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作家・安部譲二の壮絶な経歴~反面教師か人生の達人か

作家・安部譲二の半生をまとめました。

更新日: 2019年09月09日

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rokantaさん

▼作家・安部譲二。いつもにこやかなイメージがありますが・・・。

▼ヨーロッパで少年時代を育つ!

東京市に生まれる。日本郵船に勤務していた父の転勤に伴い、ロンドンやローマで育つ。

▼中学2年でポルノ小説を投稿!

江戸川乱歩主宰の雑誌にアブノーマルセックス小説を投稿し、乱歩から「この子は心が病んでいる」と言われ、寺で写経をさせられたことがある。

▼15歳で傷害事件を起こして国外逃亡、イギリスへ留学!

夏祭りの場で複数のテキ屋と争い、出刃包丁による傷害事件を起こしたことから国外に逃亡。イギリスの寄宿制学校に入学。

▼しかしすぐに退学、カメラマンになる!

イタリアから留学中の女子生徒と全裸で戯れていたのを発見され退寮処分を受ける。

カメラマンのアシスタントとしてオランダに渡る。

▼帰国後、高校時代に暴力団に入る!

借金の取り立てに行った際、不良外人のブローカーと争い、初めて銃で撃たれる。

19歳のとき用心棒から殺されそうになり、反撃して相手の拳銃と車を奪い逃走。懲役2年6月、保護観察付執行猶予5年の有罪判決を受ける。

▼ボクサーになる!(20歳頃)

ブラディー・ナオのリングネームで地下ボクシング活動をして、海外を転戦していた時期もあった。

世界王者・サンディ・サドラーの来日時のスパーリングパートナーもつとめた。

▼一念発起、日本航空の客室乗務員に!(23歳)

「二十一歳だった僕は、チンピラを辞めてカタギに戻ろうと懸命でした。
毎朝三時半に起きて、築地でワサビの番人をし、昼前にそれが終わると、東京駅のレストランで、ベイカーの見習いと、ランチタイムのパントリーを務め、夕方の六時半から夜の九時までは、新大久保の夜学で高校生になりました」

神田のYMCAのホテル学校を卒業後、1961年に23歳で日本航空に入社。客室乗務員として国内線や国際線に乗務する。

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