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前園真聖の現役時代ってどんな選手だったの!?

サッカーファンだけでなくても誰もが知ってる、すっかりお茶の間の人気者になったサッカー日本代表の前園真聖さん。そんな前園さんの現役時代はどんな選手だったのか、まとめてみました

更新日: 2016年10月09日

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Albeltさん

前園真聖とは

4歳年上の兄の影響で小1からサッカーをはじめる

1982年W杯でのマラドーナのプレーに衝撃を受けたこともあってドリブルの練習に明け暮れていたという。

鹿児島実高では1年生時からレギュラーに定着。2年生時の69回大会では準優勝を果たす。

Jリーグへ

1992年、Jリーグの横浜フリューゲルスに加入。

1年目は加茂周の目指すゾーンプレスサッカーへの適応に戸惑い、持ち味を出せないままサテライトチームで1年を過ごす

Jリーグ初年度の開幕を控えた1993年前半にアルゼンチンのヒムナシア・ラ・プラタへ2ヵ月間短期留学

サッカーに対する姿勢を変えたアルゼンチン留学だったという、

帰国後、当時の日本人では珍しく、2人3人とかわしていく鋭いドリブルに加えて正確なパスセンス、フリーキックで多くのサポーターを沸かせた。

28年ぶりのオリンピックへ

1994年1月、西野朗監督率いるU-21日本代表へ召集され、キャプテンに就任

その中でも、キャプテンだったMF前園真聖の活躍は際立っていた。1996年3月24日に行われたアトランタ五輪のアジア最終予選の準決勝。アジア最強と言われたサウジアラビアを相手にMF前園真聖は2ゴールの大活躍を見せた。

日本を1968年メキシコシティ大会以来、7大会(28年)ぶりのオリンピック本大会出場権獲得に導いた。

当時の日本サッカーは、ワールドカップの本大会に出場した経験はなかった。オリンピックからもメキシコ五輪以来、28年間、遠ざかっていた。今では、ワールドカップ出場も、オリンピック出場も、当たり前の出来事のようになってしまったが、当時のスタンダードでは、オリンピック出場は夢であり快挙といえた。

そして96アトランタオリンピック本大会に出場。日本はグループリーグ初戦で金メダル候補のブラジルから大金星を挙げ、マイアミの奇跡を起こした。

試合直後、前園は「これが世界レベルか、かなわないな」と世界との差を実感し、海外でプレーすることを決意したという

そんなときにスペインリーグのセビージャから移籍のオファーがあり、本人もスペインに挑戦するつもりで準備を始めていたが、交渉決裂

当時は今のように海外移籍する日本のサッカー選手もいなければ、チーム間の交渉を行ってくれるエージェント(代理人)もいなかったという。

セビージャへの移籍の可能性が消滅したことで、前園は著しくモチベーションを落とし、結局、日本人選手としては過去最高の移籍金4億でヴェルディ川崎へ移籍。ここからキャリアは降下へたどっていくことになる

ヴェルディ川崎は1997年開幕から不振が続き、夢だったスペイン移籍が叶わなかったことにより気持ちが切れてしまい、精神的な不調がプレー全体に悪影響を及ぼしていたという。

ヴェルディ川崎はJリーグ創成期こそ強豪としての地位を保っていたが、その後ベテランから若手への切り替えに失敗。この頃は弱体化の道を辿っていくところだった。そして前園もまた、その流れに呑み込まれてしまった。

そして、仏ワールドカップに控えた1997年、日本代表からも外れることになる。その代わりに日本代表に召集されて攻撃的MFのポジションを確保したのは、20歳のMF中田英寿だったという

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