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【原発】世界一安全な原発?オーストリアのツヴェンテンドルフ原発がこのように呼ばれる理由が興味深い

福島第一原発事故から4年が経過した日本。一方でヨーロッパでは脱原発の動きが目立っている。ところでそのヨーロッパには「世界一安全な原発」とよばれる原発がある。オーストリアのツヴェンテンドルフ原発のことですが、これは「建設したけれど稼動していない」ために「世界一安全な原発」と呼ばれています。

更新日: 2015年03月12日

shiro05さん

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ツヴェンテンドルフ原発が「世界一安全な原発」と呼ばれる理由とは

・福島第一原発事故から4年が経過した日本。一方でヨーロッパでは脱原発の動きが目立っている。ところでそのヨーロッパには「世界一安全な原発」とよばれる原発がある。オーストリアのツヴェンテンドルフ原発のことですが、これは「建設したけれど稼動していない」ために「世界一安全な原発」と呼ばれています。

オーストリアのツェンテンドルフ村に世界一安全な原子力発電所がありました

・世界一安全な原子力発電所…なんてあるわけが無いと思っていたら、実は明確な理由があって「世界一安全な原発」と言われていることがわかった。

ニーダーエスターライヒ州ツヴェンテンドルフで建設が始まり、原発は完成したものの、運用されることはなかった。

・このため「世界一安全な原発」と呼ばれる。

どのような経緯で、原発建設後に稼動しないまま「世界一安全な原発」の称号を得ることになったの?

・建設している途中の段階で、「脱原発」運動が加速、国民投票へ

1972年の4月に建設が開始され、692MWの発電量の沸騰水型原子炉を建設することとなった。これは幾つかのオーストリア電力公益企業の共同企業体によって、当初計画されていた6ヶ所の原発の最初の一つとして建設が始まった。

・後に、この原発を含めた6箇所全部において、原発の稼動は行われなかった。

1972年に着工し、1977年秋には建設を完了し、1978年より操業を開始する予定であった。

・建設にかかった費用は、現在価格ではおおよそ10億ユーロとされる。

完成直前になって、放射性廃棄物の処理や安全性など原子力発電に対する懸念が、議会や国民の間に高まる

・やはり、どこの国でも原発について不安に思う気持ちは同じです。

「中世後期にここにひどい地震があって、日本で起こった同じことが起こりうると警告した。その事情は当時に政治家一人も関心持ってくれなかった」

・オーストリアでは、中世の時に地震があったという話もあって、中世の時と同じ地震が起きたときにどうなるのか、という疑問も高まり、反対運動に発展していったという。

国民の議論の中心となったのは、高レベル放射能廃棄物を最終的にどう処分するか。「処分はできない」「安全なソリューションはありえない」という反対派の意見

・高レベル放射能廃棄物の処分については、今の日本でも解決されていない問題です。

・国民投票の結果、原発稼動に反対する票が多数を占め、その後「脱原発」政策を採用する事に

78年に当時のオーストリア連邦政府の首相が、原子力発電所の是非について国民投票を行った

・国会が与野党伯仲の中、政権与党が世論を意識して住民投票に踏み切ったという事情もある。

国民投票の投票率は約70%と高く、400万人が投票。これを開票したところ、50.41%は反対で、賛成は49.59%と非常に接近した結果となった。

・僅差ながらも、原発の運転は否決された。

ツヴェンテンドルフの運用開始や他の5個の原発の建設は1978年11月5日に投票によって中止された。

・完成したばかりのツヴェンテンドルフ原発の国民投票を行い、原発を選ばない道を進みました。

・結果としては、単に一つの原発の稼動の是非を問うものだけでは済まされない、大きな意義を持つ出来事となった。

国民投票の 結果として、1978年にオーストリアにAtomsperrgesetz法(国民投票無しに原子力発電所を建ってはいけない法律)が出来ました。

・国民議会は1978年12月に全会一致で「原子力禁止法」を可決。与党や野党で投票行動が分かれず、全会一致なのがすごい。

同原子力発電所への運転認可の発給が禁止されるとともに、他の原子力発電プロジェクトも破棄された。

・予定されていた、他の5個の原発の建設もあわせて中止に。

数カ月後の79年3月、米国ペンシルバニア州スリーマイル島の原発で原子炉が溶ける事故が発生した。オーストリアの選択が先見の明だった。

・本当に偶然なのですが、この住民投票の数ヵ月後、アメリカではスリーマイル原発事故が発生したという出来事も…。

・その後、チェルノブイリ原発事故などを経て、更に加速する「脱原発」路線

86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故で国民の「原発嫌い」は決定的となり

・運転再開を求める動きもあったが、1986年4月のチェルノブイリ事故により、結局は原発の稼動には至らず。

1987年にオーストリアは発電のための核分裂炉を禁止する法を制定し、以降これを保持している。

99年に原発建設禁止などが憲法に明記された。

・「脱原発」が憲法に明記されたというのはすごい。

福島第一と同じ形の原発だが、稼動して無いから放射能漏れの懸念もない…そして見学も可能になったらしい

一度も稼働されてない原発は2010年にはじめて見学も可能になりました。

・偶然にも、東日本大震災の前年にあたる2010年に見学可能となった。

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shiro05さん