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一見難しい「経済」学も、歴史をさかのぼると見えてくる

経済に対する関心が増え、「~の経済学」という本があふれています。ところが、経済学史にまで正しく触れている本は多くありません。「緊急時には、ガラス棚を割って、ホウキとチリトリを取り出せ」というケインズ流の提案は、経済的には是か非か、非常に面白いテーマだと思います

更新日: 2017年03月24日

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「こちらには、我らの誇る経済学者たちがいらっしゃいます」と屋根の上には、あらゆる方向を指差す経済学者が並んでいる。結局、私たちは誰を信じればいいのか。非常に難しいテーマだ。ちなみに、今の時代とは、石油も含めた原材料が大量に供給され、労働力も余り気味(失業問題が深刻)、そして政府はお金を一生懸命刷っているような状況が続いている。このような時代とは、経済的ユートピアなどと言っていいのだろうか。これが正常な道なのか。そして私たちミクロのプレーヤーはどのように乗り切るべきなのか。今一度、以下のコンテンツで経済学の基礎を楽しく復習しておこう

▼まずは、日本の「経済」の話から始めよう。いわゆる「失われた20年」について

こちらのサイトでは、あなたへのアンケートをもとに計測ができる。試してみよう。

【まとめ編者】日本では、バブル崩壊以降、「失われた20年」という低成長にあえぐ期間が続いた。その間、隣国・中国はGDPにてすでに日本を抜き去り、インド等のアジア各国もそれなりの高度成長を続けている。そして何より、他の先進国と比較しても、日本の低成長が際立っている点で「失われた」という思いが強くなっている

この20年(1991年~2011年)、国外における日本企業の成長率は国内の1.8倍にのぼっている。対外資産は40倍に、対外純資産は60倍に、外貨準備も数十倍に膨れ上がっている。(その分、国内投資は少なくなったかもしれないが)それでも日本国内の経済はほとんどマイナス成長を見せることなく、限られた資金で日本経済を支え続けてきたことは奇跡だ。日本企業全体の海外売上高は年間3億ドル以上、海外における年間生産額は国内の67%に相当し、対外資産の価値は10%以上の割合で値上がりしており、純資産、総資産とも世界最大である。これらは日本が秘蔵する莫大な財産だと言ってよい

「失われた20年」を一括りでとらえることはできないそうだ。前半はバブル崩壊にともなう不良債権処理によるものだったが、これは2003年ごろに終わった。その後、日本の2000年代の実質GDP成長率が先進国中最低になってしまったのは、人口の多い世代が、高齢化で退職した影響によるものだ。実際は今でも、生産年齢人口一人当たり成長率で見ると、主要国中で最高である。つまり日本は、バブルの後遺症から回復しており、急速な労働人口の減少がそれを打ち消してしまったのだ

アベノミクスが始まり、緩やかながら名目賃金も上昇しており、失業率低下と雇用改善にも寄与している。しかし、失業率が、労働需給が均衡する水準まで下がっていると計算されるにもかかわらず、賃金上昇が確としたものとなっているようには見えない。また、実質賃金の伸びが物価上昇率に追いついてもいない。今日では、企業業績と労働需給とは必ずしも一致した動きを示してくれなくなった。さすがにパートタイムの時給は上昇傾向にあるらしいが、正社員ではそうはいなかいらしい。二重賃金体系とも言える日本の状況ややや複雑だ。ちなみにアメリカでは、名目賃金と労働需給(失業率)との関係が見事に相関しており、分かりやすい

日本経済というと政府の役割にしばしば焦点が当たる。政府の、経済に果たす役割は主に3つ:
1)資源配分(社会資本整備の優先順位)
2)所得再分配(格差・貧困対策)
3)景気調整

【まとめ編者】日本政府の予算規模(96兆円;2014年)はそもそも4割くらいでさほど大きいとは言えない。むしろ国債費23%に象徴される借金返済負担の多さ、そして収入に占める公債金41%という借金依存体質にこそ問題がある。アベノミクスは手始めに、中央銀行を活用し、貨幣価値を守るという従来の役割から、貨幣価値を下げて財への購入や投資などに現金を流そうと躍起になっている。経済政策における一大転換と言えるかもしれない

上掲書にある内容から学び、以下の問いに答えることができるようになれば、ビジネスマンの経済学としては合格点だろう。
【経済基礎】
GDPとは?GDPはまだ成長する?政府・中央銀行は何ができる?
貿易赤字に陥った日本は大丈夫?円安はいいこと?株高でもう安心?
【経済理論】
見えざる手は是か非か?自由に任せていいの?自由貿易圏は望ましい?
経済学が想定し始めた「非合理」な人間?
【経済分析】
インフレとデフレ、失業と物価
景気のサイクルとバブル、景気指標・株価
年金改革と、日本的雇用慣行の行方

▼経済と聞けば、何より気になるのは「経済成長」。僕らのお給料(経済)はまだ伸びる?

