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東京湾の砲台跡【戦跡・歴史遺産】

ペリーの黒船来航以来、東京湾には首都を守るための砲台が築き続けられてきました。浦賀水道を挟んで東京湾を囲むように砲台の跡が残っています。

更新日: 2018年09月18日

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KURISEKIHANさん

お台場

1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。

11の台場の築造を予定し、結果的には、品川沖に6つの台場を造りました。しかし、ついに使うことなく、放置されました。
 六つの台場は、昭和の年代まで残っていましたが、東京湾を整備する必要から四つが取り除かれ、原型を最もよく保存している第三台場と第六台場の二つだけが国指定の史跡に指定されて、今に残っています。

安政元年(1854年)5月の竣工。関東大震災で被害を受けましたが、それを修復。昭和3年(1928年)に整備して公園として開放しました。当時は海上にありましたが、埋立地造成により陸続きになりました。周囲は高さ5メートル~7メートルほどの石垣でその上に土手が築かれています。

北側には石組みの船着場跡があり、往時の面影をしのばせます。台場中央には台場守備隊の休憩所と呼ばれる兵舎があり、今では礎石のみが残っています。そのほかにも、防御施設にかかせない火薬庫、玉薬置所などの跡もあります。

安政元年11月の竣工。今でも海上にあり、立入禁止になっています。そのため植物や野鳥の宝庫になっており、学術的にも貴重な存在といわれています。

天王洲アイル第一水辺広場(第一ホテル東京シーフォート横)のボードウォーク 天王洲大橋脇にある。

わかりにくいが、天王洲アイルが埋め立てられる前、第四台場だった頃の当時の石垣が、今でもここだけに残っている。

第四台場は、文久4年(1864)工事途中で打ち切られてしまったので「崩れ台場」ともいい、後に緒明菊次郎がここに造船所を作ったので「緒明台場」ともいった。

東京湾要塞

東京湾要塞(とうきょうわんようさい)とは、東京湾周辺の防衛を目的に設置された要塞。東京湾の砲台及び海堡等の建築物を東京湾要塞司令部が管理をした。終戦時は第12方面軍隷下の東京湾兵団に属している。明治時代に建設が始まり、逐次設備を増やしつつ、太平洋戦争(大東亜戦争)の終了時まで運用された。

猿島

米ヶ浜砲台(演習砲台跡)

公園内はよく見ると掩蔽部と思われる部分などが確認できる。

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