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【刀剣乱舞】土方歳三の愛刀「和泉守兼定」とは?

今回は和泉守兼定についてまとめてみました。

更新日: 2017年04月15日

muzukiさん

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土方歳三の愛刀として有名です

新撰組土方歳三の愛刀。現在は土方歳三資料館に保存されている。

土方歳三とは?


歳三は天保6年(1835)、現在の東京都日野市にあたる武蔵国多摩郡石田村の豪農の末っ子として生まれる。母の体内にいるときに父を亡くし、5歳の時に母を亡くしたため歳の離れた兄夫婦に育てられた。
10歳の時と16歳の時に上野に奉公に出されたが、逃げ帰る結果となる。歳三は大変美男だったが、見かけとは裏腹に男気あふれる性格のため商人向きではなかったようだ。次第に歳三は武士を夢見るようになり、嘉永4年(1851)天然理心流道場で近藤勇と知り合うこととなる。道場で剣の腕を磨き、文久3年(1863)に清河八郎の浪士募集に応じ上洛した。そして同年8月、新撰組の隊名を拝命し、副長となる。
新選組副長となった歳三は過酷なまでに隊律を重んじ、それは新選組内部でも恐れられるほどだった。近藤を桧舞台にあげ、幕府に忠義を尽くし、心を鬼にして仕事にも隊士にも厳しくあたった。
戊辰戦争が始まり歳三は幕府軍の幹部として北へ転戦。明治2年(1869)幕府軍の最後の砦である函館・五稜郭も降伏の気配が濃くなったとき、一人敵地に飛び込み銃弾を受け戦死した。「ここで降伏しては、地下の近藤に合わせる顔がない」と言っていたという。近藤勇の死から約1年後の事である。


http://www.n-p-s.net/toshizoukoshirae.htm

大きさは二尺八寸と、当時の刀としてもかなり大きい。

近藤勇が郷里に宛てた手紙の文中に土方の差料が兼定であると記述がある。

近藤勇の手紙では二尺八寸と記載されているが現存しているものは二尺三寸。

土方が複数の兼定を持っていたという説と、近藤の手紙は誇張表現だったのではないかという説がある。

幕末辺りの刀は長めが流行だったそうですが、それにしたってちょっと驚愕の長さです。

現存している刀は11代目和泉守兼定によるものだとされているが、12代目和泉守兼定の手によるものではないか、という説も。

土方歳三が亡くなる少し前に撮影された写真では、和泉守兼定を帯刀していることが確認できる。

刀剣乱舞における和泉守兼定は?

小粋な格好をしている彼は見た目と実力のどちらも極めている。

ゲーム内で兼定本人が自分を「十一代か十二代の作」と濁している

彼自身は生まれに頓着しておらず、時代の最先端であったことに満足しているようだ。

同じ兼定銘である歌仙兼定とは衣装デザインで共通部分が多い。

土方歳三の佩刀であり、同じく土方が愛用していた脇差堀川国広からは「兼さん」と呼ばれ慕われている。

公式ツイートで「堀川国広との赤いピアスは相棒の証でしょうか」と述べられているように、お揃いのように見えるピアスをしている。

【刀剣男士 紹介】 『和泉守兼定』小粋な格好をしている彼は見た目と実力のどちらも極めている。 少し短気なところも。 堀川国広との赤いピアスは相棒の証でしょうか…少しラフな和泉守さんをお届け!]ω`*) #刀剣乱舞 #とうらぶ pic.twitter.com/z1gbKyfOpB

小粋な恰好をしており、発言には自身の格好の良さや強さを誇るようなものが目立つ。前の持ち主の影響で少々短気。

「目潰しだ!」というセリフは斬り合いの際、土方が砂を蹴りあげて敵の目潰しをしたという逸話から。

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muzukiさん

アニメ、ゲーム、声優さん、歴史など自分が興味があるものを中心にまとめています。