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kawauso7777さん

張松

蜀の臣だが、出世が見込めない劉璋に愛想を尽かし、
荊州の劉備を引き入れようと画策。
計略は成功するが、劉備が中々成都を攻めないのに
業を煮やして催促の手紙を送り、これがバレて
兄の手で劉璋に手紙を暴露され家族は皆殺しにあう。

曹操の孟徳新書を一度読んだだけで暗記できる程の秀才だが空気は読めなかった。

曹豹

徐州の陶謙が劉備に州牧の座を譲った後、袁術を討伐にいった劉備の留守として張飛と下邳に残る。

そこで張飛が禁止されていた飲酒を始めたので、
注意すると逆切れした張飛に殴られ、その腹いせで
呂布と内応し、下邳を呂布に奪わせる。

その後、張飛に
「お前を生かしては兄者に会わせる顔がない」
と追われ、背後から突き殺される。

正史では死んだという記述はない、、
三国志全キャラクタ―中、最低の能力値だった事があり、神武将曹豹と言われる。

王朗

王朗は会稽郡の太守だったが、孫策の攻撃で曹操に投降、曹丕の時代には、献帝に強引に禅譲をせまり、後漢を滅亡させた。

戦場で孔明にまみえた王朗は、孔明を魏に盾突く、
「蜀の農夫」と罵倒するが、孔明は元々は漢の臣でありながら、曹丕に加担して後漢を滅ぼした王朗を恥知らずとサイコアタックし、図星をさされた王朗は、ショックで血を吐いて死亡する。

でなきゃいいのに・・・・

裵元紹

裵元紹は、関羽の忠実な家来である周倉の友達。
元々が馬泥棒で関羽の赤兎馬を盗もうとするが、
周倉に、常々聴かされていた関羽の馬だと聴くと
改心し、関羽の家来になろうとするが、、
関羽は後で迎えを寄こすから暫く待てと言い捨て
周倉だけを連れて出発。

そこに、今度は趙雲がやってくると、
この裵元紹、馬泥棒の性に抗えず
馬を盗もうとして趙雲にバッサリ!!

周倉は、三国志演義で名前が残ったのに、、トホホな裵元紹

もう少し、辛抱強かったら周倉と同じく関羽の配下として
メジャーになっていたかもね、、

夏候恩

三国志演義 41回、長坂の戦いで登場。
曹操の寵臣という触れ込みだが、趙雲にあっさり斬殺されて
青虹の剣を奪われる、それだけの役割…

夏候傑

夏候恩と同じく、長坂の戦いで登場、一人で橋を守る張飛に挑むが、
張飛の大喝に馬が怯えて落馬、そのまま打ち所が悪く最期を迎える。

正史には登場しない、やられる為に出てきた武将。

こちらのはじめての三国志でも、
三国志、最弱武将として登場

許儀

曹操のボディーガードとして有名な許褚の息子、
西暦263年、魏の鐘会が蜀へ侵攻すべく軍を興すと、
討伐軍に参加して、蜀までの桟橋の整備を任される。

しかし、鐘会の愛馬が、桟橋でつまづいて落馬、、
鐘会は、許儀の整備の不備を責めて、これを斬首した。
2世はつらい、、

袁譚

袁紹の実子だが養子に出ていた為に当初後継者から外れていた。
しかし、袁紹が後継者を明確にしない間に死去したので、
弟袁尚と後継者争いを繰り広げる。

形成が不利になると父の仇敵、曹操を頼って袁尚を撃破するなど
なりふり構わないジョーカーぶりを発揮、、

兄弟同士で争い自滅していった袁家、、
曹操にとっては笑いがとまらない

揚修

母方の姻戚が袁術に繋がる名門の出身。
曹操が漢中攻略戦で苦戦し、鶏肋と口走った時に、
その意味を誰もが解せないなか、
一人その意味を解き撤退の準備を開始した。

鶏のあばら骨は、ダシを取れるので捨てるには惜しいが
さりとて肉が無いので強いてまでは要らない。

これを漢中に引っ掛けて撤退しようとしていると
揚修は読んだのである。

が、ただ一人だけ揚修が、その謎を解いた事を
曹操は恐れ、これを殺害した。

出る杭は打たれる、、、、、

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