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金賢姫【大韓航空機爆破事件】

大韓航空機爆破事件(だいかんこうくうきばくはじけん)は、1987年11月29日に大韓航空の旅客機が偽造した日本人パスポートを使い日本人に成り済ました北朝鮮の工作員によって飛行中に爆破されたテロ事件である。

更新日: 2015年04月05日

win-winさん

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大韓航空機爆破事件

大韓航空機爆破事件(だいかんこうくうきばくはじけん)は、1987年11月29日に大韓航空の旅客機が偽造した日本人パスポートを使い日本人に成り済ました北朝鮮の工作員によって飛行中に爆破されたテロ事件である。
日本で大韓航空機事件と呼ぶ場合この事件の事を指す場合と、1983年9月1日の大韓航空機撃墜事件のことを指す場合に分かれるが、両事件は全く異なるものである(混同しているケースもみられるので注意が必要)。

経緯

昭和62年11月29日午後12時頃、バクダット発アブタビ-バンコク経由ソウル行きの大韓航空858便ボーイング707型機(乗員・乗客115人)が、ベンガル湾上空で「バンコクに定時到着する」という連絡を最後に消息を絶った。同機は3ヶ月前に胴体着陸事故を起こしていたため、事故による山中墜落説や海中墜落説など様々な憶測が飛び交った。

韓国当局は、この段階から北朝鮮の関与を示唆していた。翌30日午後、韓国政府は日本外務省に《バクダットで858便に搭乗し、途中アブダビで降りてガルフ航空に乗り換え、バーレーンに入国した「蜂谷真一」と「真由美」という日本人親子のパスポート照会》を依頼してきた。更に、同日夜には在バーレーン韓国大使館の代理大使がホテルに宿泊している蜂谷親子に接触し渡航目的などを確認した。

12月1日、現地の日本大使館員が同ホテルに出向きチェックアウト直前に蜂谷親子に接触し、パスポートは実在する別人のものであることを確認した。日本大使館側には身柄拘束権が無いことからバーレーン国際空港の入管当局にパスポート偽造の事実を連絡し空港内で改めて2人に事情聴取した。ところが、取調室で2人は突然、毒入りのアンプルを飲み「真一」は死亡、「真由美」は一命をとりとめた。

この2人は日本人親子を装った北朝鮮の秘密工作員で「真一=金勝一」と「真由美=金賢姫(キムヒョンヒ)」であることが判明。韓国政府の強い要求により12月15日、金賢姫はバーレーンから韓国に引き渡された。
12月10日に海上で同機と思われる漂流物を発見。焼け跡があることから空中で爆発したと断定し19日に115人全員の死亡を公式に発表した。

http://jikenshi.web.fc2.com/newpage123.htm

犯行目的

金賢姫は北朝鮮の労働党中央委員会調査部所属の特殊工作員で、金勝一と共に日本人のパスポートで858便に搭乗。天井の荷物入れにトランジスタラジオにセットした時限爆弾を置いて、次の経由地であるアブダビで降りたことを認めた。
爆破目的は翌年、韓国で開催されるオリンピックの妨害・阻止であったことを自供。命令指示は、金正日朝鮮労働党書記の親筆であったことも判明した。

平成1年2月3日、韓国は金賢姫に対して国家保安法、航空法、航空機運行安全違反で起訴。一審、二審の死刑判決の後、平成2年3月27日死刑が確定した。だが、韓国政府は「生き証人」として翌月12日に特赦で無罪とした。
金賢姫は、工作員になるための教育で日本語の先生が「李恩恵(リ・ウネ)」という日本人であったことを告白した。日本政府は、この李恩恵は日本で拉致された田口八重子であることを確認している。
しかし、北朝鮮は犯行に関して韓国や米国、日本などの陰謀であるとして犯行を全面否認している。

http://jikenshi.web.fc2.com/newpage123.htm

金賢姫【大韓航空機爆破事件】

事件のその後

北朝鮮は現在に至るまで事件の関与を否定しているため、事件の謝罪を行っていない。ただし日本では死亡した金勝一の偽造パスポート作成の過程で日本在住の北朝鮮工作員が関与した可能性が高いとされているほか、日本人拉致被害者の田口八重子に関する金賢姫の話を信憑性があるものと受け取られている。
金日成の母方の従兄弟で、北朝鮮の姜成山前首相の娘婿である、亡命者の康明道の著書『北朝鮮の最高機密』によれば、事件後の1988年当時、平壌は金賢姫の話題で持ちきりであった。労働新聞は連日、韓国の国家安全企画部が金賢姫をでっちあげ、事件を捏造していると報道した。しかし、康明道は平壌外国語大学日本語科出身の張チョルホの話として、「金賢姫が平壌外国語大学日本語科に在籍していたが、調査部が連れて行った」と記している。 また、北朝鮮の元工作員・安明進の著書『北朝鮮拉致工作員』によれば、北朝鮮当局は金賢姫が「北朝鮮の工作員ではない」と最後まで否定したが、金正日政治軍事大学では、金賢姫が対外情報調査部に所属する工作員であることを教官も生徒も誰もが知っていたとのことである。