【洋泉社「経済の教科書」参照】
成長という言葉には誤解がともなう。成長の後は、成熟し、そして老いて、あたかも死んでいくようなイメージになる。しかし、人口と資本と技術の課題を解決していけば、理論上成長は続けられる。成長がなければ、貧困解消も社会保障充実も実現できない。たとえば、日本では少子化が障害のひとつとされてきたが、設備投資が国内でなされなくなってきたことも見逃せない。むしろ、20年間成長してこなかった日本が異常だった

【洋泉社「経済の教科書」参照】
GDP成長率(潜在成長率)は、労働力・生産性・資本の供給サイドの3要素の変化率により構成される。
1)生産性:技術革新、規制緩和、教育改革、エネルギー効率など
2)資本:法人税改革、企業の内部留保活用、産業の新陳代謝
3)労働力:女性や高齢者の活用、柔軟な労働市場、外国人の活用、少子化対策

【洋泉社「経済の教科書」参照】
労働力人口の減少率予想から導かれる経済成長の下押しは、実は1%以下(~0.65%)。人口の減少率が1~1.5%であることを考えると、日本人一人当たりのGDPはむしろ増えることになる。つまり、意外と悲観的ではないかもしれない。また、移民受入という政策論争があるが、短期はともかく、中長期で見ると結局、高齢移民労働者が増える可能性がある

2015年は太平洋戦争での敗戦からちょうど、70年の節目の年である。1945年頃には政府債務(対GDP)は約200%に達しており、これは明らかに支払い不能状態だった。今の政府債務(対GDP)は敗戦直前の200%を既に超えているが、財政が安定しているのは、日銀が異次元緩和で国債を大量に購入しているからでもある。また、政府は財政再建の観点から、社会保障・税一体改革を進めている。政府は、2020年度までのPB黒字化の目標を堅持するとしているが、そうなると景気の下支えとなる財政出動は限られてくることになる

▼経済を、なぜ、どうやって学ぶの?

「経済」という言葉は、明治以降に日本で生まれたコトバだ。中国の「経世済民」からヒントを得たらしく、「世を治め民を救う」学問が経済学というわけだ。「何かを選択することは、別の機会を捨てていることでもある」という。つまり、経済学とは、資源の最適配分を考える学問である。「資源の希少性」があるため、ある「機会」を捨て、その費用を払っていると考えることもできる

資源の相対的希少性と、欲望との非飽和性。これにより、取引するための市場が誕生した。取引(交換)の比率は、今日でいう市場価格となった。経済学者・若田部氏のコトバを借りると、経済学というのは「人間がどういう行動を取るのか」「どのように関わり合うのか」について考えてきた学問であり、合理的に動いた人間によって何らかの秩序が生まれてくる。これが「市場」だ。しかし、その市場がうまくいかないと、人間はどう関わっていくのか、それらを考えていくのも経済学である

【まとめ編者】資源に限りがあるのに、欲望には限りがない。ここに市場が登場し、需給を調整する(均衡点を探す)必要が出てきた。この現象を研究する学問が経済学だ。過去や現在に起こっている現象を概括し、理論として整理し、それを実証してみる。これらを行うことで学問として成り立っている。近年では、市場の広がりが国境を越えたり、政府が経済の中で占める役割が重要になったり、環境保全というあらたな費用が生まれたりしながら、経済学が解決を目指す領域は広がり続けている

「経済学史」と「経済史」はよく間違われる。経済史はイベントの歴史、経済学史はイベントを見た人達が、どのように考えたのかを研究する学問。たとえば、航海技術の発達により、貿易が活発化した時代、それは良いのか悪いのか。また、たとえば、「アベノミクス」について研究すると、安倍さんや周りの人達がどのようなことを考え、どのような反対にあっているのかが理解しやすくなる

