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日本人が知るべき【鉄道重大事故7選】

福知山線脱線事故から10年。実は日本の鉄道史には他にも多くの重大事故が過去に存在します。日本の鉄道はこれらの事故から何を学び、どのような対策が講じられたのかをまとめました。

更新日: 2015年05月21日

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chichi88さん

鉄道先進国のウラには、過去の教訓がある

日本の鉄道システムは世界一と言いても過言ではありません。しかし、「安全」の裏側には過去の事故の教訓があることを知ることが大事です。

記憶に新しい【福知山線列車脱線転覆事故】

2005年(平成17年)4月25日 9時18分頃
兵庫県尼崎市のJR西日本福知山線(JR宝塚線)・塚口 - 尼崎間の曲線で、列車の遅延回復のための速度超過運転などが原因となり、宝塚発同志社前行きの上り5418M快速列車(207系電車7両編成)が脱線・転覆。特に最前方の2両は脱線・転覆後、線路脇のマンションに激突し、これに巻きつく形で大破した。

この事故で運転士1名と乗客106名が死亡し、562名が負傷した。死者の数は鉄道事故としてはJR発足以降最悪で、鉄道事故全般では歴代7番目に多い。

同事故においては多くの問題が指摘された。
国鉄時代から並行する阪急電鉄などの関西私鉄各社との激しい競争にさらされており、その影響からか、民営化後のJR西日本にも競合する私鉄各社への対抗意識が強かったとされて、私鉄各社との競争に打ち勝つことを意識するあまり、スピードアップによる所要時間短縮や運転本数増加など、目前のサービスや利益だけを優先し、安全対策が充分ではなかったと考えられる。

誤操作が招いた脱線火災【西成線列車脱線火災事故】

通常、分岐器には、鎖錠装置という安全装置が付けられており、列車通過中は分岐器が固定され、切り替えることができなくなる。しかし当時の西成線にはこの装置が付けられていなかった。

1940年(昭和15年)1月29日 6時56分
西成線(現・桜島線)安治川口駅構内で、駅員の誤操作により列車通過中にポイントが転換したため、通勤客で満員のガソリン動車(ガソリンカー)3両編成のうち最後尾の1両(キハ42000形42056号車)が2対のレールにまたがったまま走行し、踏切付近の構築物に衝突して脱線・転覆。

燃料のガソリンへの引火により火災が発生し、満員のまま横転した車両で189名が焼死・69名が負傷した。

人間が通常ありえない操作を意図的に行うことを前提にして、人間のミスが重大な結果を招かないようにする「フェイルセーフ」が重要視されていなかった。安全工学上の思想であるフェイルセーフ思想が当時乏しかったのは否めないが、信号掛のミスを事故に直結させないようにする手段が欠けていたといえる。

独断と勘違いから起きた人為的ミス【八高線列車正面衝突事故】

終戦直後の混乱期のため、列車は通勤通学客に復員兵や疎開先から自宅に帰る人たちも加えて満員で、その多数の乗客が衝突により多摩川の濁流に流された。

1945年(昭和20年)8月24日 7時40分頃
八高線小宮駅 - 拝島駅間の多摩川橋梁中央部において上り列車と下り列車(両列車とも機関車1両、客車5両)が正面衝突し、客車が川に転落。少なくとも105名の死亡、67名の重軽傷者が確認された。

原因は、小宮駅 - 拝島駅間での列車の運転の連絡不備による人為的なものとされている。

当事故の原因は、多少の運輸に関する知識が必要なため、気になる方は下のサイトを参照してください。

客車の構造脆弱性を問う事故【八高線列車脱線転覆事故】

1947年(昭和22年)2月25日 7時50分
八高線東飯能駅 - 高麗川駅間の20‰下り勾配で、C57 93が牽引する超満員(屋根の上に乗客を乗せざるを得ないという異常ともいえる運転状態が常態化していた)の乗客を乗せた、八王子発高崎行き、6両編成の客車列車が過速度により半径250mの曲線を曲がりきれずに後部4両が脱線し、築堤上から5.6m下の畑に転落。客車の木造車体が大破し、184名が死亡し495名が負傷するという大事故となった。

死傷者の大部分は食料買出し目的の乗客だった。列車は超満員の乗客によって加重されたことにより、下り勾配で十分なブレーキが効かず、車両は事故の直前、左右に激しく揺れていた。

この事故で、事故車両が木造客車だったために被害が拡大したことからその脆弱性が問題視され、木造車の淘汰が決定したが、鋼製客車の新規製造のみによる置き換えはコスト的に困難だったため、木造客車の台車と台枠を再利用し、その上に鋼製車体を載せる鋼体化改造が実施されることになった。

鉄道史でもっとも有名な火災事故【桜木町事故】

乗客はドアが開かなかったため脱出できず、多くの死傷者を出した。

1951年(昭和26年)4月24日
京浜線の電車(モハ63形、5両編成1271B列車)が、桜木町駅構内で碍子交換工事中に誤って切断され、垂れ下がっていた架線に接触し、電流の地絡により炎上。先頭車が全焼、2両目が半焼し、死者106名、重傷者92名を出す大事故となった。

事故後、自動扉つきの客車内には乗降扉非常圧搾空気開放弁(非常ドアコック)の設置と表示が義務化され、緊急時にドアを乗客が手動で開けられるよう法律が改正された。

出典yaplog.jp

非常時以外に取り扱うと、法律により罰せられます。

同年7月2日、運輸省令第55号として「運転の安全の確保に関する省令」が定められ、安全綱領がそこに明記された。

安全は輸送業務の最大の使命である。
安全の確保は規定の遵守及び執務の厳正から始まり不断の修練によって築き上げられる。
確認の励行と連絡の徹底は安全の確保に最も大切である。
安全のためには職責をこえて一致協力しなければならない。
疑わしい時は手落ちなく考えて最も安全と認められるみちを採らなければならない。

自動列車停止装置・列車無線の設置を推進【三河島事故】

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