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知ったかぶりしてませんか?「AK-47」って本当はこんな銃

世界で最も多く使われた軍用銃としてギネスブックにも載っているAK。映画や写真、ゲームでもでよく登場する銃ですがあなたは本当にそれがAK-47と言える自信がありますか?間違えやすい派生型、他国生産品、コピー品などを写真とともに紹介。特徴さえ押さえればあなたもAKシリーズマスターです。

更新日: 2015年09月24日

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みんながAK-47と呼ぶのは実はⅢ型

最初期のI型では、StG44と同様にレシーバー(機関部)をプレス加工で製造し、強度が必要な箇所にはスチールパーツが溶接ないしリベット打ちで取り付けられていた。しかし、当時のソ連にはプレス加工とリベット加工に必要な技術力が不足していた為、強度不足による不具合が多発した。また、生産コストの削減を目的としたプレス加工も、技術不足により従来の切削加工以上のコストが掛かったという。I型には着剣装置は設けられていなかった。1949年から1953年にかけて、50万丁から100万丁ほどが量産されたとされる。

1953年に設計されたII型では、I型の反省からレシーバーの製造法が旧来の切削加工に変更された。十分な強度が確保されたことで、レシーバーのリベット側面のリベットが無くなった。レシーバー両側の弾倉口近くに設けられた長方形の窪みは、軽量化に加え、暗闇など手元が見えない場合にも弾倉口の位置を示すことを目的としている。そのほか、銃床の取り付け方法やピストルグリップの形状などが変更されている。弾倉もI型はリブが2本付いた表面が滑らかなものだったが、II型では強度確保の為にリブの数が増やされた。しかし同年末にはⅢ型が設計される。

1953年末、II型をさらに改良したIII型が発表された。III型では、銃床の取付け方式が再び変更、レシーバーの間のスチールブロック部分が廃止、後部スリングスイベルが銃床下部からレシーバー左側面へ、前部スリングスイベルがフォアエンド左前からガスブロック部へ移されるなど、細部の改良が施された。III型では切削工程が増えた為、生産コストは安くなかった。弾倉の形状ついては概ねII型と同じだが、下部のリブが横2本から、前部に2本・後部に3本と変更されている。以後1959年の生産終了までこのモデルを製造。東側諸国を中心に普及が始まったのはIII型になってからで、AK-47と言えば専らこのIII型を指す。

AK-47とは実際10年しか生産していなかった!!

出典rt.com

1949〜59年にソビエト連邦や東側諸国で生産された銃をAK-47と呼び、以降の銃は実際にはAK-47とは呼べない。

ちなみに「AK-47S」は間違いである。

AKS-47は、AK-47の銃床を金属製の折り畳み式のものに変更し、携帯性を高めた種類である。名称にある「S」とは、「Skladnoy」の略で、「フォールディング(折り畳みの)」の意である。この銃床は、レシーバー後端の支点を中心に下方へ回転させて折り畳む方式で、ナチス・ドイツのMP38/40のものとよく似ているが、バットプレートの形状が弾倉に当たらないよう考慮されている。銃床を折り畳んだ状態では銃側面のセレクターレバーを操作しづらいなどの欠点があった。

AKS-47は、空挺部隊やスキー部隊などの特殊部隊に支給されたほか、車両部隊やヘリコプターの装備火器としても利用された。さらに、国境警備に当たるKGB部隊にも支給された。なお「AK-47S」はトイガンメーカーの東京マルイが使用した呼称であり、正式にはAKS-47である。

アメリカ同時多発テロ事件をはじめとする数々のテロ事件の首謀者とされるウサーマ・ビン・ラーディンの背後にAKS-74Uが立てかけられている。

ではなぜAK-47の名が世界中に広まったのか?

ミハイル・カラシニコフが設計の段階で変化に富んだソ連の気候を想定し、部品同士のクリアランスを大きめに取り、多少の泥や砂、高温または寒冷地における金属の変形、生産時の技術不足による部品精度の低下が起きても、問題なく動作するよう考慮したためである。故に極寒地や砂漠地帯の兵士からも信頼が寄せられている。特に機関部は、内側に泥や砂などが入っても、軽く水洗いすれば射撃できるほどである。

第二次世界大戦後、弾丸がAK-47と共通する以外は独自設計のVz 58を採用したチェコスロバキアを除くワルシャワ条約機構加盟国や中国・北朝鮮などで採用されて東側を代表する火器となった。

現在でも、イラク戦争における北部クルド人勢力にはもっぱらロシア製装備が供与されているほか、治安部隊へ供給されている装備の大部分は安価な中国製小火器であり、イランなどがイラク各地のシーア派武装勢力に供給している兵器の多くも中国製である。
アフリカ諸国においては、1960年代の独立闘争の際や、冷戦終結後、東欧諸国などから流入したAKがあふれて、それが内戦の終結を難しくしている一因となっている。

モザンビークやジンバブエ、東ティモールの国章にAK-47の図柄が組み込まれているほどである。特にモザンビークでは、国旗にもAK-47のデザインが取り入れられており、国家以外でもレバノンのヒズボラやコロンビアのFARCなどが組織の旗にAK-47の図柄を取り入れている。

“ベトコン”と呼ばれ、完全な民間人に扮装し、虚を突いた奇襲戦法をとる民兵組織は、アメリカ兵を散々なまでに苦しめた。あげくは、当時まだ信頼性の低かったM16の代わりに、敵から鹵獲したAK-47を持ち歩くアメリカ兵まで現れる始末。冗談のようなエピソードだが、現在に至るもAKを所持したアメリカ兵は時折見られ、それだけ本銃が優秀である証とも言える。

ソビエト連邦は冷戦期、東側友好国に対して大量のAKを供与した。また、一部の国々に対してはライセンス生産も認めた。このため、7.62mm口径のAKは莫大な数が生産されており、世界で最も大量に生産された小銃といわれている。

簡単な工作機械でも(品質は劣るにせよ)製造でき、工業力が低い国々や非国家主体の非合法組織(犯罪組織やテロ組織)でも容易に数を揃えることができるため、20世紀後半以降、戦争・事変・武力紛争のあるところに大抵存在する武器となっている。

2004年、85歳の誕生日を前にカラシニコフは「中国などがライセンス切れにもかかわらず、AKの製造を続けている。それが紛争地に出回り、AKの評価を落としているのは悲しいことだ」と朝日新聞の取材に回答している。

違法コピー品や他国ライセンス品が入り交じっているのが現状

シーア派民兵の画像のようですが、武器は様々、一見しただけでもAK-47には似ているがツァスタバM70やAIMといったものが伺えます。

バーネット大尉をかくまってくれた彼らの所持しているの武器は「AKM」。
なんでもAK-47というわけではないんです。

外見こそAKに似ているが実際には7.62mm×39を使用する以外に共通点はなく、ほとんど独自設計であるVz58である。

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