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震災の年に勇気をくれた馬、オルフェーヴルのエピソードまとめ

2011年のクラシック直前の3月11日に東日本大震災に日本は見舞われました。希望が失われ、勇気が挫かれていたそんな時代に、目が覚めるような個性を持ち、懸命にクラシックロードを走った一頭の馬がいました。大震災でお亡くなりになった方への冥福を祈ります。

更新日: 2015年09月24日

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yukiyuki319さん

◆勇気をくれた馬、オルフェーヴル。

有馬記念が終わっても、観衆たちは中山競馬場から帰ることが出来なかった。寒さよりも何よりも、オルフェーヴルの引退に立ち会いたいという気持ちが勝ったからだった。

2011年のクラシック直前の3月11日に東日本大震災に日本は見舞われました。
希望が失われ、勇気が挫かれていたそんな時代に、目が覚めるような個性を持ち、懸命にクラシックロードを走った一頭の馬がいました。
それがオルフェーヴルです。

僕はこの馬に、勇気をもらいました。
確かに色んな馬がいますが、それでも一番好きな馬はオルフェーヴルです。

大震災でお亡くなりになった方への冥福を祈ります。

馬名の意味はフランス語で『金細工師』(orfèvre)。

グランプリホース・ドリームジャーニーの全弟として産まれたオルフェーヴル。
しかし、その出生は順調ではなかった。

G1馬を出した母オリエンタルアートには、当初父ステイゴールドではなく、あの三冠馬ディープインパクトが配合される予定だった。
しかし、三度の挑戦にも関わらず不受胎であり、結果として再びステイゴールドにお鉢が回ってきたのだ。

もしもディープインパクトの種が受胎していたらどんな馬が生まれてきたのか?
それを想像するだけでも楽しいが、しかしこのオルフェーヴルのようには破天荒ではなかったと思う。

後に暴君と恐れられたオルフェーヴルも、1歳当時はいじめられっこだった。
というのも、上記の理由から交配の遅れによる遅生まれ、
さらに母オリエンタルアートの疝痛手術に伴う開腹出産という生まれのため、その馬体は他馬に比べて小さかった。

そのため育成時は同年代の馬達に追いまわされるいじめられっ子であった。

ちなみに同年代のボス的な立場にいたのが同父・同母父であるフェイトフルウォー。

東日本大震災の影響で、競馬はしばらく混乱した状況にあった。
皐月賞が中山競馬場ではなく東京競馬場で行われたのもその影響であった。

皐月賞では4番人気ながら、まさにエンジンの違いとしか言いようのない走りで抜け出して完勝。
見事にクラシックホースとなった。

続く日本ダービーでは1番人気に推されるが、後のオルフェーヴルからは想像出来ない3.0倍というオッズの割れた1番人気であった。
(結構雨が強くて、僕はキングカメハメハ産駒のベルシャザールを本命にしていた笑)

雨の東京競馬場、どろどろの馬場の中を、すいすいと進んでいく馬がいた。
それがオルフェーヴルだった。
あれよあれよという間に後続をどんどんと突き放していき、僕は思わず笑みがこぼれた。

しかも道中では馬に挟まれて閉じ込められている。
柴田善臣騎手の執念のブロックだった。
しかしオルフェーヴルは根性で突き破り、そのまま異次元の走りで日本ダービーを突き抜けた。

そしてウインバリアシオンも物凄い脚で後方から追ってくるが、オルフェーヴルの脚色は全く衰えずにそのまま入線してしまった。

最強の馬だと確信させるに足るレースだ。

距離の壁があるかどうか、それが世間では取りざたされていた。
しかし蓋を開けてみれば1.4倍の圧倒的1人気。

僕はこれはうれしいから是非書いておきたいのだけれども、オルフェとウインの馬単一点で仕留めた。まあ1人気から2人気だから自慢できないけれど。

オルフェーヴルは軽く仕掛けただけでぐいぐいと進みだし、最後は流してゴールイン。
流す余裕があっても当時のレコードからたった0.1差だった。

最早距離も右回り左回りも関係ない。
ましてやどの競馬場でも通用する。
押しも押されもせぬ三冠馬の誕生だった。

調教師である池江泰寿は三冠調教師となった。
父の池江泰郎調教師はディープインパクトを管理していたことで有名。
これで親子で三冠調教師となった。

池添騎手も弱冠32歳で三冠騎手となった。

オルフェーヴルは菊花賞のゴール板を超えてから、池添騎手を困らせたいがために彼を振り落とした。
このやんちゃっぷり、常識はずれの悪さから「暴君」とあだなされることとなる。

この年の有馬記念はまさに競馬の祭典ともいうべきメンバーが集まった。
(その後、2014年の有馬記念もこれに匹敵するほど凄かった)

3冠馬オルフェーヴル。
昨年の有馬を勝ち、ドバイWCで海外に日の丸をはためかせたヴィクトワールピサ。
歴代最強牝馬の6冠女王ブエナビスタ。
その年の天皇賞馬であるトーセンジョーダンとヒルノダムール。
夏のグランプリを制したアーネストリー。
オルフェの一つ上のダービー馬エイシンフラッシュ。
昨年の天皇賞春を勝ったジャガーメイル。
そしてジャパンCを勝っているローズキングダム。

これほどのメンツは滅多にお目にかかれない!

