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中国人の苗字の由来・ベスト100!

中国人の苗字(名字)・姓の多い順ベスト100と由来の一覧表です!キレイにまとまってるページが見当たらなかったので見やすさ重視でまとめました!中国の漢字(簡体字)と日本での漢字(繁体字)とピンイン(発音記号)を多い順に記載していきます。三国志の登場人物も併記でファン必見!姓氏別人口分布図付き。

更新日: 2017年05月05日

musca7144さん

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■中国人の姓について

中国の姓は出身地、居住地、国、祖先の名、祖先の官職、職業、動物、植物、順序、皇帝からの賜姓、少数民族の漢化、音便変化、避諱(目上の者の実名を呼ぶことを避けるための変名。)などがある。中国の姓の起源は5000~6000年ほど前までさかのぼるので由来が明確ではない姓、由来が複数ある姓が多く存在する。現在使用されている姓の多くは周代(紀元前1046年頃 - 紀元前256年)に起源を持つ。

10億人を超える人口を持つ中国だが中国史上に登場した姓氏は1万2000ほどしかない。そのうち単姓は5000、二字姓は4000、三字以上の姓は2000余りである。現在使われている姓氏は約4700。そのほとんどが単姓であり、二字姓は100余り、三字以上は極稀である。そのうち、上位の100姓で全人口の60%以上を占める。

中国は周王朝以前は母系を中心とする氏族制度であった。そのためその時代の姓には女ヘンがついていることが多い。古代八姓「姬、姜、姚、嬴、姒、妘、妫、姞」は周代以前から存在し、多くの姓の起源となっている。

■1位 王 (日本語表記:王 読み:wáng) *祖先の官爵由来

現代中国五大姓のひとつ。祖先が任じられた官の名や爵位の名を氏とした姓。漢民族に限らず周辺民族などの王の子孫が名乗った例が多い。姓の始祖は姬晋という紀元前6世紀頃の周代の人物。中国全土に多い姓。代表的人物に王昭君、王羲之など。

中国後漢末期から三国時代の政治家。徐州東海郡郯県(現:江蘇省連雲港市東海県)の人。字は景興。子は王粛。甥(兄の子)は王詳。孫は王元姫。献帝に仕え、のち曹丕に仕えた。

■2位 李 (日本語表記:李 読み:lǐ) *祖先の官爵由来

現代中国五大姓のひとつ。祖先が任じられた官の名や爵位の名を氏とした姓。また、紀元前1000年頃の中国大陸で李利贞が李姓を名乗り始めたとも伝わる。中国大陸に広く分布、また朝鮮半島の姓にも多く見られる。代表的人物に李世民、李广、李白、李时珍など。

中国の後漢末の武将。曹操に仕えた。字は曼成。都亭侯、破虜将軍。兗州山陽郡鉅野県の人。中国大陸中原の、やや李姓の人口密度が高い地域出身。李典は学問を好み、儒学の素養もあり、諸将と功績を争うこともなく、士大夫にも謙虚に接した。軍中においても称えられたという。36歳の若さで病死し、愍侯と諡された。子の李禎が後を継いだ。

■3位 张 (日本語表記:張 読み:zhāng) *職業由来

現代中国五大姓のひとつ。古代中国で弓矢を開発した张挥が姓の起源と伝わる。古代から存在する姓だが中国の周辺異民族や少数民族にも少なからず見られる。異民族の漢化の際にもよく用いられる。弓矢の扱いを生業とする武人、職人が名乗り始めた例も多い。代表的人物に张仪,张衡,张良,张飞など。

