1. まとめトップ

議員による「さいたまトリエンナーレ」発言集2

さいたま市議の会議録から抜粋した発言集 第2弾!

更新日: 2016年07月13日

2 お気に入り 1756 view
お気に入り追加

福島正道議員
今医療機関で芸術をというのが多少はやってきて、市長にも、昨年、一昨年、来ていただいたように、市内には医療機関いっぱいありますし、絵描きがいっぱいいるので、トリエンナーレの中で、そういうところに集めた絵を展示してやると、お互いに喜ぶだろう

三神尊志市民生活委員長
成長発展の段階から成熟の段階を迎えた社会では、目に見えないものの大切さがより重視され、それを目に見えるように橋渡しをするのが芸術だと考える。トリエンナーレの開催に当たっては、その視点が大切であると思う。

島崎豊委員
自転車競技もやめて、トリエンナーレもやめて、それからマラソンも国際はやめて、私、適当に計算をしてみましたが、7億円から最大10億円くらい浮くのだとすると、市民の世帯当たり1,500円とか2,000円近くのお金が浮く

文化振興課長
さいたまトリエンナーレ、これを2020年東京五輪文化プログラムの一つの事業としたいと考えております。

新藤信夫委員
トリエンナーレの中には、さいたま市が旧市の時代から大事にしてきた文化、芸術というものが当然あるわけで、そういったものをまず一つは発信しなければいけない

市民生活部長
予算額1億2,226万5,000円で、国際芸術祭さいたまトリエンナーレ2016の平成28年度開催に向けて、その機運醸成のためのプレイベントの開催や、さいたまトリエンナーレ2016への参加アーティストの招聘、広報・PR活動を実施いたします。

芹沢高志参考人
今トリエンナーレや文化芸術が、都市とどういう関係になっているのかということを、多少、狭い経験ですけれども、それをお伝えして、そしてこのさいたま市で開かれるトリエンナーレというのがどういうものであるべきかということを、まだオーソライズはされていないのですけれども、私のほうから、こんなことを考えたいということをこの場で御説明いたしまして、皆様の御意見をいただいて、だんだんいいものにしていきたいなと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

芹沢高志参考人
実は、こういう国際美術展であったり、ビエンナーレ、トリエンナーレと、今非常に日本全国でも盛んに行われております。私がこういうもので最初にやったものは、2002年に北海道帯広市で開かれましたデメーテルという展覧会の総合ディレクターをやったのが最初でございました。ここは余り深入りしませんけれども、非常におもしろい場所が見つかりまして、帯広競馬場を使いました。その競馬場に、帯広の開拓時代からの風景が残っているのが非常におもしろくて、市民の方にそういう風景の中を歩いていただこうと考えまして、国際的に活躍しているアーティストをお呼びして作品をつくって、そこに点在させていく。それを観客は見て回ると、その風景の中を歩いていくということをやりました。

芹沢高志参考人
その後2005年に、今現在も一番新しい横浜トリエンナーレが開かれておりますけれども、その2005年のときの、このときは総合ディレクターとして、川俣正という国際的に活躍しているアーティストが総合ディレクターをやったときですけれども、それを手伝うということになりまして、ディレクターの一人としてこれに参加しました。このとき使ったのは、横浜市の山下埠頭、実際に現役で使われている倉庫2つを、このときに関して空にして展示場に利用したのです。でも、それと同時に、山下埠頭は市内からは離れているので、市内にいろいろなサテライトをつくって市民の方たちに触れ合う、そういう場を幾つも用意しました。そのときの経験というのは、今回さいたまでも利用したいと考えております。

芹沢高志参考人
ディレクターはなかなか肉体的にもハードな仕事でございまして、3年に一度やるのがやっとかなというようなことなので、3年に一度ぐらいになっておりますけれども、それが終わってから今度は別府市のNPO法人に呼ばれて、お手元の資料で、今度この(仮称)さいたまトリエンナーレの総合アドバイザーを務めていらっしゃいます加藤種男さんと、それから地元の山出淳也さんという別府のアートNPO法人があり、代表の山出さんが今度、埼玉会館で対談するといったようなチラシもお配りしておりますけれども、この山出さんとともに別府で現代芸術フェスティバルというのを開いていくと。これは、3年に一度開催していくことにしましたので、いわゆるトリエンナーレという格好で進んでおります。

