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李氏朝鮮の古写真から1910年の韓国強制併合(日韓併合)についての歴史

李氏朝鮮の古い写真と1910年の韓国強制併合についての歴史部分をまとめました。

更新日: 2019年08月18日

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misukiruさん

◆米軍による江華島の占領(1871)

1871年、ジェネラル・シャーマン号事件を受けてアメリカの艦隊により一時占拠される(辛未洋擾)

古文章にみる李氏朝鮮

李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。

日本と同じように朝鮮王朝にも身分制度が存在していました。

朝鮮の伝統「チマチョゴリ」

李氏朝鮮時代末期にチョゴリの丈がどんどん短くなって、下着にあたる胸当てが丸見えるまでに露出度が高くなった

「ミニ・チョゴリ」から見える胸当てが取り外されて、裸の胸を露出させているのです。いわば「トップレス・チョゴリ」です。

18世紀以降、朝鮮の女性向け民族衣装「チマチョゴリ」に変化が起きた。この頃から「長男を生んだ女性は乳房を露出する」ことが習慣化したのだ。

何故、胸を出しているのかは謎ですが、これが習慣というものです。

当時の朝鮮人の女性はこの衣装を「長男を生んで社会的義務を果たした」として誇りに思っていた

この頃も、まだチマチョゴリ風の着方をするのが一般的でした。

1800年代後半の朝鮮

非常に貧しくて、屋根もかやぶき屋根のような非常に粗末な作りのものが多くなっています。

いつもと変わらない日常風景のようです。

城壁の中では、それなりの建物も見られましたが、二階建ての建物が皆無でした。

李氏朝鮮末の漢陽の人口は約25万と推定されている。儒教思想により、王宮より高い建物を建てることはできず

ソウルの南大門の出口には、商店が立ち並んでいて、活気がありました。

市民は地上に瓦または藁を並べた平屋の下に潜り込んで生活している。いや不潔な道路に蠢動していると形容した方が良いだろうか。

*ビショップ夫人著「30年前の朝鮮」より

道路のはしには悪臭が辺り一面臭ってくる溝があり、路面は埃まみれの半分裸の子供達と、猛悪な犬とによって占領されている。

*ビショップ夫人著「30年前の朝鮮」より

1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。

フランス人宣教師シャルル・ダレ「朝鮮事情」より

中国と比較すると、やはり貧しい国であった事が良くわかります。

宣教師などの西洋人ですら、漢陽(現在のソウル)を「世界でも指折りの不衛生な都市」と指摘している。

日本による強制的併合(日韓併合)

日韓併合を強力に進めた人物で、韓国人に恨まれ、韓国人に暗殺されました。

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