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オーストラリア先住民のアボリジニってどんな人たち?

あまり知られていない、アボリジニの今と昔

更新日: 2015年05月21日

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kookaburraさん

① オーストラリアの先住民
② アボリジニの歴史
③ アボリジニの文化
④ アボリジニのアート
⑤ アボリジニの歌と音楽と踊り
⑥ アボリジニの信仰と儀式
⑦ ドリームタイム
⑧ 先住民と非先住民の社会経済的格差と「Closing the Gap」

① オーストラリアの先住民

オーストラリアの先住民はアボリジニとトレス海峡島嶼民で構成され、彼らは互いに人種的にも文化的にも異なる。トレス海峡島嶼民の文化は、パプアニューギニアや太平洋諸島のものと多くの点で類似している。

1788年ヨーロッパ人が植民を始めたころ、オーストラリアには30〜100万人程の先住民が暮らしていたと推定される。先住民の人口は、19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ人植民地の境界での紛争、新しい疫病や社会的な問題の影響などを含む様々な原因で劇的に減少した(1920年代には6万人程)。近年は先住民の血を引くと名乗るオーストラリア人が増加しており、2011年の国勢調査では、先住民の人口(混血を含む)は約55万人、オーストラリアの人口の約2.5%にまで回復した。

現代の先住民は、芸術、メディア、学界、スポーツ、ビジネスなど、多くの分野で広く貢献している。また、彼ら先住民の独特な文化は、オーストラリアの国民性にも多大な影響を与えている。

豪連邦政府は、先住民社会、文化、経済的発展の助けになる土地への立ち入り、および所有する機会を保証するとしており、現在オーストラリア国土の約16%は、先住民の所有または管理下にある。

しかし、依然として残る先住民と非先住民の社会的格差を克服するため、豪連邦政府は様々な政策を実行している。この政策には保健、住居、教育、雇用の改善努力が含まれるほか、数年後を目処にアボリジニとトレス海峡島嶼民をオーストラリアの先住民であると憲法に明記するための、国民投票が行われることが決まった。

② アボリジニの歴史

<アボリジニの起源>
アボリジニがいつどこからオーストラリア大陸へ渡ってきたのか、遺跡調査やDNA鑑定などの結果から諸説あるが、一般的には少なくとも数万年〜十数万年前に東南アジアを経由しオーストラリア大陸へ上陸したと考えられている。
いずれにせよ、彼らは地球上で最も長く生き続ける民族であり、その生活様式や思想は、近代文明のそれとは全く異なる神秘的な魅力に溢れる。
環境汚染、終わらない戦争、格差の拡大、地域社会の崩壊など、深刻な問題が山積している今こそ、彼らがどのように数万年という時を歩んできたのか、その価値観に迫る良い機会ではないだろうか。

<繁栄、衰微、そして再興>
18世紀のヨーロッパ人によるオーストラリア大陸への植民が本格的に始まったことをきっかけに、先住民の多くの命、文化や言語が失われた。文字を持たず、物語やアート、儀式を通して知識や伝統を伝えてきた民族であるため、現在その保護が喫緊の課題となっている。
18世紀の植民地化が始まった当時は、30万人〜100万人の先住民がオーストラリア全域で生活していたといわれている。しかし、20世紀初めには疫病や虐殺などが原因で、その人口はわずか6万人程度まで減少した。2011年には、混血を含む先住民の人口は約55万人にまで回復し、オーストラリアの全人口の約2.5%を占めるに至る。

<盗まれた世代>
19世紀〜20世紀にかけての約100年間、先住民の子供を親元から引き離し白人社会に同化させる政策が実行された。これにより、現在、親も故郷も分からない"Stolen Generation(盗まれた世代)"と呼ばれる先住民が多く存在する。オーストラリアが抱える最も大きな社会問題の1つである。
2008年にケビン・ラッド首相(当時)が、全てのオーストラリア先住民に対し初めて公式に謝罪し、新たなオーストラリアを共に築こうと呼びかけた。