芹沢高志参考人
別府という温泉地ですが、一時は物すごく繁栄したのですが、産業構造とかあるいは旅の構造が随分変わったことによって、まちがなかなか元気がなくなっていると、そこのところで何かやっていこうということで始まりまして、このときは帯広市でやりましたような、競馬場の中にいろいろな作品を置いて観客の方がそれを見て回ると、そのやり方をまち全体に広げてみまして、別府のまちの至るところ、これなんかは老舗の元旅館でございますけれども、そこのところにこういう作品を置いて、そこを訪れて、作品だけを見るのではなくて、まちを歩いていくことによって、まちのおもしろさを発見してもらうというようなことをいたしました。

芹沢高志参考人
3年に一度、何か起こる、そういう催しの開催形式を述べているものでございます。もともと、こういうベネチアビエンナーレとか老舗の欧米で開かれていたビエンナーレ、トリエンナーレというのは当然、大規模な芸術祭、主に美術展という意味で始まり、定着していきましたが、それがちょっとここのところ、この20年ぐらい世界のいろいろな状況の中で意味合いが少し変わってきております。端的に言うと、ビエンナーレ、トリエンナーレというのが、ただの大型の美術展あるいは芸術祭ということをもう少し超えた意味合いを持ち始めたということを、最初にちょっとお伝えしておきたいなと思います。

芹沢高志参考人
特にアジア地域で顕著ですけれども、このビエンナーレとかトリエンナーレの性格がかなり変わり始めてきた。もちろん、やることの中身に関しては、やはりそういうふうに芸術関係、文化芸術のことですけれども、そのよって立つ文脈といいますか位置づけが、多少変わってきた。もっとありていに言うと、その文化振興というか文化の中だけでの問題ではなくて、もう少し広い見地からこれを戦略的に利用していこうという動きが出てまいります。これは、激しさを増す国際的都市間競争と書きましたけれども、現在かなり激しい勢いで展開していますグローバル化と呼ばれている動きの中で、当然アジアの国々、諸都市にしてみても、1990年代から2000年代にかけて、当然自分たちのまちに、例えば欧米に本社を置くいろいろな企業のアジア地区の本社機能を持たせたいとか、いろいろな欲求が出てくるわけです。そのときに、ビジネスにかかわる御本人はお仕事ということであっても、当然、御家族もその都市に移ってくる。

芹沢高志参考人
例えば韓国でも中国でもインドでも台湾でも、いろいろなところで同じような形でシティーセールスが行われて、ぜひここに拠点を置いてほしいという話が、いろいろな政治経済上の問題で出てまいります。そうした競争の一環というとあれなのですけれども、これもちろん弊害もあるうえで聞いていただきたいのですが、そういう都市の魅力を演出する文化的な、非常にソフトなやわらかい道具といいますか装置、魅力の一つとして、さらに言えばソフトなインフラ、やわらかなインフラとして、どうしてもそれを置いておかないと都市の魅力が落ちてしまうというようなことを、皆さん思い始めたのだと思います。

芹沢高志参考人
これは、立派な美術館をつくって、さあというのはもちろん重要なことなのですが、少し考えただけでも美術館1個をつくって、そこにいろいろな作品を収集するというような話になると、非常に大変な作業になりますし、一朝一夕にできる話ではない。そうしてくると、どうしてもイベント的なことになってしまいますが、2年に一度、3年に一度、大きな芸術祭として開いていくというのが、一番手っ取り早いということがあったかと思います。

芹沢高志参考人
いつも例としてよく出されるのがグラスゴーというまちで、たしかあれは1980年のはじめのころだったと思いますが、そのまちは非常に衰退というか、結構見るも無残な状況になっていたのですけれども、どういう戦略をとったかといいますと、その空き家になってしまったところに小さな劇場とかギャラリーとか、そういったものを点在させました。そして、ある中核のところにまとまったアートセンターをつくることによって、そこのところに回遊していく、人が集まって、当然そういうことになると飲み屋とかカフェとかそういったものも周りにできてまいりまして、これによって観光客が非常にふえていったのです。そのグラスゴーは観光収入で再生を果たしまして、これは後々グラスゴーアクションと呼ばれて、いろいろなところで引用されることになりました。

芹沢高志参考人
フランスのナントも、同じように造船業で栄えたまちですけれども、そこも同じような状況になったときに、これは文化芸術から入ったのではなくて、そこの市長がまずとにかく歩けるまちをつくろうということにして、コンパクトなまちをつくろうと考えていったのですが、当然車を締め出して、パーク・アンド・ライドで中に歩いていくようにするのですが、当然歩いていくと休みたくもなるし、いろいろなところで時間を費やしたくなるということで、結果的に、ではそこのところにギャラリーとか劇場を置いたらどうだということになって、方向は逆のほうから攻めていったのですが、グラスゴーと同じようなやり方をすることによって、ナントは非常にこれも成功いたしました。ナントの場合には、少し避暑地としてのグレードアップもしたもので、ヨーロッパ中のいろいろな所得の高い方たちの別荘地とかそういったものもふえたので、税収が上がっていくと。

