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【NBA】史上最強のヒール!デトロイト・"バッドボーイズ"・ピストンズ #nba #Pistons

1980年代後半から1990年代前半、フィジカルで激しいディフェンス(しばしば乱闘も)とタフなメンタリティを武器にNBAを震撼させたデトロイト・"バッドボーイズ"・ピストンズまとめ。

更新日: 2015年07月10日

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hakatanotoraさん

1980年代後半から1990年代前半、フィジカルなディフェンスとタフなメンタリティを持ち味に、荒くれ男たち風なイメージから『Bad Boys』と呼ばれ、一世を風靡。

1988-89年と1989-90年にはNBAファイナルを制し、"Back to Back"(2連覇)を達成している。

当時のピストンズは強力なディフェンスと荒いプレイスタイルからバッドボーイズと呼ばれた。

当時のピストンズは強力なディフェンスと荒いプレイスタイルからバッドボーイズと呼ばれた。1988年から3年連続でシカゴ・ブルズの挑戦を退けファイナルズに進出、1989年と1990年に2年連続で優勝した。

強力なディフェンスを敷きしばしば乱暴なプレーを行うチームは「バッド・ボーイズ」としてリーグで恐れられ、忌み嫌われるようになっていた。

この時期のピストンズはジョー・デュマースやジョン・サリー、デニス・ロッドマンを加えていた。デイリー監督の指導により強力なディフェンスを敷きしばしば乱暴なプレーを行うチームは「バッド・ボーイズ」としてリーグで恐れられ、忌み嫌われるようになっていた。

「バッドボーイズ」は激しいディフェンスでリーグを席捲した。

1986年にはジョン・サリーとデニス・ロッドマンがチームに加わり、「バッドボーイズ」と呼ばれるチームの中核メンバーが集まった。

「バッドボーイズ」は激しいディフェンスでリーグを席捲した。チームで唯一の紳士と言われたデュマースを除けば、彼らは必要以上に乱暴で卑怯なチームとしてリーグの大抵の選手に忌み嫌われた。

「勝つために手段を選ばない」「やり方が汚い」

彼らは「勝つために手段を選ばない」「やり方が汚い」とリーグ中で嫌われ、NBAに対し公式に抗議するチームもあった。

バッドボーイズの主な数人だけで他の1チーム分の罰金をリーグに支払っていた。

時にはファールも厭わない、激しいディフェンスで、メンバーは一人一人が、他のNBA1チーム分もの罰金を払っていた。

『バッドボーイズ』の主なメンバーの紹介

No.11 アイザイア・トーマス(PG)

名  前:アイザイア・ロード・トーマス3世
国  籍:アメリカ合衆国
生年月日:1961年4月30日(54歳)
身  長:185cm
体  重:84kg
ポ ジ ション:PG
最終所属:デトロイト・ピストンズ
ドラフト:1981年2位
カレッジ:インディアナ大学
経  歴:デトロイト・ピストンズ

1981年に全体2位でピストンズに指名された

トーマスは1981年に全体2位でピストンズに指名された。この年の1位指名権を持っていたのはダラス・マーベリックスだったが、トーマスはマーベリックスを避けていた。当時弱小だったピストンズへの入団も希望しておらず、故郷のシカゴ・ブルズに関心を持っていたが、ピストンズ球団関係者の説得をかわしきれなかった。

精神的な柱としてこのチームを束ねる

小柄ながら強気なプレイを見せるトーマスは、得点やゲームメイクの面で、そして精神的な柱としてこのチームを束ねる役割を果たしていた。またドリブルの名手でもあり、スティールにも長けていた。

トーマスは(身長184cmはNBAでは)小柄で、年齢よりもかなり若く見える顔立ちをしており、しばしば人好きのしそうな笑顔を見せたが、「バッドボーイズ」のリーダーというイメージとそのプレイスタイルから「微笑んで相手を倒す」と言われた。

No.40 ビル・レインビア(C)

名  前:ウイリアム・レインビア・Jr.
国  籍:アメリカ合衆国
生年月日:1957年5月19日(57歳)
身  長:211cm
体  重:120kg
ポ ジ ション:C
最終所属:デトロイト・ピストンズ
ドラフト:1979年65位
カレッジ:ノートルダム大学
経  歴:ピンティ・イノックス・ブレシア
     クリーブランド・キャバリアーズ
     デトロイト・ピストンズ

(1982年)シーズン途中でデトロイト・ピストンズにトレード

2年目のシーズン途中でデトロイト・ピストンズにトレードされ、これがレインビアの選手生活の転機となった。

デトロイトに移った翌年の1982-83シーズン、レインビアの得点は13.6、リバウンドは12.1とともに二桁に乗せ、このシーズンは初めてオールスター戦に出場した。翌シーズン以降も個人成績は安定し、3年連続でオールスターに選出された。

リーグ有数のリバウンドの名手

レインビアは運動能力に恵まれた選手ではなく、「ジャンプできない白人」の代表のようにからかわれることがあった。しかし状況判断の良さとポジション取りのうまさでリーグ有数のリバウンドの名手だった。

長距離のシュートがうまい長身の選手でもあった

レインビアは当時のアメリカには珍しく、長距離のシュートがうまい長身の選手でもあった。ピストンズが連覇した頃にはスリーポイントシュートの成功率が3割台半ばに達した。

レインビアがしかける強引なディフェンスが問題を引き起こすことも多かった。

レインビアの最大の特徴はその凶暴さ

レインビアの最大の特徴はその凶暴さであった。いかにピストンズの面々とはいえ、審判の見ているところではラフプレーはやらない。しかし、レインビアは平気でやった。

"父親の方が高給な唯一のNBAプレイヤー"と言われていたように大金持ちの生まれ(父親は大企業の重役)で、首になろうが追放されようが平気で、バスケットが嫌いなふしさえあった。

ファウルの笛が鳴った後にさらに一撃

ファウルの笛が鳴った後にさらに一撃を加え、相手選手を床に叩きのめすこともしばしばだった。レインビアがディフェンスの最中に選手の急所を掴んで痛めつける様を写真に撮り、証拠としてリーグに提出するチームもあった。

他の選手やマスコミは、レインビアは運動能力の不足を補うため勝つためには手段を選ばないと評した。

乱暴なプレーが乱闘につながることもあった。試合中にレインビアと乱闘行為を行った選手には、ラリー・バードやロバート・パリッシュ、チャールズ・バークレー、アロンゾ・モーニングなどスター選手も多かった。

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