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科挙~中国王朝時代の超エリート官僚【試験は無間地獄】

近代化前の中国。代々王朝に仕えるエリート官僚を選抜する制度が、科挙でした。とても過酷で長いその試験をわかりやすく簡単に紹介。後日、宦官編を追加しました。

更新日: 2017年09月17日

cobaltblueさん

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科挙とは?

科挙という語は「(試験)科目による選挙」を意味する。選挙とは~中略~伝統的に官僚へ登用するための手続きをそう呼んでいる。「科目」とは~中略~「進士科」や「明経科」などと呼ばれる受験に必要とされる学識の課程である。北宋朝からはこれらの科目は進士科一本に絞られたが、試験自体はその後も“科挙”と呼ばれ続けた。

官僚になるためには、超難関の試験に何度も合格しなくてはなりません。

近代までの中国には、公の教育というものがなかった代わりに、科挙によって官吏登用していました。つまり公が一切民を教育しないため、お金のある人々が息子をこぞって勉強させて出世させていたのです。

その分、庶民にも広く門戸が開かれ、実力があれば出世街道へのチャンスがありました。

なぜ科挙が生まれたのか?

科挙が登場したのが隋時代の598年。
その後、唐で制度が整えられていき、宋でもっとも隆盛を極めました。
当時、ヨーロッパでは貴族による封建制度だったため、どれだけ文明が進んでいたのかがわかります。
官僚制度によって皇帝の力を絶対的なものにしました。
唐までは貴族が力を握っていたため、国がよく分裂して戦争になったのです。

廃止されたのが、清時代の1905年。科挙は1300年以上も続きました。

なぜ科挙を目指すのか?

科挙に合格できれば、裕福な生活と出世が望めます。皇帝に直接仕える官僚~エリートになれるのです。
一度官僚になると、家が三代まで栄えたといわれるほど。

その代わり、合格しないといつまでたっても出世の道は閉ざされました。

科挙合格は大変な名誉のため、一族の期待も大きくかかり、なかにはプレッシャーに負けて、発狂や自殺する受験生までいたほどです。

清末時代の科挙の流れ (気が遠くなる合格までの道のり)

その一、自宅学習

五歳ごろから男子は自宅で試験勉強。ひたすら「四書五経」を暗記。

女子は役に立たないから「子」の数に入れない。男子のみに門戸が開かれた。

その二、県試

県学(県の学校)に入るための試験を受ける。童試とも呼ばれ、受験者は童生と呼ばれる。

15歳以上になると試験が難しくなるため、ほとんどの童生が年齢をごまかして受験する。

まだ写真はもちろん戸籍もない時代だったため、髭が生えてなかったら14歳とみなされたとか。
なかには白髪の老童生もいた。

全部で五回あって、最後まで合格するのは大変。
ど田舎だと受験者数が少ないから割合簡単に合格できたが、都会だと競争率が高かった。

その三、府試

県試に合格した童生たちが府城に集まる。
三回の試験があるが、内容的には県試とあまり変わらず、本当に学力がそなわっているかを再審査する意味合いが強い。

その四、院試

これに合格すれば府学への入学が許可され、生員と呼ばれる。
実際、学校では教育はほとんどされず、ときどき学生としての試験があるだけ。あくまで科挙の受験が許可されたにすぎない。

それでも生員になれただけでもかなりのエリート扱いだから、科挙の受験を諦めて、官吏の私設秘書となる者も。
それだけ科挙は競争率が高く、お金もかかった。

その五、科試

これに合格すれば郷試を受験できる。
郷試に集う人数が多すぎるため、あらかじめふるい落としておく。

その六、郷試

三年に一度開かれる。
省府の首府へ集い、貢院という試験場で、答案用紙に回答を書く。

その貢院には約一畳ほどの広さの房がたくさんあって、受験生たちはそこで試験を受けるのはもちろん、食事用の煮炊きや仮眠もする。

扉はなく、持参した布で覆うだけ。机も椅子も板を渡して溝にはめるだけ。
三年に一度しか使用しないから黴臭いし、夜は寒い。数日もそんなとこへ閉じこめられているためか、発狂するものもいたほど。

https://www.flickr.com/photos/okinawa-soba/3450980117/

ときには雨風が吹くも、房へ入り込むから答案用紙を汚さないよう、必死になった。
蝋燭で焦がさないように細心の注意も払った。
少しでも原稿に汚損があれば、どんなにすばらしい解答を書いても不合格になるため。

合格率は受験生一万人のうち百人ほど。
これまでの試験地獄をくぐり抜け、なおかつ百人に一人の合格。過酷な競争である。

https://www.flickr.com/photos/okinawa-soba/3450980127/in/photostream/

畳一畳分のスペースで、受験生は答案用紙に向かった。

カンニングや試験官への賄賂が横行しており、発覚次第、厳しい処罰が待っていた。
最悪、死刑が科せられる。

中に文字がぎっしり。

もし身体検査で見つかったら……ガクブルな世界だったはず。

とっても細かい文字がぴっちり! 遠くから見たら模様に見えるほど。
何が何でも合格してやる、という執念の賜物。
もしバレたら不合格だけではすまされないけども(下手したら死刑!)、それだけ合格率が低い、過酷な試験地獄を物語る小道具。

その七、挙人覆試

郷試で合格した受験生が本人かどうかの確認のための試験。
それだけ替え玉不正が多かったということ。

https://www.flickr.com/photos/ralphrepo_photolog/4075201203/in/set-72157622725544786

その八、会試

郷試の翌年、北京の貢院で開かれる。
全部で三回有り、平均点を出して上位三百名が合格。
時代によって合格者が違うのは、必要な官吏の数に応じるため。

会試で合格すれば、念願の官吏になることができるが、順位をつけるためさらに試験がある。

その九、殿試

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近代史が好き。古写真とアンティークイラスト収集のまとめ多し。著作権切れのイラスト画像は随時追加してます。
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