芹沢高志参考人
特にヨーロッパではこのように文化芸術を一つの都市戦略の中に位置づけていくということが、1980年代ごろからかなり言われるようになってまいりました。有名なことで、このクリエイティブシティと、きょう翻訳本を持ってまいりましたけれども、チャールズ・ランドリーという人が、これはたしか2000年の本ですけれども、そういうヨーロッパの事例をこのようにたくさん集めまして、紹介していくことによって、この創造的都市、創造都市、クリエイティブシティという考えがかなり定着してまいりました。ちなみに、これを翻訳されたのは、埼玉大学の後藤先生ですけれども、こういう考え方が出てきたと。

芹沢高志参考人
現在、日本の各地で広がっているこのような芸術祭の数というのは物すごい量になっておりまして、しかもこういう大型の経済、投入された規模として1億円以上を使っているものがここに並んでいる、大きいものだと、愛知県では10億円を超えるようなお金、これは県がやっておりますが、そういったようなものもございますが、こういった大型のビエンナーレ、トリエンナーレ以外にも、極端な話、本当にまちのある商店街が2年に一度、何かやるぞとか、1年に一度、何かやるぞというものまで含めたら、本当に半端でない数が現在、日本の中で展開していると思います。

芹沢高志参考人
今こうやっていろいろなまちでトリエンナーレ、ビエンナーレが盛んに行われているということを御紹介しましたけれども、もうちょっと入って、やっている都市の性格を見ていくと、別府とか瀬戸内というのは本当に観光都市なわけですけれども、考えてみれば京都もそういったことですし、越後妻有地域は今まで余り観光地として見てこなかった里山の風景とか、そういったものを観光化したということで画期的だったと思います。帯広は広がっている農業景観を見てほしいとか、いろいろな思惑がございます。神戸市、横浜市、新潟市もそうですけれども、ここは港ということで、港にまつわるいろいろなイメージといったことを強化していくというようなことをしていると思います。ですから、広く見ていくと、都市の観光面を強化してシティーセールスという点で、あるいは都市のアイデンティティーをみんなに広報していくという観点からも、観光という面が、結果的かもしれませんけれども非常に強くなっている。

芹沢高志参考人
今急いでさいたま市のいろいろなところを見せていただいています。もうこの生活都市という位置づけというのは、皆さんの中で議論があるのだと思いますが、改めてこれが観光という、つまり外部の力をかりていくものとまた別の、ダイナミックスのあるまちなんだなということをすごく体で実感し始めました。

芹沢高志参考人
人が生きているということ、その生活といったこと、何か極端に1つ2つの、例えば港とか温泉とかそういったようなもので何かイメージを固めるというよりは、ここで人が生活している、さらに言うとこれが江戸、東京という長い歴史の中でさいたまという場所、大宮、浦和、与野といったような、以前の歴史性ということもひっくるめて、ここが東北とか日光とか、そういったところへの大動脈の中継地点でもあるし、それからいろいろな生産においても江戸、東京を支えたバッファーゾーンでもあるし、ここを見直すということが、何といいますか、大げさに言えば日本の一つの普通の住んでいく行為、それを非常に前面に押し出せるようなところではないかと。

芹沢高志参考人
市民がアーティストと一緒に協働して、自分たちの未来を探していくトリエンナーレと位置づけてみたらどうだろうと。もう一つの未来を夢見る試みとしてとらえたらどうだろう。実は、この夢見るとか探していくということが、実はアートということと物すごく親和性があると思っております。せっかくアートを用いて、このような取り柄のある試みが出ていくのであれば、そうやって夢を見ていくビジョンを持っていくというような試みとして位置づけるべきだし、それはその都市の文脈の中で、文化芸術の振興ということだけではなくて、それだったら美術館とかそういった中で、きちっといい仕事をしていけばいいのだと思いますが、あえてまちを使っていくということであれば、市民たちの自分たちの生きざまを、生き方を、もう一回いろいろな刺激を受けて探っていくような、そのようなトリエンナーレにしてみたらどうだろうと。

1 2 3 4





saitama_watchさん