その後、北朝鮮での南北赤十字会談(1972年)のとき、張基栄に金賢姫が花束をささげたのは捏造で、本当は私がささげた、と主張する女性が平壌に現れ、朝鮮総聯を経由して録画ビデオがマスコミに配られる事件が起きた(もっともその映像で骨格などの照合により、名乗り出た女性こそ捏造であったことが即座に解明された)。この事件は、自殺に失敗はしたが青酸ガスのため3日間意識不明になるなど命をかけて任務を遂行した金賢姫に、北朝鮮が利用するだけ利用して容赦無く捨てたことを認識させ、完全に転向するきっかけとなった。

安明進によれば、金正日は金賢姫が大韓航空機爆破には成功したものの自殺に失敗し、韓国に連行され北朝鮮の工作員であることや破壊工作の詳細を自白したことを知ると激怒した。まず、対外調査部長は解任され、前モスクワ駐在大使であった権熙京が降任になった。また金正日が
(以下引用)「いつでも女性が問題を起すのだ。女性工作員の数を大幅に削減しろ!」

と命令し、女性工作員の訓練地区であった10号棟双鷹地区を完全に閉鎖した。一時期は北朝鮮のスパイ組織である3号庁舎で女性工作員をまったく採用しなくなった。さらに、大韓航空機爆破事件から3年後の1991年6月、金賢姫の手記『金賢姫全告白 いま、女として』が発行されるや、日本語版が北朝鮮に輸入された後朝鮮語に再翻訳され、教官や安明進を含む大学関係者が読んだとされる。金正日も同書を読み、金賢姫の転向は大学の教育が間違っているせいだ、と指摘した。金賢姫は「韓国は乞食と娼婦があふれていると教育されてきたが、実際の韓国の豊かさや自由を見て北朝鮮当局に騙されていたことを悟り転向した」と綴っている。その結果、金正日政治軍事大学では、韓国の実情を具体的に生徒に知らせる教育が始まった。一方で、安明進のように、北朝鮮の現状に疑問を持つ工作員を生むことになった。また金賢姫が死刑判決後特赦を受けたことも、亡命への希望を持たせることとなった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6

金賢姫のその後

金賢姫は韓国における1年間の取調べの後、「トランジスターラジオにセットした時限爆弾で858便を爆破した」と認定され、韓国の国家保安法、航空法、航空機運航安全法違反で1989年2月3日に起訴された。韓国の裁判所は一・二審とも死刑判決を下し、1990年3月27日に確定した。しかし盧泰愚大統領は「事件の生き証人」という政治的な配慮から、事件遺族の抗議の中、4月12日に特赦した。また5月には内外の記者との会見が行われ、自己批判と北朝鮮の体制批判をした。この時に飛び出した話の一つが前述の「李恩恵」の話であった。その後、1997年に韓国国家安全企画部(現・国家情報院)部員と結婚し子供も授かったほか、自伝も出版した。なお金に対し日本では「元死刑囚」ないし「元工作員」という呼称がつけられて報道されている。

1997年以降は公式の場から姿を消していたが、これは盧武鉉など革新政権が北朝鮮に融和的な政策を取っており、金の存在を目立たなくするための措置との指摘[22]もある。2004年12月、ソウルの検察当局は訴訟を受けて、事件関連記録のうち個人情報関係を除く全てについて公開を決定した。これについて金は、北朝鮮の工作員として関与した事件を否定するようにとの当時の韓国政府からの圧力だったと後に主張している。

2008年には金が当時の政権によって捏造されたとする説に対して知人あての手紙を通じて反論している。この手紙は北韓民主化フォーラムの李東馥代表の手に渡り、11月25日に自身のホームページで内容を公開した。それによれば、金は2003年にある報道番組への出演を要請されたが、当時は盧武鉉政権下で国家情報院といった政府機関やマスコミが事件捏造説を盛り上げていたこと、前述の番組を放送するテレビ局が政権寄りだったことから、出演すれば事件に関して偽証していると仕立て上げられることを警戒し、出演を拒否したこと、さらに番組への出演を断ったためか非公開のはずの自宅にマスコミが押しかけるなど嫌がらせを受けたと主張している[24]。
2009年3月11日に釜山で田口八重子の兄および実子と会談したが、この場において金は「大韓航空機爆破事件は私がやったことだ。北朝鮮によるテロに間違いない」とした後に、一部から出ている捏造説を「残念だ」と一蹴した。また「盧武鉉政権時代に、情報機関の国家情報院に、捏造説を認めるよう強いられていた」という趣旨の発言をして、捏造であったことを認めるように迫られたと主張している。

なお、金は現在に至るまで事件の犠牲者遺族と対面や対話などをしていない。そのため、日本人拉致被害者と会談するにあたり、遺族会が韓国政府に金が事件の遺族に会わないことを非難する申し入れをしたという。

事件当時、アンゴラ駐在の北朝鮮貿易代表部の水産代表だったとされる金の父一家の消息は事件後不明となっており、強制収容所にいるという説があったが、2012年1月にアジアプレス・ネットワークが伝えるところでは、一家と親しかった脱北者の話として支配階層が居住する平壌から、1988年に日本海側にある咸鏡北道・清津市に一家は強制移住させられ現在も厳しい監視下におかれているという。それによれば父と姉は死亡、母は高齢であるが生存しており、大学を中退させられた弟一家が生活を支えているという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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