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瀬戸内寂聴 とかいう クズな人生を歩んだ尼僧。現在でも酒・肉 OK 【賛否両論】

なぜ、説法をありがたがるのか?  【検索用: 瀬戸内寂聴、娘、子供、本、 twitter、好き、嫌い、法話、説話、説法、不倫、文化勲章、大僧正、和解、不倫、クズ、屑、賛否 】

更新日: 2019年04月30日

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guggugu-さん

瀬戸内 寂聴(1922年5月15日 - )は、日本の小説家、
天台宗の尼僧。
旧名は、瀬戸内 晴美(せとうち はるみ)。

僧位は大僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。

「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」で新潮社同人雑誌賞受賞。

1961年『田村俊子』で田村俊子賞、1963年『夏の終り』で女流文学賞を受賞。
1973年に平泉中尊寺で得度。法名: 寂聴。

1992年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、
1996年『白道』で芸術選奨、
2001年『場所』で野間文芸賞を受賞。

【 賛否両論 】

1997年 文化功労者、2006年 文化勲章。
 説法などで評価がある。

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その一方で・・・

夫の教え子と恋に落ち、夫と3歳の長女を残し家を出る。

徳島県徳島市塀裏町の仏壇店を営む三谷家の次女として生まれ、後に父が従祖母の家である瀬戸内家養子となり、女学校時代に晴美も瀬戸内に改姓。

東京女子大学在学中の1943年に21歳で見合い結婚し翌年に女の子を出産、その後夫の任地北京に同行。

1946年に帰国し、夫の教え子と恋に落ち、夫と3歳の長女を残し、家を出て京都で生活。

まぁ・・・
人間は、過ちをおかしてしまうもの。

(そもそも 終戦直後のことですし、女性の立場が 社会的にも かなり低い時代。

 現在の感覚だけで、判断することが 困難な側面も あるかもしれません。)

で、
瀬戸内寂聴本人は、「不倫が許されるたったひとつの条件」として、下記のように言いました。

「別れた不倫相手が忘れられない」という、女性からの相談を受けた瀬戸内寂聴さん。同氏は、恋愛は天災みたいなもので避けられないとしつつも、不倫が許されるたったひとつの条件は「命懸け」であることだ、と説きました。

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なるほど・・・・

 で、

娘を捨て 「命懸け」でしたらしい..... 不倫の結果は?

「不倫関係は続かず、今度は既婚者の作家Kとの不倫 :同棲が始まった。」

「徳島から駆けつけてくれたものの、一緒に暮らすことはありませんでした。」

「東京で妻子ある男性と不倫しながら、京都の男とも付き合い、それをネタに小説を書いていた。」

など、過程に関する逸話は、いろいろあるようですが…

結果は、絶縁・破局。

はぁ?

数年程度で、簡単に終わってしまう恋(不倫)とやらが、命懸けだったとでも言うつもりなのかね?

それとも、最初から「命懸け」でも何でもない程度の不倫で、3才の子供を捨てたのかぃ?

時系列が良くわかりませんが、その前後に、他の男性と三角関係にあったようですし、ただ単に「恋を多き女」というだけなのでは?

いや・・・「恋多き」なんてキレイな表現 もったいない。

そもそも「子捨て」に至る原因となった『不倫』という事象について、90歳を過ぎた現在でも、
「恋の醍醐味は不倫ですよ」と宣う始末・・・

 自らが犯した「子捨て」に関し、反省しているのであれば、決して発せられない言葉。

恋は、幾つになってもできます。今、私は91ですけど、もし100まで生きていたら、100まで恋をすると思います。だけど、みっともないから、いちいち皆さんに報告はしない(爆笑)。

とか、発言してますし、
ただ単に「肉欲」が強すぎ、自分勝手気ままに生きているだけなのでは!?

その後も小田仁二郎などの作家とも不倫をするずっと色んな方と不倫をしています。

現在では、娘と和解しているのでは?

長く続いた絶縁状態の後、娘と和解している。

と、言われています。

しかし、それは、発信力にて勝る「瀬戸内寂聴」氏側の見解。娘側から発信された情報ではない。


 仮に、娘側が「許す」と言ったところで、長期間、傷つけてきた事に変わりなく、どの程度の意味合いで「許した」のかも判らない。

娘『はいはい。許した、許した。もう関わらないで。』

という様な 可能性もあり、実態は不明。

私の個人的な感性ですが、
やはり「瀬戸内寂聴」という人間の生き方は、
ただ単に、自分の欲望のままに、好き勝手に生き、周りの人間に迷惑を掛け・傷付けた人間。

その上、その事について十分反省することも無く、小説や説法のネタにしている。

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