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借金1億円抱え猫缶食べた!元パリコレモデルの林マヤが明かす地獄の日々

自殺を考えたことも。しかしその時ソフトクリームが命を救った!

更新日: 2016年02月07日

03040さん

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元パリコレモデルでタレント、コメンテーターとして活躍している林マヤ(57)

パリコレモデル時代のセレブ生活と、そこからの転落など“知られざる過去”を明かした。

最初は日本でモデルを始めたんですが、全然売れなかった

当時、私は刈り上げスタイルをしていて、男の子みたいだったんです。でもその時代はボブスタイルが流行っていて、女性らしいモデルさんが主流だったので、誰も認めてくれませんでした。

パンクの世界を極めよう!と思いました。

パンクといえばロンドンが本場ですよね。だから、とにかく日本を逃げ出す、という形で、アルバイトで貯めた30万円だけを持って、ロンドンに行く決心をしたんです。

▼20代でパリコレに出演していたころ

世界的に有名なカメラマンであるピーター・リンドバーグと偶然出会い、日本人として初めてファッション誌『マリ・クレール』フランス版に登場。

「面白い顔をしているからモデルをやらないか」と言われたそうです。

ファッション誌『マリ・クレール』フランス版

世界34ヶ国で刊行されたファッション雑誌『marie claire マリ・クレール』に日本人で初めて登場

その後1か月、パリの事務所に所属してモデル活動を行い、パリ・コレクションにも出演した。

「歩くときは、1枚の服に対して、自分でイメージを決めて歩いていましたね。たとえば、黄色い洋服だったら、「私はひまわりの精」というふうに自分なりにタイトルをつけるのが好きだったんです。」

パリコレクション、イッセイ・ミヤケ
のショーより。このポーズも、
もちろんマヤさんのアドリブです。

パリコレクション、ヨージ・ヤマモト
のショーより。少年ぽさがマヤさん
の魅力。

林は1990年代、フランスと日本を往復しながら華やかに生活していた。

パリコレのトップモデルは1ステージ数百万円稼ぐこともあり、林の手元にも「1万円が小銭に思える」ほどのお金が入ってきた

パリ・コレに出るようになって、初めて日本でも認められるようになったんです。逆輸入みたいなかんじですよね。そうやって、モデルとして日本とパリと行ったり来たりの生活を6年くらい続けていました。

anan 1983年1月28日号

その後1996年に日本に帰国。当時すでに38歳でしたが、CMに出演するなどして徐々にモデルとしての知名度を上げて、ananのトップモデルとして活躍します。

リカコさん、今井美樹さん、林マヤ

『anan』には毎号トップモデルとして登場

1980年3月発行 an・an

▼華やかな生活をしながらも借金をするように

2、3週間で数千万円の収入があり、「どんどん(お金が)入ってくる状態で、財布にいくら入っているかなんて考えなくなる」

ホテルの最上階を貸し切りにしてパーティーしたり、寝心地の良さを求めて買った70万のベッドを「気に入らないから」と一晩で買い替えたり。

ベッドの買い替えは一回にとどまらず、数回に及んでいます。たとえ一晩でも「交換」してもらおうという考えは全く思いつかず、全て新しく買い替えたそうです。

外国のアクセサリーを気に入り、日本国内でも販売されているにもかかわらず「本場で空気ごと買わないと本物じゃない!」と、1回300万ほどかけて現地まで購入しに行き(ファーストクラスの飛行機・一流ホテル宿泊)、リュック1個分くらいのアクセサリーを買って帰ったり。

「このパイプハンガーにかかっているココからココまで全部」という買い方をすることもザラだったそうです。

そしてジャズ歌手としてデビュー

1991年には「ビジュアルミュージッククリエイター」を名乗り歌手デビューしたが、プロモーションビデオの制作やライブ会場代など“自腹”で出費し、大きな借金を抱える要因となった。

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