ミクロ経済学とマクロ経済学という分類はあまりよくない。そもそも経済学は、自由主義と個人主義を思想的なバックボーンにしている。平均で話をしがちだが、自分の収入が増えなければ誰もうれしくない。経済学のいいところは、個人主義を使ったモデルがよいと割り切って考えられること。これらがミクロであるとしたら、マクロ経済学の方は政府の政策に関係してくる。しかし、マクロも、ミクロを無視しては意味がない。たとえば、政府が景気対策としてお金をばらまく場合でも、中身によっては波及効果が違う。民間の代替くらいにしかならない政策では効果も限られてしまう

▼経済学の根底には、モノサシが必要。何を目安に、どう測るか

出典ameblo.jp

経済の把握には、正しいモノサシが必要である。それが国民経済計算体系である。付加価値を積み上げた結果が生産側から見た国内総生産(GDP)。これはすべて関わった人たちの所得になる。そして完成した財・サービスは、最終ユーザーである消費者の支出によって、消費されていく。つまり、生産面☓所得面☓支出面、それぞれがすべて等しくなることから、三面等価と言われる。注意が必要なのは、所得面では所得以外に使用している道具・設備などの償却(固定資本減耗)にも回される。また、支出面では、今後使われる道具・設備などへの投資(固定資本形成)に回されたり、実際には消費されていない(在庫品)ものも含まれている

「GDP」は国内における総「生産」を示しているが、実際には、消費(58%)や設備・住宅投資(19%)といった支出項目について言及している。政府支出も無視できないレベル(22%)だ。他方、所得項目では、雇用者(※雇用主が雇用した人)が半分(52%)を占める。下記要注意:
- 営業余剰(企業の儲け)
- 固定資本減耗(設備投資の償却分)
- 政府支出(政府による固定資本形成分)

▼まず、経済学の歴史や流れを学んでおこう。お薦めは下記の数冊

比較的新しい学問である「経済学」。その始まりは、重農主義(農民から他の階層へ、貿易を通じて富が分配されていく)からだった。その後、自由な貿易こそが、富の生産と分配に最も有効であるとの理論をまとめたのが、アダム・スミスだ。さらに自由貿易の良さを、比較優位の理論によって拡大したのがリカード。しかし、資本主義は様々な問題を生み、マルクスやケインズによって抜本的な見直しを迫られた

経済学はそもそも近代資本主義しか研究しておらず、その基点はアダム・スミスだ。市場の自由に任せておけば、「最大多数の最大幸福」(パレート最適)がおのずと達成されるという。これを理論的に完成させたのがリカードで、その後この思想は何度も蘇ってくる。リカードと言えば、「比較優位説」で経済学最大の発見をしたと評されている。これは二カ国が相対的に有利な財の生産に特化することで、自由な貿易は両者にメリットをもたらすと立証するものだ。しかしこのリカードが論じた「セイの法則」(供給に等しい需要が生まれる)は、失業の発生を前提にしておらず、今日の最重要課題の解決には至っていない

経済学とは重商主義への反発から誕生した。重商主義とは保護貿易や植民地貿易で手にした貿易黒字を念頭に、国富の増大を考えていた。アダム・スミスはこれを批判し、分業による生産力の上昇と、消費による国の富の増大を説いた。なおこれに関連して、スミスは輸出産業に対する国の補助金にも疑問を呈した。なぜなら、不必要な産業から必要な産業に、生産者が移動しないからだ。しかも、国の財政は圧迫される。自由貿易による市場拡大こそ富を最大化できると結論づけた

アダム・スミスから始まり、リカードが分業と市場経済の推進を説き、マルクスによって資本主義が内包する様々な問題点が指摘された。マーシャルは需給の均衡の仕組みを、限界という特徴でまとめあげ、こうして基本的な近代経済学の体系が固まった。しかし、資本主義の問題点を解決するまではいかず、そこに登場したのがケインズだった。ケインズによって政府の役割が重要だとされるようになった。また、シュンペーターによって企業家の役割(イノベーション)にも期待が集まる。最後、フリードマンが登場すると、市場であれ政府であれ失敗するということが議論の遡上にのるようになった

▼では、あの経済学論争の始まりとされるあの時代から

近代経済学の基礎を築いたアダム・スミスは、実は、道徳哲学の教授だった。彼が教えていたのは、人々が自然に抱く「同感」の意義であり、それが他人から得られるからこそ、商売で利己的な行動がでえきると説いた。これでも社会の秩序は成り立っているとして、政府の介入に反対した。そもそもこの時代は、政府が輸出を奨励し、貴金属を国内にもたらすことに熱心だった。アダム・スミスは人々の消費に富を見出し、人々の利己心に基づく自由な判断に意義を見出した

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