫は、1997年8月1日に東京拘置所において死刑が執行された。享年48。

死刑の執行の署名をした法務大臣は松浦功。親族は遺骨の引取りを拒否し、弁護人の遠藤誠が引き取った。遺骨は本人の遺志でオホーツク海に散骨された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B1%B1%E5%89%87%E5%A4%AB%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%B0%84%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

正寿ちゃん誘拐殺人事件

正寿ちゃん誘拐殺人事件
【事件発生日】1969年9月10日
【死刑確定日】1978年1月
【被害者数】1人
【備考】1979年10月、死刑執行

1969年9月10日朝、東京・渋谷区で登校途中の区立広尾小1年・横溝正寿ちゃん(6つ)が、若い男に誘拐され、児童の家に身代金500万円を要求する脅迫電話がかかった。

 夜になって、渋谷署管内で容疑者と見られる無職K(当時19歳)を職務質問したところ、正寿ちゃんがはいていた靴を持っており、「おれがやった。カンシャク玉を投げつけたりしたので憎くなり、登校途中をねらい誘拐し、刺して殺した」と自供。それに基づいて東横線渋谷駅荷物預かり所に預けてあったカバンの中から正寿ちゃんの遺体が発見された。

 1972年4月8日、東京地裁・熊谷弘裁判長は、「犯行はきわめて卑劣、悪質なもので、動機にも同情すべき余地はない。被告には暖かい血が通ってないのではないかと疑われるほどである」と、死刑を言い渡す。

 1978年1月、死刑確定。

 1979年10月、死刑執行。享年29。

http://yabusaka.moo.jp/masatoshi.htm

仙台大学職員女性殺害事件

仙台大学職員女性殺害事件
【事件発生日】1969年9月1日
【死刑確定日】1972年6月27日
【被害者数】1人
【備考】1976年、死刑執行

昭和44年9月1日、宮城県角田市の家事手伝いA(当時19歳)は、帰宅途中の大学職員・B子さん(当時20歳)に強姦しようとナイフで殺害。性的な欲求を満たすと人気の無い町道にB子さんの遺体を遺棄して逃走した。警察は、付近の不審者に対する聞き込みから同月3日、Aを逮捕した。Aは「女性の体がどのようになっているのか知りたかった」と犯行動機を供述した。昭和47年6月、最高裁はAの上告を棄却して死刑が確定した。

http://jikenshi.web.fc2.com/newpage584.htm

連続4人殺人事件

連続4人殺人事件
【事件発生日】1967年4月24日~1973年3月20日
【死刑確定日】1988年6月2日
【被害者数】4人
【備考】一部は成人後の犯行。大阪拘置所収容中。

愛知県名古屋市の旅館で、日雇い人夫の渡辺清(19)が売春婦(36)にコンドーム無しの性交を拒否されてカッとして絞殺、3万5千円を奪って逃走した。8.5に大阪府大阪市天王寺区の路上で客引きをしていた男娼(26)を刺殺して2百円を強奪。窃盗で捕まって殺人は発覚しないままに少年院に入った。
 昭和47年4.10、24歳になった渡辺は大阪市のホテルで売春婦(39)と性交したあとに金が無いことを非難されたため絞殺、2千円を強奪。昭和48年3.20、大阪市のホテルで売春婦(40)を絞殺、2万2千円を強奪。
 一審無期だったが昭和63年6.2最高裁で死刑確定。2件は無実と再審請求中。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A

栃木県烏山町呉服店一家強盗殺人事件

栃木県烏山町呉服店一家強盗殺人事件
【事件発生日】1969年1月3日
【死刑確定日】1971年8月17日
【被害者数】3人
【備考】死刑執行日不明

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