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実は、“元投手” 球界を代表する強打者達の意外な過去

ヤクルト・雄平、オリックス・糸井、そして西武・木村。今やプロで大活躍のこの3人。実は、皆「元投手」なのだ。彼らがどのようにして球界を代表する「打者」となったのか。そこには、知られざる努力があった。

更新日: 2015年03月23日

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ayumickey512さん

どん底から這い上がってきた「元投手」達がプロ野球を盛り上げる!

ダルビッシュが尊敬し、エースとして将来を嘱望された男。

東北高校時代の雄平は速球派として有名だった。高校球界にスピードガンが導入されて以来、左腕投手として150km台を超えたのは雄平が初めてである(MAXは151km)。

そんな雄平に転機が訪れたのは、2009(平成21)年オフのフェニックスリーグだった。

猿渡寛茂2軍監督(当時)から、「打者の気持ちを感じてみないか?」と打席に立つことを勧められ、野手を体験。7年間の投手生活を「やれることは全てやり尽くした」という雄平は、その時点で迷いなく野手転向を決断。

上背はないが、150キロ台のストレートに、低めのスライダーのキレ味の良さ。打っても高校通算36本塁打と非凡だった。

「とにかく(バット)を振りまくりました」と当時を振り返る雄平は、素振りとマシン打撃を繰り返した。試合前の早出ノックは当たり前。ウエートトレーニングで野手としての身体づくりを始めるなど、文字通りゼロからのスタートから、無我夢中で練習に明け暮れた雄平。

その甲斐あって、2軍で98試合に出場。打率.283、4本塁打、35打点、9盗塁と、及第点といえる結果を残した。

打者転向5年目で初の規定打席に到達し打率3割1分6厘、本塁打は23本と飛躍。非凡な打撃センスが30歳の今年、スポットライトを浴びた。

昨年のパ・リーグ首位打者・糸井嘉男も「元投手」出身の選手。

糸井 嘉男(いとい よしお、1981年7月31日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)で、同チームの主将である。

大学時代に春季リーグ戦5勝無敗(完封勝利2)の大活躍で最優秀選手、最優秀投手、ベストナインの3タイトルを獲得した。通算9勝1敗。2003年秋、日本ハムに自由獲得枠で投手として入団。背番号は26。

自由獲得枠で投手として入団しながらまったく芽が出ず、入団から3年目に<投手から野手>へのコンバート。

今や球界№1の外野手で「宇宙人」とも呼ばれる糸井。ずば抜けた身体能力ですぐさま実力を発揮。

50m5秒台、遠投120mなど恵まれた身体能力を誇り、左打者ながら逆方向にも長打を打てる打撃センスとパワーを持つ糸井はメキメキと頭角を現す。

走攻守すべてでハイレベルなプレーをこなせる外野手として、3度のベストナインと5度のゴールデングラブ賞に輝くなど、いまや日本球界を代表する選手へと成長。今季は自身初となる首位打者を獲得した。

知名度は、まだまだこれからだが西武・木村 文紀も「元投手」だ。

高校生時に最速148km/hの速球を持つ本格派右腕投手であるとともに、通算33本塁打の長打力を兼ね備えたことから打者としてもプロから評価され、埼玉県下のライバル投手と評された鷲宮高校の増渕竜義とともに2006年の高校生ドラフトにおける目玉選手として注目された。

投手として将来を期待されていたが度重なる怪我に泣き野手へコンバートとなった。

150km以上のボールを投げる本格派投手だったが、しかし制球に難があるということで2006年、当時の高田繁GMの発案により外野手に転向した。

2006年高校生ドラフト1巡目で投手として指名を受けた木村は、2012年までの7シーズンで1勝しかあげることができず、外野手に転向。

今は毎日1500~1700スイングを日課とし、手の平も投手時代とはうって変ってマメでボロボロになっている。

2009年になると打撃センスが一気に開花し、そこからは2012年まで4年連続で打率3割をマークしている。そして出塁率もこの4年間で3回も4割を超えている。

今や日本の4番・中田翔も「元投手」だ。

大阪桐蔭時代は投手として最速151キロをマークした剛腕。

高校1年生で150kmに迫るボールを投げられた指先の感覚は、一種の麻薬のようなものだった。だが、2年春に肘を故障。以前のような球速が戻らず、投手を断念した。

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