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パンダの数だけ物語がある★上野動物園パンダヒストリー

動物園の人気者といえば…ジャイアントパンダを思い出す方も多いのでは?そんな可愛いパンダたち。リーリーとシンシンが来園するまでの上野パンダの歴史を、ただのパンダ好きな私がまとめてみました

更新日: 2017年06月16日

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この記事は私がまとめました

yumimuさん

■■■上野動物園■■■

1972年10月28日
日本のパンダの歴史はここから始まりました。
日中国交正常化によりパンダが中国から贈られることに。
パンダのノウハウがないまま上野動物園での飼育が始まりました。

上野動物園は大フィーバー!!

日本のパンダブームはここから始まりました。
この日だけで5万6000人が上野動物園に集まったんだとか。

来日したのは4歳のメス蘭蘭と2歳のオス康康

2頭は仲も良く、2世誕生が期待されたが
蘭蘭が1979.9.4に死亡(推定10歳)
死因は妊娠中毒による肝不全だった。

残された康康も後を追うように1980.6.30に急性心不全で死亡(推定9歳)
人間でいうなら30歳ほどの若さだった。

1972生まれ(推定)
ランランの死後、カンカンのお嫁さんとして1980.1.29来園。
が、半年後にカンカンが死亡。
フェイフェイがやってくるまで2年ほど1頭の暮しになるが日本で出産する初めてのパンダになる。

日中国交正常化10周年を記念して、1982.11.9オスのパンダが来園。
1967生まれ(推定)と先代カンカンより早く生まれている。


奥がフェイフェイ、手前がホアンホアン

2世の誕生を期待されたが、フェイフェイとホアンホアンの相性はよくなかった。
パンダの受胎期間は1年で2、3日しかなく、人間並みに相手を選ぶので繁殖が難しい。
日本から獣医師がパンダの人工授精を学びに中国へ出向いた。
その結果…

1985.6.27待望の赤ちゃん誕生!しかし…

ホアンホアンの下敷きになってしまい1985.6.29 死亡。
わずか43時間の命だった。

そして翌年1986.6.1 待望の第二子が!

1986.6.1、人工授精によりトントン誕生!
パンダの性別の見分け方は難しく、1歳を迎えるくらいまでオスと発表されていた。

美少女に成長したトントン

第三子誕生!

やはり性別の判断が難しく、1991.9月にオスの発情行為をするまでメスだと思われていた。

立派に成長したユウユウ。
4歳の頃、今後の繁殖のため別のオスパンダと交換することになり中国へ旅立つ事になった。

中国からオスパンダ来日

1985.9.5北京動物園生まれ

北京動物園からリンリンがやってきました。
1993年からワシントン条約により絶滅危惧種は海外に贈与できなくなったため、中国から海外に贈った最後のパンダ。
逆にユウユウは海外から中国に入った最初のパンダとなる。

リンリンは大人しく優しいパンダで背中のベルトが途切れているのが特徴

上野のパンダの危機

フェフェイ、ホァンホァン、トントン、リンリンと2世代になったパンダファミリー
2組のペアから同時に赤ちゃんパンダの誕生もあるかも!と期待されたが…

1994.12.14 オスのフェイフェイ死亡

1994.12.14
オスのフェイフェイが老衰のため死亡。
27歳。

1997.9.21 メスのホアンホアン死亡

腎不全により死亡。
25歳。

にぎやかだったパンダファミリーもトントンとリンリンだけになってしまった。

トントンとリンリンのカップルの2世誕生を期待したが…

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