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「壕の中は地獄でした。」元ひめゆり学徒による講話が終了

太平洋戦争末期の沖縄戦で、兵士の看護などにあたった女学生「ひめゆり学徒隊」。その生存者の方々は、戦争の体験を次世代に伝えるべく「講話」を続けてこられました。しかし語り部の高齢化などにより、3月いっぱいで講話は終了となりました。

更新日: 2015年04月08日

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morintaroさん

■元ひめゆり学徒による「講話」が終了した

ひめゆり平和祈念資料館で、1989年の開館以来続けてきた元ひめゆり学徒(証言員)の体験講話が終了した。

ひめゆり平和祈念館の学徒隊の生存者からの講話もうしなくなっちゃったの???わ~・・・これから修学旅行で行く学生とかどんどん生の話が聞けなくなく時代になってくるんだなあ・・・

■第二次大戦末期、地上戦が繰り広げられた沖縄

島民の4人に1人が亡くなったとされる「沖縄戦」

1945(昭和20)年の4月、沖縄に米軍が上陸し、熾烈な地上戦が展開されました

▼看護に駆り出された女学生「ひめゆり学徒隊」

負傷兵の看護に動員された「ひめゆり学徒隊」は、第1高女と沖縄師範女子部の15~19歳の女子学生220人

ほかに白梅学徒隊・なごらん学徒隊・瑞泉学徒隊・積徳学徒隊・悌梧学徒隊・宮古高女学徒隊・八重山高女学徒隊・八重農学徒隊と、全部で8つの学徒隊が存在した。

「ひめゆり学徒隊」がよく知られていますが、他にも学徒隊が\はありました。

▼凄惨を極める戦い、無我夢中で看護にあたった学徒隊の女学生たち

(映画『あゝひめゆりの塔』(1968年)より)

ある女子は一晩に80人の手足の切断手術を手伝ったという。

「壕ごうの中は地獄でした。薬を節約するため麻酔なしで(手足を)切断し、『殺せ、殺せ』と悲鳴が聞こえました」

▼ひめゆり学徒隊は、半数以上が亡くなった

日本軍の解散命令により、ただ逃げ惑うことを余儀なくされた彼女たち。

(映画『あゝひめゆりの塔』(1968年)より)

中でも悲惨をきわめたのは、従軍看護婦として戦争に参加したひめゆり学徒たちの最後であった。

222名の生徒のうち、123名が死亡。そのうち107名は解散命令後死亡した。

米軍の捕虜になるくらいならと、自ら命を絶った女学生もいた。

■ひめゆりの生存者たちは戦後、「講話」を続けてきた

近年、修学旅行で沖縄へ行く学校が増え、その時に講話を聞くという体験をした人は多いはず。

元学徒らは沖縄戦の実相を伝えるため、1989年に「ひめゆり平和祈念資料館」を設立した。

▼この「講話」は修学旅行生をはじめ、多くの人が戦争を知る機会に

高校の修学旅行で話をしていただいて、すごく影響を受けた。偏差値高い高校じゃなかったけど、学年の全員がシーンとなって聞いてたのをおぼえてる。→ 語り継ぐ「ひめゆり」の記憶=元学徒ら高齢化、講話終了―沖縄戦から70年(時事通信) - headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150322-…

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