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プロレタリア文学の旗手

生年月日:1903年10月13日

出身地:秋田県

最終学歴:小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)

学生時代から創作に親しみ、文芸誌への投稿など文学活動に積極的に取り組んだ。

多喜二は、貧しい人の味方となって小説を書き、武器を作るお金で皆に白い米のご飯を、と反戦を訴え続けた。

「一九二八年三月十五日」「蟹工船」「党生活者」など労働運動・革命運動の現実を書いた。

プロレタリア文学…個人主義的な文学を否定し、社会主義思想や共産主義思想と結びついた文学である。戦前の日本文学の潮流の一つ。(wikiより)

特高警察による暴力を告発

治安維持法により逮捕された人間に対し特高警察が加えた暴行を告発した『一九二八年三月十五日』を「戦旗」に発表した。

作品中の特高警察による拷問の描写が、特高警察の憤激を買い、後に拷問死させられる引き金となった。

■特別高等警察とは

国体護持のために無政府主義者、共産主義者、社会主義者、および国家の存在を否認するものを査察・内偵し、取り締まることを目的とした日本の秘密警察及び政治警察。「票読み一つ誤らない」と恐れられた緻密さを持ち、ことに戦時中は、「銭湯の冗談も筒抜けになる」とまで言われた。戦後GHQによって廃止された。

出典:特別高等警察ーwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E9%AB%98%E7%AD%89%E8%AD%A6%E5%AF%9F

残酷な拷問の果てに…

多喜二は明るい性格で、とても話し好きな人物であったという

1933年2月20日、同志と会うために都内の路上にいた所を、スパイの通報によって逮捕される。

転向(思想を変えること)をあくまでも拒否した小林は、特高警察の拷問によって虐殺された。

警察当局は「心臓麻痺」による死と発表したが、翌日遺族に返された小林の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。

母親の元へ

母親は多喜二の身体に抱きすがった。「嗚呼、痛ましい…よくも人の大事な息子を、こんなになぶり殺しにできたもんだ」。そして傷痕を撫でさすりながら「どこがせつなかった?どこがせつなかった?」と泣いた。やがて涙は慟哭となった。「それ、もう一度立たねか、みんなのためもう一度立たねか!」。

再評価

海軍の保護のもとオホーツク海で操業する蟹工船は、乗員たちに過酷な労働を強いて暴利を貪っていた。“国策"の名によってすべての人権を剥奪された未組織労働者のストライキを扱い、帝国主義日本の一断面を抉る「蟹工船」。
近代的軍需工場の計画的な争議を、地下生活者としての体験を通して描いた「党生活者」。
日本プロレタリア文学を代表する名作2編。
(紹介文より)

若い世代における非正規雇用の増大と働く貧困層の拡大、低賃金長時間労働の蔓延などの社会経済的背景のもとに、2008年には『蟹工船』が再評価され、新潮文庫の『蟹工船・党生活者』が50万部以上のベストセラーになった。

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