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【3月20日】風化させない。地下鉄サリン事件を振り返る

1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件。2015年で事件から20年がたち、事件を知らない世代も出てきました。だからこそ風化させないことが大切になっています。あなたにできることは「知ること」と「伝えること」の2つです。

更新日: 2015年03月24日

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この記事は私がまとめました

INFO-RAVENさん

何かが起こった

それは1995年3月20日月曜日の午前8時過ぎに起こりました。

車内を見回したら、左斜め前に立っていた初老の男性がいきなり、のど元に手を当て、体を硬直させながら後ろ向きに倒れた

出典dot:「毒ガスだ、逃げろ」 地下鉄サリン被害者が語った忘れられない記憶

「たくさん人が駅で倒れている。大変なことになってるぞ。煙が出たとかいう話もある。」

トンネル火災だと最初は思われたが…

それは世界初の化学兵器テロだった

霞ヶ関駅を通る千代田線、丸ノ内線、日比谷線の3路線5車両の車内で猛毒サリンがまかれた

事件による死亡者は13人 、負傷者は約6000人を数え、現在も多くの方が後遺症に苦しんでいる

1995年には阪神・淡路大震災が起こるなど、日本に衝撃を与える出来事が数多くありました。

サリンとは?

突如として惨劇を生み出した毒物は「サリン」でした。

大体1万円くらい出して材料を買ってきて、きちっと合成すれば、大体10万人は殺すことが出来る

サリンは低いコストで大量の人を殺せるため「貧乏人の原子爆弾」と呼ばれています。

サリンは第2次世界大戦中にナチス・ドイツが兵器として作ったが、最終的に使うことはなかった

一説によれば毒ガスで負傷した経験のあるヒトラーがサリンの使用には反対したとのこと。

オウムとは?

事件を引き起こしたのは「オウム真理教」と呼ばれる宗教団体でした。

1984年に前身の「オウム神仙の会」が設立。1987年にオウム真理教と名称を変え、最盛時には国外も併せて信者数は4万人に達した

教祖である麻原彰晃は、サブカル系雑誌でインタビューを受けたり、テレビのバラエティ番組に出演したりしていた

表向きはフランクな教祖でした。空中浮揚などのショー的なアピールやオカルト雑誌への広告記事を利用し徐々に信者を獲得していきました。

なぜこんなことをしたのか

実態は殺人集団だったのです。

オウム真理教の最終目標が「人類の種の入れ替え」にあったということを発言しています

まるで映画やゲームのような話ですが、事実なのです。

地下鉄サリン事件の前年の1994年6月27日には、オウムは長野県松本市の住宅地で同じサリンを噴霧させ、8人を死亡させ、143人を負傷させるという事件を起こしていた

「松本サリン事件」と呼ばれます。

オウムは、毒ガスの開発を行う一方、ソ連軍が採用した自動小銃であるAK-74を日本で密造することを企てていました。

地下鉄サリン事件の裁判では、教祖、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(60)と信者9人の死刑、信者4人の無期懲役が確定している

当時の様子

テレビは連日、この地下鉄事件とオウム真理教一斉捜索を報道した。緊迫していた。「これは戦争だ」という空気があった

子どもたちは、学校で麻原彰晃の似顔絵を書いたり「ポア」や「サティアン」という言葉が流行ったり、ずいぶん呑気なものだった

「ポア」は殺人を意味するオウムの概念で、「サティソン」はオウムの施設のことです。

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