<新たなオーストラリア>
ケビン・ラッド首相(当時)による、豪連邦政府の公式謝罪から5年後の2013年、アボリジニとトレス海峡島嶼民がオーストラリアの先住民であることを憲法に明記するための法案が豪連邦議会下院・上院共に全会一致で可決された。そして、今後2年間を憲法改正に向けたキャンペーン期間とし、この間に国民の理解を深め、憲法改正へ向けて世論を盛り上げていくとした。

ケビン・ラッド首相(当時)による、オーストラリア連邦政府の公式謝罪

③ アボリジニの文化

現代を生きる先住民の半数は、都市部またはその近郊に暮らし、近代文明の中で生活をしている。遠隔地に暮らす人々も、その多くは近代文明の恩恵を少なからず受けている。彼らの生活様式は時を経て着実に現代文明と同化しつつある。
しかし、彼らがオーストラリア先住民としての誇りを持ち、これからの時代を幸せに生きていくためには、伝統的な言語や文化を保護し、彼らのルーツを保存していくことが非常に重要だ。豪連邦政府は先住民の言語や文化の保護に関し、NPOへの支援など様々な形で継続的な支援を行なっている。

18世紀に始まったヨーロッパ人による植民地化以前は、オーストラリア全域で30万人〜100万人の先住民が暮らし、言語だけでも250、部族の数は700以上存在したと伝えられている(右参照)。極めて残念なことに、すでにその多くは失われてしまったが、その多様性と規模は想像を絶する。
さらに興味深いことに、部族間の衝突はほとんど無かったと伝えられている。彼らは家を建てることもフェンスを建てることもしなかった。必要が無いと判断したからだ。人が土地を支配するのではなく、大地が人を支配するのだという。ここに彼らの信仰の一片が伺える。

そして、天地創造の時を伝える「ドリームタイム(ドリーミング)」。これもオーストラリア各地の先住民に共通するキーワードだ。

④ アボリジニのアート

文字を持たない先住民にとって、伝統的アートや装飾は、日常の儀式や生活に欠かすことのできないものだ。アートは彼らの精神の一部であり、生活の一部であり、部族の歴史そのものである。
様々な儀式に合わせて体をペイントし、装飾品を身に着ける。洞窟に絵を描き、武器や家事道具など様々なものにも装飾を施した。また、狩り場や水源をアートに描くなど、祖先の知恵や知識を受け継ぐ手段としても利用されていた。

伝統的な手法では、彼らは絵の具を土や石を砕いて作り、ブラシは小枝を歯でほぐして作る。これまで見たことの無い、大地の色彩がそこに生まれる。また、地域ごとに様々な表現手法が存在するのも、アボリジナル・アートの大きな特徴の1つと言える。

<Body Paint>
ボディペイントのモチーフは、コミュニティ内の地位、家族、祖先やトーテムなどが反映されている。

<Bark Paintings>
樹皮に直接描くバーク・ペインティングは、主に豪州北部で行われている。

<Ochre Paintings>
オーカー・ペインティングは、カラフルな柔らかい岩を砕くことから始まる。茶、赤、黄、白、グレー、また、配合によって紫や緑の再現も可能だ。

北部準州にあるオーカーの採石場。ここの石の部外者の持ち出しは固く禁じられている。

<Ceremonial Artifacts>
武器から日常の道具など、様々なものに装飾が施されている。儀式のための装飾だけではなく、日常を彩るための装飾も見られる。それらデザインの持つ意味の全てが解明されたわけではないが、大地との繋がりやドリームタイムとの関わりが想像できる。

<Fibre Art>
衣類やカゴ、魚を採るためのネットなど、様々な繊維製品がある。

<Wood Carvings and Sculpture>
アボリジニの木工品や彫刻のアート作品としての人気が高まっている。

Emily Kame Kngwarreye
エミリーは「プリミティヴ・アート(先史時代の原始的造形芸術)」とも称されるような芸術世界を出自としながらも、美しく自由で革新的な芸術を創造した。彼女の芸術は、西洋美術とは全く無縁な環境から生み出されたとは信じられないような、極めてモダンな作品を生み出し、西欧近代美術が展開した末にたどり着いた抽象表現主義に比するような芸術世界を創造した。
(国立国際美術館HPより一部抜粋)

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