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19世紀の物理学者を悩ませた「ラプラスの悪魔」

ラプラスの悪魔(ラプラスのあくま、Laplace's demon)とは、主に近世・近代の物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念。これはコワイ

更新日: 2018年05月13日

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cepciさん

「ラプラスの悪魔」とは、主に近世・近代の物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念であり、フランスの数学者ラプラスによって提唱された。

宇宙がはじまったときから、私たちが何をするのかも、次に何をするのかも決まっている。

ラプラスの提案

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。

出典『確率の解析的理論』1812年 ピエール=シモン・ラプラス

なんでそんなことになっちゃうの?

どんなに複雑なものの振る舞いも、この方程式を解けば過去から未来まで描けてしまう。

我々が生まれる前から全てが決まってしまっている

宇宙ができたときにすでに、
私たちの振る舞いがはるか未来まで決まっているとしたら、、、


まさに「運命」
だけどそれって怖いよね?

っていうのがラプラスの提案でした。

ニュートン力学が示唆した宇宙

世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができるような知性が存在すると仮定すれば(ひとつの仮定)、その存在は、古典物理学を用いれば、これらの原子の時間発展を計算することができるだろうから(別の仮定)、その先の世界がどのようになるかを完全に知ることができるだろう、と考えた。

微分方程式の時間発展を系統的に解く方法として、ラプラス変換の数学的な基盤も作っている。

「ラプラスの悪魔」によって引き起こされた論争

我々は知らない、知ることはないだろう

出典ベルリン大学教授の生理学者エミール・デュ・ボア=レーモン

かくてラプラスの魔の自然認識は、吾々人間自身の自然認識のおよそ考えうべき最高の段階をあらはすものであって、従って吾々は自然認識の限界にあたってこれを基礎にもってくることができるのである。ラプラスの魔にして認識できぬことは、それよりもはるかに狭小な限界の中に閉じこめられている吾々の精神には全く永久に知られずにおわるであろう。

出典ベルリン大学教授の生理学者エミール・デュ・ボア=レーモン

物質界の多くの謎に向かっては自然科学者は男らしき諦めを以て Igonoramus 「吾等は知らない」と自白することに既に久しく慣れている。今まで経来った勝利に充ちた途を顧み、今彼の心を支えるものは、今日知らないことも、少なくとも事情の如何によっては知りうるであろうし、恐らくいつかは知るであろうというひそやかな意識である。しかし物質と力の本性がなんであるか、またどうしてそれが思惟しうるのであるかの謎を前にしては、彼は断然一層耐えがたい判決を決心しなければならぬのである。
Ignorabimus 「吾等は知らないであろう。」

出典ベルリン大学教授の生理学者エミール・デュ・ボア=レーモン

人間の考えうる認識の最高段階に達していると思える知性によっても理解できないことならば、我々人間が理解することは到底期待できないだろう

我々[数学者]にイグノラビムス[不可知]はない、また私が思うに、自然科学にもイグノラビムスはない。馬鹿げたイグノラビムスに対し、我々のスローガンはこうなるだろう。「我々は知らねばならない、我々は知るであろう」(Wir müssen wissen — wir werden wissen)

出典ダフィット・ヒルベルト(1930年)『自然認識と論理』

不変式論、抽象代数学、代数的整数論、積分方程式、幾何学の公理系の研究、一般相対性理論など業績は非常に多岐にわたる。彼の公理論と数学の無矛盾性の証明に関する計画はヒルベルト・プログラムと呼ばれる。

結局どうなったの?

20世紀に入って量子力学が登場したことから、「世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができない」という形でラプラスの悪魔の論争は落ち着きます。

「世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができない」ということが、原理であるということが信じられるようになるまで、物理学者たちはラプラスの悪魔に悩まされました。

現代においても「世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができない」ということをしっくり理解できている人は一部の理系の人だけではないでしょうか?

皆さんはどう思いますか?

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