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minidonさん

ロシアの20%を占める秘境、ヤクート地方とは?

ロシア連邦の東シベリア北部に位置するヤクート自治共和国(現サハ共和国)は、世界極寒の地として知られており、約70万人の人々が暮らしているが、鉄道も道路も未だ開発途上であり、国土の大部分が森林(タイガ)と永久凍土(ツンドラ)で占められ、殆ど手付かずのまま残されているという。

出典ヤクート超文明 ~竜王が眠る死の谷~

面積は3,103,200平方kmで、ロシアのヨーロッパロシアを除いた地域(アジアロシア)の半分を占め、地方行政単位としては世界最大である。

ヤクートに伝わる”ある伝説”

ヤクート北西部のビルユイ地区には、「ウリユユ・チェルケチェ(死の谷)」と呼ばれる広大なタイガが広がっており、周辺に住むヤクート族は、ここを禁断の地として決して近づこうとしないそうだ。
彼らの伝説によれば、死の谷は竜王の口であり、時々そこから火を噴出す事もあるらしく、また、入った者は全身が腐る病気に冒され、死んでしまうと云われているのだ。
故に現在では、ヤクートの一部族のシャーマンが、いわゆる四分点(春分、夏至、秋分、冬至)においてのみ、竜王に捧げる祭祀を執り行う為、死の谷に足を踏み入れる事が許されるという。
どうやら、1年のうちこの4日間だけ、「竜王の唸り」と呼ばれるものが止むのだそうだ。

1853年、ペテルブルク大学のリチャード・カルロ・マーク教授は、学者として始めて死の谷の実地調査を行った。
ヤクート族について民俗学的研究を行っていたマーク教授は、死の谷にまつわる伝説に興味を抱き、当時は地の果てと言われたビルユイ地区に実際に訪れたのだ。
現地に着いたマーク教授はヤクート族のガイドを雇おうとしたそうだが、高給を提示したにも拘らず、誰も応じなかったそうだ。
なんでもこの数ヶ月前に、死の谷で40年ぶりに火柱が立ったらしく、竜王の怒りを招きたくないという理由がもっぱらであったという。
仕方なく、マーク教授は現地で求めたトナカイに乗り、単身タイガの中へと進んでいった。

ビルユイ川に辿り着いたところで、さらに川に沿ってタイガの最深部の死の谷を目指していると、3日後にマーク教授は川原の土手に洞穴の入り口の様な穴を発見した。
それは明らかに自然のものではなく、近づいてみると、高さ3m、幅2m程の楕円形で、そこから地下に向かって急斜面に通路があり、しかも、壁面や床が全て赤く光り輝く金属で作られていたそうなのだ。驚いたマーク教授は通路の床にあった階段を降りていった。
するとそこは、直径20m程の円形の広間になっていて、全体が大きな半球型であった様で、内部も全て赤い金属で作られていたらしく、何処にも窓はなく、明かりを使っていなかったにも拘らず、内部は昼間の様に明るかったそうだ。
マーク教授はこの地下建造物の内部にキャンプを張って泊り込み、周辺を詳しく調査する事にした。
翌日、マーク教授はトナカイに乗って、湖畔から森の中へ入ったところ、クマバチの羽音の様な低い音がしているのに気がついた。
大きい音ではないが、「ブーン」という耳障りな響きが聞こえてきたらしく、恐らくこれが、伝説で云われていた「竜王の唸り」なのだろうと推測された。

マーク教授が森の中を進んでいくと、地面から斜めに突き出している巨大な鍋の様な物体を発見した。
突き出している部分は高さ3m程で、全体の直径は7、8m位だったらしく、鍋の外側は森の土壌と下生えに覆われ、内側は赤い金属が光り輝いていたそうだ。
これと同じ様な鍋が森のあちこちでいくつもあったという。
ヤクート族はビルユイ川の事を「アルギユイ・ティミルニト(大きな鍋の沈む川)」と呼ぶそうだが、この名称は明らかにこれらの鍋の様な物体から来ているものと思われる。

そしてマーク教授がさらに森の中を進んでいくと、木々がまばらになった広い場所に、全体が赤く輝く大きな建物があったそうなのだ。
それは上部が天文台の様に大きな球体になっていて、それを数本の柱が下から支えている様な形状をしており、全体の高さは約20m、球体の直径は10m程で、窓も入り口らしきものも見当たらなかったそうだ。
マーク教授が柱の1本に手を触れてみると、金属の硬さと滑らかさ、仄かな暖かさ、そして僅かな振動が感じられたという。
どうやらクマバチの羽音の様なものは、この建物から発せられているらしいのだ。
マーク教授はサンプルを収集する為、建物の一部を削り取ろうと試みたが、大型のハンマーとタガネを用いても、金属の表面に傷すらつける事が出来なかったという。
この時、マーク教授はこの赤い金属は無機質でありながら、まるで生物の身体の一部であるかの様に感じられたという。

そして、再びヤクートを調査する事に・・・

1867年になって、マーク教授は再び死の谷を訪れたそうだが、しかしこの時は、かつてあったはずの鍋や金属製の建物は忽然と消えていたらしい。
だが、例のクマバチの羽音の様な振動音は依然として森の中に響き渡っていたらしく、マーク教授が綿密に調査を行った結果、鍋や建造物はかつてそれらが存在した場所の地中深くに沈み込んでいる事が判明したそうだ。
しかし、死の谷付近の地盤は硬い岩盤質である為、あれほど巨大なものが自然に沈下する事はありえないという。

「ビルユイ地区の特異構造物」に関する調査

1981年、モスクワ大学のアレクサンドル・グテノフ教授は、旧ソビエト連邦科学アカデミーの委託により、「ビルユイ地区の特異構造物」に関する調査を開始した。
グテノフ教授は、1982年に発出した第一次答申でビルユイ地区における「古代遺跡の存在の可能性」について示唆し、「遺跡は岩盤の下に埋まっており発掘は困難」との見解を発表している。
だが、1983年の第二次答申は、ビルユイ地区を「特別保護区に指定し、一般人の立ち入りを禁止すべき」という見解を示し、また、エジプトのピラミッドを詳細に調査する必要性を強調するという、不可解な内容だったそうだ。
そしてそれ以後、グテノフ教授による調査は国家機密に指定され、また、間も無くしてソビエト連邦が崩壊してしまった事もあり、公に観覧出来る資料から調査に関する情報を入手する事は不可能となった。
しかし、調査自体は一時的に中断したものの、現在でもグテノフ教授をリーダーとする特別調査団によって続行されているという。

1996年夏、グテノフ教授はロシア政府に対し、「ビルユイ地区の特異構造物の利用に関する建白書」を提出し、本件についての情報公開を求めた。
どうやらグテノフ教授によれば、死の谷に関する知識は全人類が共有すべきものであるらしいのだ。
そして1997年1月、サンクト・ペテルスブルク市にて、ドミトリー・G・Hなる人物がグテノフ教授と接触し、死の谷の正体に迫る情報を提供してきたという。
それによれば、死の谷に散在する巨大な鍋やキノコの様な建物が建造されたのは、今から約100万年前の事だそうだ。
常識的には、その頃の地球文明の産物とは考えられないが、近年、ウラル山脈から300万年前に製造されたと思われるスプリングスが発掘されたという例もあるらしく、シベリア一帯にはかつて、超文明が繁栄していた可能性も考えられるのだ。

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