1. まとめトップ
  2. ニュース・ゴシップ

この記事は私がまとめました

数学者ジョン・ナッシュ氏が交通事故死

米ABCニュースによると、米数学者ジョン・ナッシュ氏(86)が23日、米ニュージャージー州でタクシー乗車中に事故に遭い、同乗していた妻(82)とともに死亡した。

米公共ラジオ(NPR)によると、オスロでの授賞式に出席し23日に帰国、迎えのリムジンが来ないため、タクシーに乗ったという。

ロイター通信によると、アメリカ・ニュージャージー州で23日、妻とともに乗ったタクシーがガードレールに激突するなどし、死亡したという。

"天才数学者"としてその名を轟かせたジョン・ナッシュ

ゲーム理論における非協力ゲームの解の一種である「ナッシュ均衡」などの業績で知られ、1994年にはノーベル経済学賞を受賞している。

ナッシュ均衡は、他のプレーヤーの戦略を所与とした場合、どのプレーヤーも自分の戦略を変更することによってより高い利得を得ることができない戦略の組み合わせである。

ゲームというのは相手がいて初めて成り立ちます。自分一人の場合には、最適な行動と思えても相手がいる状況では最適とはかぎりません。ナッシュはそのような状況で到達すると考えられる均衡状態を明らかにしたのです

その「ナッシュ」という名前は「経済学者でその名を知らないものは騙りかたりだ」と言ってもよいほど知れ渡っています

「この人物は天才です」

幼い頃から、他人との共同作業を好まず、独りでいることを好み、また何事も自分の考えた方法で行うことを好む少年であった。

幼い頃から神童として優れた才能を発揮するとともに奇人振りをみせつける。ある人は幼き彼のことを”昆虫脳”と呼んだ。

その知的聡明さゆえに友人からは拒絶され、また彼自身も友人たちが興じているダンスやスポーツが、自分の実験や勉強に対して悪影響を及ぼすものであると信じていたようである。

若きナッシュが 1948 年にプリンストン大の大学院に応募したとき、カーネギー工科大学の恩師 R.J.ダフィンは、推薦状に一行しか書かなかった:「この人物は天才です」

まさに天才の中の天才であった

1949年、彼がプリンストン大学に在学中の21歳のとき、「『非協力』ゲーム理論」を確立した。

これを学位論文として提出し、22歳のときに博士号を取得したのだ。彼が「若き数学の天才」と呼ばれた所以である。

学部時代にかれは、知らないうちに(そして独立に)ブラウアーの不動点定理を証明した。

後に、かれはリーマンの最もややこしい数学上の難問を解決した。

統合失調症を患い、長い闘病生活を送ったことでも知られる

天才達がひしめくプリンストンの中でも、若手ナンバーワンのスターであったナッシュは、30代頃から30年余りにわたって、精神分裂症(最近は「統合失調症というそうです)という過酷な病気と闘うことになります。

講義中に「自分がローマ法王の格好をして雑誌ライフの表紙になった」などと言ったり、「自分は各国の政府の要人と付き合いがある」と言ったり、南極大陸の皇帝を自称したりと散々なことになっていた

1 2