オルフェーヴルはその並み居る強豪馬たちを相手に、一歩も引けをとらなかった。
僕の本命は無論オルフェーヴルだった。

”3コーナーから4コーナー、馬群の外から手ごたえよく進出していったオルフェーヴルは、早くも直線手前で好位に押し上げ、そしてスパート態勢へと移る。(中略)苦しいレースを驚異的な末脚で制したその瞬間、三冠馬は四冠馬となり、3歳最強馬は現役最強馬となったのだった。"
(JRAより引用)

僕はこのとき、自分の中での最強馬が確定して、まるで競馬ゲームでゴールしたのと同じで、ハッピーエンドを見れた気分で競馬への興味が一時薄れてしまった。
それほどサラブレッドとして完成された強さだった。

負けたレースでここまで有名になったレースは他の馬ではちょっと思いつかない。
海外でも有名になり、化け物がいると噂になったレースが、2012年阪神大章典だった。

ずっとかかりっぱなしで折り合いがつかず、直線を曲がりきれず飛び出していってしまった。
そこで手綱を引くと、今度はずるずると後退していった。

普通の馬ならばここでレースは終了するだろう。
しかし、オルフェーヴルは違った。

後ろから再びレースに参加すると、他の馬からすれば嫌になるほどの速さで追い込んで2着。

停止してからの再加速というのはもっともロスが大きいといわれているにも関わらずこのレース。
負けて強しと思わせるレースだった。

4歳夏は宝塚記念を勝つと、フランスに渡り、現地のステップレースを勝った。
この時点で期待感は最高潮だった。

しかし、本番では先頭にたってしばらくすると、レースが終わったと思ったのか、手を抜いて走り出した。
多くのファンは「親父そっくりじゃねえか」と思った。

その隙をソレミアがやってきて差してしまった。
ほとんど勝利をその手中に収めていたのにも関わらず、逃してしまった。

当地の競馬場を熟知しているスミヨン騎手に乗り代わっていたのだが、これがもし池添騎手のままだったなら、勝負の結末は変わっていたのかもしれない。

日本に戻ると、ジャパンカップに挑戦することとなった。
相手は、のちにG17勝し、2度の年度代表馬に輝くジェンティルドンナが居た。
この年牝馬三冠を達成していたジェンティルドンナとの三冠対決と世間は注目した。

最後の直線で二頭が並び立つ。
しかしオルフェーヴルは足が残っているのにも関わらず、ジェンティルドンナのほうへ寄り添っていった。
ここでも親父譲りの悪い癖が出てきたようだった。

結果はジェンティルドンナが根性を発揮してハナ差制してジャパンカップを勝利。
(この馬は本当に強いね)

ジャパンカップで寄り添いにいって負けるという結果を受けて、陣営は暴君に再び調教をつけることにした。
その内容とは、より人馬の折り合いをつけることであった。

自立心をつける修行をした結果、オルフェーヴルは親父譲りの悪い癖を克服し、年明けの産経大阪杯を勝つと、再びフランスに渡った。
現地のフォワ賞ではスローペースでもしっかり折り合って勝利をおさめた。

最早敵なしと言われたオルフェーヴルは、この年一番人気に支持された。
世界最高峰のレースで一番人気、この時点で僕は感無量だった。

レース自体はトレヴに負けてしまったが、その斤量差はなんと5キロ。
3歳牝馬有利と言われる凱旋門賞だが、海外ファンも負けてなおオルフェーヴルの強さを称えた。
ちなみにトレヴは去年ハープスターなどの馬を相手に堂々と凱旋門賞を連覇している。

しかしここまで牝馬に負けると、オルフェーヴルは牝馬に甘いのではないかと思ってしまう。
その証拠に、種馬になってからは非常に精力的に種付けを行っているという(笑)

ラストランには、グランプリである有馬記念を選択し、オルフェーヴルは中山競馬場にやってきた。
最強の暴君の引退を見に多くのファンが駆けつけた。
その入場者数は12万4782人と前年の120%だった。

レース内容は好位から早々と抜け出し、大差をつけて圧勝。
ゴールドシップやウインバリアシオンなどでも歯が立たないほどの強さを見せ付けた。

この画像を見て泣かない男はいない。

色んな思い出をくれた馬だった。
震災の年に、勇気をくれた馬だった。
この馬ほどドラマに彩られた馬もいないだろう。
そしてファンから愛された馬も。

今度はその子どもたちの活躍を見て、オルフェーヴルの新しい旅を追わせてもらうことにしよう。

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