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東海村JCO臨界事故による放射能の恐怖!福島原発に活かされなかった教訓

1999年に起こった東海村JCO臨界事故による放射能の恐怖についてまとめました。このJCO臨界事故による放射線お恐怖は、福島原発に活かされなかったという事になります。

更新日: 2017年06月07日

misukiruさん

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チェルノブイリ原発であれば、赤い所は「居住不可能な地域」なのですが、日本は人口密度が高いので、現在も人が住み続けています。

1990年にJCOの臨界事故

大内は三五歳。妻と小学三年生になる息子がいる。息子の小学校入学にあわせて実家の敷地に家を新築し、家族三人で暮らしていた。

マニュアルを無視した運用

JCOは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用していた。

茨城県東海村にある核燃料加工会社「JCO」の社員・大内久さん(35歳)が、急性放射線被曝による多臓器不全で、99年12月21日に亡くなった。

被爆国である日本において、恐怖の臨海事故が起こってしまいました。

この事故では臨界が続いているのに気付くのが遅く、有効な手が打たれぬまま約20時間継続してしまいました。

非常に危ないものを扱っているという危険の認知が無かったように思われます。

バケツを使って、ウランを濃縮する作業でした。臨界が起きる可能性については、全く知らされていませんでした。

恐ろしい放射線被爆

非常に雑なやり方をしており、放射線被爆が起こって、作業員の2名が死亡する大惨事となりました。

バケツで七杯目。最後のウラン溶液を同僚が流し込み始めたとき、大内はパシッという音とともに青い光を見た。

放射線のなかでももっともエネルギーの大きい中性子線が大内たちの体を突き抜けた。被曝したのだった。

人間に大量の放射線被爆が起こると、人間に多くの症状が出るようになります。

臨界事故が起きたのは9月30日。現場作業員3人のなかでも、もっともひどい被曝をしたのが大内さんだった。その推定被曝線量は平均17シーベルト。これは致死量の25倍にあたる。

DNAが破壊されれば、細胞の再生機能が失われる。通常、やけどを負えば、自然に皮膚が再生するが、大内さんの放射線熱優によるやけどは再生不能だった。

原発推進の前川和彦さんが治療

前川和彦 東大名誉教授:原発なければ近代的生活は営めない。電気がなくて今病院は大変だ。

前川の専門は救急医療だ。救急医療は医療関係者の間でも「ヤクザな現場」とされる。心臓病、脳卒中、けが。さまざまな症状で突然運び込まれてくる患者

大内さんの2ヶ月間における治療の経過

表面から見ると、細胞が破壊されていないので、軽い火傷をしたようにむくんでいるように見えます。しかし、皮膚の再生は行われず、少しずつ破壊が進んでいきました。

大石さんは、被爆の後で赤黒く変色して、大きな火傷をしたような状況になっていました。皮膚が再生されないので、皮膚の表面がどんどんむけていきます。

JOC労働者であった萩原理人さんの経過写真です。被爆した最初から顔が膨れていましたが、皮膚が剥がれ落ちて、再生が行われなくなっていました。

遺伝子が再生能力を持たないので、どんどん皮膚などの壊死が進んでしまって、写真のような状況になってしまいました。

最新の治療である培養皮膚を移植しました。

ご本人の皮膚が無くなっているもんですから、えー少しガーゼでこすって、出血する層を出して、そいでそこにまあ載せるという形

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