中国全土に数多いが北方が比較的多い。

中国後漢末期から三国時代の蜀の将軍、政治家。字は益徳(えきとく)。幽州涿郡(現在の河北省涿州市)の人。『三国志』蜀志に伝がある。封号は新亭侯、のち西郷侯。諡は桓侯。三国志における脳筋の代表的人物。劉備が皇帝に即位した直後の詔勅では、張飛のことを古代の召虎に称えて、その武勇を賞讃している。また、曹操の参謀であった程昱らから「張飛の勇猛さは関羽に次ぐ」さらに「1人で1万の兵に匹敵する」と、また劉曄にも「武勇は全軍で群を抜く存在である」と評されており、孫権軍の重鎮である周瑜からも「張・関を従えれば大事業も成せる」と評されるなど、その武勇は天下に広く評価されていた。

■4位 刘 (日本語表記:劉 読み:liú) *地名由来

現代中国五大姓のひとつ。周王室が諸侯が卿、大夫に世襲として与えた田地、関、郷、亭を氏とした姓。少数民族の漢化の際に付けられた例もまま見られる。漢代における国姓。三国時代でも一般的な姓であったので多く用いられた。代表的人物に刘邦、刘彻、刘备、刘少奇など。

中国全土に分布、東北部に特に多い。

後漢末期から三国時代の武将、蜀漢の初代皇帝。字は玄徳。前漢の景帝の第9子、中山靖王劉勝(? - 紀元前113年没)の庶子の劉貞の末裔という。劉勝は子と孫も含めて120人以上の子を残しており、劉備の祖とされる劉貞は、紀元前117年に涿郡涿県の列侯として陸城亭侯の爵位を賜った。だが、紀元前112年の年始(正月)頃に、彼は列侯のみに課された漢朝への上納金(酎金)を納めなかったために、侯国を除かれ、史書の系譜もそこで止まっている。また、「先主伝」注に引く『典略』では、劉備は臨邑侯の庶流と記されている。

■5位 陈 (日本語表記:陳 読み:chén) *地名由来

現代中国五大姓のひとつ。周王室や諸侯が卿、大夫に世襲として与えた田地、関、郷、亭を氏とした姓。中国河南省周辺を発祥。司馬遷の『史記』などの史書は、西周時代の侯国陳の公族の本姓は嬀(女偏に爲)で、舜の後裔から出たものであると記録している。陳の発祥は、紀元前1127年、周の武王が舜の末裔であった陶器匠・嬀満を胡公に冊立して、陳(現在の淮陽)の土地を与えたことから始まる。亡国になった母国の名を姓とした人たちがあり、その末裔たちが現在の陳氏である。現在、陳国の正統家流として公認されている家門は、舜以後の系譜が確実に残っている中国の頴川陳氏一族だけである。ベトナムや朝鮮半島の姓にも見られる。南北朝時代の南朝の国姓。中国では古代から現代に至るまで富豪の多い一族として知られる。

西暦557年ー589年は南朝の陳が中国南部を治めていたせいか陳姓にも中国南部に明らかな偏りが見られて興味深い。

中国後漢時代末期の武将。字は公台。兗州東郡武陽県(山東省と河南省の境目)の人。曹操、のち呂布に仕えた。

■6位 杨 (日本語表記:楊 読み:yáng) *地名由来

周~西周時代の杨伯侨を起源とすると伝わる姓。姬姓起源、及び少数民族の改姓にも用いられた。隋の時代の国姓。楊帝(ようだい)、楊貴妃など。起源が複数あり、異民族漢化の際にも用いられるという人口が多い姓の共通点を持つ。ベトナムや朝鮮半島の姓にも見られる。代表的人物に杨坚、杨万里、杨利伟など。

大理国近辺に密集。姓氏発祥の地か。

中国後漢末期の政治家。字は徳祖。「楊脩」とも表記される。司隷弘農郡華陰県(陝西省華陰市)の人。曾祖父は楊震。祖父は楊賜。父は楊彪。子は楊囂。孫は楊準。母は袁術の妹。『三国志』魏志「曹植伝」、およびその注に引く『典略』などに記録がある。名門の子弟として生まれ、曹操に仕えその才能を愛されたが、曹氏の後継者争いで曹植に味方したため、その才能を警戒され殺害された。

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