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マリアナ沖海戦(1944年6月)の旧日本海軍の敗北!サイパン島の戦い

マリアナ沖海戦(1944年6月19日から6月20日)においては、旧日本海軍が大敗北して、サイパン島を失いました。マリアナ諸島が奪われた事で、1944年夏以降には、本土に対するB-29の空襲が行われるようになり、日本の多くの都市が火の海となりました。

更新日: 2019年08月20日

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misukiruさん

1944年6月、アメリカ軍は、15隻の空母と10隻の戦艦を中心とする、600隻もの大軍でマリアナ諸島に攻め寄せました。

マリアナ諸島は、アメリカ軍の新型爆撃機B-29が展開すれば東京など日本本土の大部分を攻撃圏内に収めることができる位置にあるため、戦略的に重要

◆1944年6月サイパン島に攻め入る米軍

1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦闘。

斎藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島に、ホランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団(英語版)が上陸

マリアナの頃になるとパイロットや艦艇の水兵の練度、兵器の質、参謀の能力の差が 如実に現れていた

「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、 人間であることを示すような点はどこにもない」アメリカ・タイムズ紙

(大東亜戦争当時)

サイパン島守備隊本隊が玉砕した後も、大場栄率いる部隊がこの山を拠点に約1年間ゲリラ戦を展開していました。

タポチョ山には、無数の洞窟があり、サイパンの戦いでは、司令部や野戦病院が置かれ戦場と化した。現在でも、未回収の多くの遺骨が土中に眠っていて、鉄かぶと(ヘルメット)や水筒、薬莢などが転がっている。

◆第4611船団の壊滅

1944年6月12日から13日にかけて、サイパン島を脱出しようとしていた第4611船団が壊滅した。

太平洋戦争中の1944年6月11日にサイパン島から日本本土へ出発した、日本の護送船団である。

日本船団で最大のものであったが、アメリカ海軍機動部隊に捕捉され、輸送船のほとんどは撃沈された。

◆マリアナ沖海戦における大敗北

マリアナ沖海戦において、日本が大敗北をして、それ以降に旧日本海軍が米軍に立ち向かう兵力は残されていませんでした。

先制攻撃の結果は無残なものでした。日本の攻撃隊は、文字通り全滅してしまったのです。アメリカ軍の損害は、戦闘機30機だけでした。

前衛には、戦艦大和と武蔵が配置されていた。 あわよくば、大艦巨砲艦隊決戦を夢見ていた。

◆空母3隻を失う敗北

日本海軍は空母3隻と搭載機のほぼ全てに加えて出撃潜水艦の多くも失う壊滅的敗北

まずは潜水艦の魚雷攻撃によって、新型空母の「大鳳」と、歴戦の空母「翔鶴」が撃沈されます。

◆アメリカ軍のレーダー開発

アメリカ軍の軍艦は、全て高性能なレーダーを装備していましたから、日本軍機の接近は、かなり早い段階で探知されていました。

1942年秋~1943年2月7日まで戦われた南ソロモンの死闘から1944年4月までの1年2か月、航空兵力錬成を 怠ったツケをマリアナで支払わされた。

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