1. まとめトップ

【阪急返せ】呪われた不幸な球団・オリックス【近鉄返せ】

何もかも不幸で本当に運のない呪われたチームがオリックスだ。連敗するわドラフトも抽選外れや拒否られマスコミにスルーされネットでは中傷の標的にされ日本代表に選ばれないわ…元は阪急ブレーブスという阪急が大切にしていた球団。そして近鉄バファローズも近鉄が大切にしていた。これを金貸し企業が買収した時点で…

更新日: 2017年11月15日

tomo3578さん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
2 お気に入り 57868 view
お気に入り追加

もともとは阪急の父・小林一三翁が愛していた絶対に買収させないチームだった。

小林一三は、阪神に対してある恨みを抱いていたのである。
原因は中等野球、つまり現在の高校野球だった。

第1回全国中等学校優勝野球大会(現:全国高等学校野球選手権大会=夏の甲子園)が行われたのは1915年(大正4年)のことだ。
全国大会の会場となったのが、阪急の前身である箕面有馬電気軌道の沿線にあった豊中グラウンドである。
この頃の箕面有馬電軌は単線の田舎電車、豊中グラウンドも粗末なものだったので大勢の客をさばききれず、僅か2年で豊中グラウンドの使用を諦めた。

そして、白羽の矢が立ったのが阪神沿線の鳴尾競馬場だったのである。
鳴尾競馬場に二面のグラウンドを設置して、大観衆に対応しようとしたのだ。
複線路線を持ち、大勢の競馬客に慣れている阪神電車が、人気の高まりつつあった中等野球にうってつけだったのである。
小林一三は阪神に中等野球を持って行かれて、相当悔しかったに違いない。
そう考えると、大阪~神戸間に電車を走らせようとしたのも頷ける。
やはり大都市間に電車を走らせないと、商売にならないのだ。

婿養子である阪急元会長小林公平は義父である小林一三翁の残した、「阪急ブレーブスと宝塚歌劇団は絶対に手放すな!」との言葉を守らず、一三翁が死去するや否や、たった4年前にリーグ優勝したばかりの名門球団である阪急ブレーブスを1988年=昭和63年10月19日にオリックス(当時オリエントリース)にあっさり売却。その反面、自身が寵愛していた「宝塚歌劇団」には赤字続きでも手厚い保護を続ける。それは、「宝塚歌劇」>>>>>∞>>>>>「阪急ブレーブス」という彼の至極単純極まりない単独価値観から来るものだった。そればかりか彼は、親会社である阪急電鉄(株)の経営まで傾かせたのである。そして、オリックスに球団を売却しても尚「ブレーブス」の商標を保持し続け現在に至るのである。更に、西宮球場と併せ膨大な金をオリックスに要求。その後のパシフィック・リーグの衰退は見ての通りである。
 日本プロ野球史を語るに於いて、阪急電鉄(株)元会長である小林公平の犯した罪は限りなく大きい!

関西の阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)の社長である小林一三が、日本運動協会を引き取ろうと申し出たのだ。
協会は兵庫県の宝塚に移転、宝塚球場を本拠地とする宝塚運動協会が再結成される。
小林一三は元々プロ野球には関心を持っており、実は日本運動協会が発足する4年前の1916年(大正5年)、河野安通志にプロ野球チームを作らないか、と持ち掛けていたのである。
その時は時期尚早として河野安通志は断ったが、4年後にはそれが現実のものとなったのだから、小林一三の言葉が頭に残っていたに違いない。
小林一三は宝塚運動協会を発足させてからも、日本運動協会の理念を受け継ぎ、選手には社会教育を徹底させた。

日本運動協会を引き取った小林一三は、1924年(大正13年)に宝塚運動協会というプロ野球チームを設立した。

宝塚協会は日本運動協会の流れを汲むものだから、宝塚協会も日本最初のプロ野球チームと言えなくもない。

この頃、中等野球を阪神に取られた悔しさからか、1922年(大正11年)に宝塚球場を既に完成させていた。

この宝塚球場が宝塚協会の本拠地になったのは言うまでもない。

また小林一三は、日本運動協会が解散する前年の1923年(大正12年)には、鉄道リーグ構想をぶち上げている。
関西から阪急、阪神電気鉄道、京阪電気鉄道、大阪鉄道(現:近畿日本鉄道=近鉄)、東京から京成電鉄と東京横浜電鉄(現:東京急行電鉄=東急)という鉄道会社によりプロ野球リーグを創設するというものだ。
小林一三は日本職業野球連盟が発足した1936年(昭和11年)に阪急軍(後の阪急ブレーブス、現:オリックス・バファローズ)を創設したのはよく知られているが、実は鉄道リーグが実現しかけたことがあった。
戦後、プロ野球が2リーグに分裂した1950年(昭和25年)から4年間、パシフィック・リーグは阪急ブレーブスの他に南海ホークス、東急フライヤーズ、近鉄パールス、西鉄ライオンズと、7球団中5球団も親会社が鉄道会社だったのである。
これでもし、パ・リーグの残り2球団の代わりに、セントラル・リーグから大阪タイガース(親会社は阪神電鉄)と国鉄スワローズが加入していれば、完全な鉄道リーグだった。
それはずっと後の時代のことだったが、小林一三にとって宝塚運動協会は、鉄道リーグ実現への第一歩だったのである。

小林一三の口癖は「タイガースには絶対に負けるな!」だったのである。

実は巨人軍が発足する以前に、日本にはプロ野球チームが存在したのである。
それが日本運動協会だ。
もっとも、日本運動協会は現在の日本プロ野球(NPB)とは全く関係がない。

近鉄バファローズも、人気や実力は、実はライオンズ、ホークスより上だった。

近鉄球団がプロ野球に参入したのは戦後の2リーグ分裂後だが、実は親会社の近畿日本鉄道(近鉄)は戦時中に一度だけプロ球団を所有したことがある。



戦前、近鉄は関西急行鉄道(関急)と名乗っていたが、戦時中に国(軍部)からの強い要請により南海鉄道と合併し、近畿日本鉄道と名乗るようになったのだ。

この時、既に南海鉄道は南海軍というプロ野球チームを保有しており、近鉄がそれを引き継ぐ形でチーム名も近畿日本軍となったのである。

1 2 3 4 5 ... 17 18





tomo3578さん