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romonさん

性の風習

日本各地に存在した風習で、本来は男が女の寝所へ行くことで求婚の呼びかけを行う意味があった。

昔は『性教育』、『相互扶助』『ハレ(欲求やストレスの発散)』のため、村の生活システムに組み込まれていたものが少なくありません。

男は前もって女に対し夜這いに行くことを通告しなければならなかったし、部屋の戸を開けるか開けないか受け入れるか受け入れないかの選択権は女の方にありました。

歴史

元々は【呼ばう】が訛ったもので、平安時代の『妻訪い婚』において、夜中に相手のもとを訪ねて求婚する段階を指した。

以後、集落などの共同体では徐々に常習化していき、一種の“性教育”や“成人の儀式”として主に地方で広まっていくこととなった。

大切な仕組み

村の若者たちの結婚を促進し、出産を通じて農村の働き手を生むための大切な仕組みだった。

元々『若者組』と言われる青年会のようなものが各地にあり、そこには“秩序”が存在した。

時代や地域、各社会層により多様な状況であり、共同体(ムラ)ごとの掟に従う必要はあった。ただしその共同体の掟に従わねば、制裁が行われることもあった。

衰退

明治維新には近代化が図られ、明治政府が富国強兵の一環として国民道徳向上の名目で、一夫一妻制の確立、純潔思想の普及を強行し夜這い弾圧の法的基盤を整備した。

時代が移り変わり嫁入り婚が主流となっていくにつれ夜這いの風習は非道徳的なイメージが付いて周るようになり、やがて求婚にまつわる意味合いは無くなって単純に寝ている誰かの元を訪れる事を指すようになった。

1938年(昭和13年)に起きた津山事件について「娯楽に恵まれない山村特有の『男女関係』」と報じるなど、夜這いは否定的に見られるようになっていった。

津山事件

昭和十三年岡山県内の農村で起こった、青年・都井睦雄が、一夜のうちに村人三十人を殺害した大量殺人事件。

事件の前年、1937年に徴兵検査を受けた際に、結核を理由に丙種合格(実質上の不合格)とされた。 当時の徴兵検査は一種のステータスであり、これに落ちるということは相当な恥であった。

特に、以前から夜這いで関係を持っていた女性達に蔑ろにされるようになったことは、睦雄がこの事件を起こす最大の引き金になったと言われている。

ブータンの「ナイトハンティング」

ブータンで「ナイトハンティング」と呼ばれる文化――つまり日本でいう“夜這い”である。都市部ではさすがに自粛されてきましたが、地方の村ではまだ残っているみたい。男の子が15歳前後になると、兄弟や従兄なんかに誘われて夜這いにいく。

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