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「お花見」のルーツは元々は占いから?

春と言えば、「お花見」ですよね!そのお花見も昔は、農民や貴族の中で楽しまれていたみたいです。身近な「お花見」のルーツが気になったので、まとめてみました。

更新日: 2015年04月22日

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ke-ta2525さん

お花見と言えば・・・「桜」ですよね!

■「桜」は神様でお迎えすることが花見だった?

一つは、「さ」は田の神様を表し、「くら」は拠り所。
「さくら」は田の神様の拠り所。田にある桜の木に神様をお迎えする行事が、お花見に変わっていきました。

そもそも「サクラ」の「サ」は、山や田をつかさどる神様の名前なんだって。そして「クラ」は、神様が座る場所をさす。つまり桜は、神様がいる場所

八百万の神の中に、山や田の神「サ」神が存在しました。「クラ」とは神が鎮まる座を意味し、サ神がその根元に鎮座したとされる木を「サクラ」と呼ぶようになったということです。

■農民たちの間では豊作を占っていたみたい

桜の咲き方でその年の収穫を占ったり、桜の開花期に種もみをまく準備をしたりしていました。

秋の稔りを願い、花の下でお祭りをし、花で収穫を占ったのである。開花は神様が降りられた証で、パッと散ると凶とされた。

人々は桜の咲き具合を見てその年の作柄の豊凶を占ったり、花の下でお酒や食べものを供して豊作祈願をしたりしました。

■貴族の間で広く楽しまれていた

お花見の起源は、奈良時代に中国から伝来した梅を貴族たちが観賞した事が始まりだと言われています。その為に、当時のお花見は梅の花が中心でした。

宮中では、奈良・平安時代から花見の宴が持たれ、杯を酌み交わし、詩歌を詠んでいたようです。

平安朝に入って梅に変わって桜の花見が貴族の重要な行事となりました。812年、嵯峨天皇が南殿で宴を催したのがお花見の最初の風習と言われています。

■あの有名な戦国武将も楽しんでいた?

嵯峨天皇以降、お花見は天皇主催の定例行事として行われました。
それに習って戦国大名の間でもお花見が流行して、豊臣秀吉も1598年(慶長3年)3月15日に醍醐寺の三宝院で醍醐の花見と呼ばれる大規模なお花見を行っています。

鎌倉時代に入ると、貴族の楽しみであった桜の下の宴はあらゆる階層に広まり、武士や町人の間でも行われるようになりました。京都の寺社や山々に山桜が植えられたのもこの時代といわれています。

■花見の時の”花見団子”は秀吉が発祥?

花見団子の色は一般的に桜色・白色・緑色の三色ですが、この色にはそれぞれ意味があって、
 桜色は、桜を表しています。
 白色は、冬の名残りの雪を表しています。
 緑色は、春から夏に向けて木が緑色になることを表しています。

■一般的な庶民に広まったのは江戸時代からみたい

お花見が庶民に広く広まっていったのは江戸時代で、徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせたのがきっかけです

徳川吉宗は都市と農村の接点である江戸の周辺部に植樹し、花見の名所が生まれました。花見が都市周辺部で開かれたことで花見の大衆化につながりました。

仮装をする者、俳句を詠む者、謡曲、小唄、三味線など、今で言えばカラオケのようなものに興じる者、はては口論、ケンカが始まる(江戸っ子っぽいですよね)など

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