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「ガダルカナルの戦い」の旧日本軍の大敗北!一木支隊と川口支隊の全滅

ガダルカナルの戦いでは、最初に突入した一木支隊が全滅して、それから川口支隊が全滅しました。旧日本軍が従来から得意としてきた夜間の白兵突撃で銃剣で相手を突き刺す戦法でしたが、アメリカ軍が大量に装備した重火器の下に大量の死者を出して撤退する事になりました。

更新日: 2019年08月16日

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misukiruさん

ガダルカナル島の戦いは、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。

オーストラリアにも近いガダルカナル島

1942年5月に赤道以下に突入して、ガダルカナルに飛行場を作ろうと計画します。日本から6000キロも離れソロモン諸島です。

ガダルカナル島(以下ガ島)の北部だけには平野があったので、ここに飛行場を造れるのです。

日本側はガダルカナルへ少数の通信社のスタッフを送り込んでいたようだが、彼らが残した映像はとても少ない。

*旧日本軍は、過去より情報にはとても疎いものがありました。

赤道を超えて南に進軍

1942年時点においては、日本軍の前線は太平洋の半分を支配する広大な地域に及んでいました。「米豪分断作戦」の始まりです。

アメリカという国を全然知らないから、敵は弱いものという、無謀な精神論が横逸していた。

アメリカ軍は日曜日は休日でダンスやなんならで戦わないから日曜日までに片付く。そんな思いが兵隊の全員に行き渡っていた。

(アメリカとオーストラリア)両国の間に「楔」を打ち込み、その軍事的連携を遮断してオーストラリアを孤立化させる事でした。

◆ガダルカナルに飛行場を建設

飛行場は、1942年7月から飛行場を建設し始めて、ほとんど建設が終わった時にアメリカ軍1万の奇襲を受けてすぐに取られてしまいました。

日本海軍はそのための前線基地として、ソロモン諸島のほぼ中央に位置するガダルカナル島に飛行場を建設し始めます。

中国大陸と満州に40個師団、およそ130万以上もの大軍を釘付けにされていた陸軍は、東南アジアを占領するために兵力と輸送船をかき集めるのが精一杯

◆1942年8月以降のガダルカナルの戦い

この時島にいた日本軍はおよそ2200名でしたが、戦闘部隊は陸戦隊が400名足らずで、大部分が飛行場建設の労働者

当の大本営では、その時このガダルカナルという島がどこなのか、誰もその名前すら知りませんでした。

◆一木部隊による最初の攻撃

900名による軽装備の攻撃でしたが、相手の米兵士が1万人もおり、全く相手にならず777名が死亡、ほぼ全滅しました。

一木大佐は、先遣隊の900人とともに6隻の駆逐艦に分乗し、8月18日夜半すぎ、米軍陣地から30キロほどはなれたタイブ岬に上陸した。

一木大佐は任務を遂行するのに、先遣隊の900人で十分であり、後続の2500人を待つ必要はない、と判断した。

隊長の一木清直大佐は、盧溝橋事件の際、上官の牟田口廉也から発砲を指示された人物。

ガダルカナルに送り込まれて、ほとんど全員が死亡しました。

8割が戦死するという一方的な戦いになりました。

一木隊は、戦闘に参加したうち戦死者777名が戦死率85%。米軍戦死は35名。隊長の一木清直は、総攻撃で死んだか、その消息はようとして不明

ガダルカナル白兵突撃も、自軍有利の情報のみを信じていて、部下に強行突撃を強いた。

一木清直大佐の率いる部隊は、一瞬で死体の山となり、生き残りは30名ほど。その後に30名は行方不明となります。

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