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ほとんど知られていない新版画に注目【吉田博が分かる8つのこと】

新版画とは、明治30年前後から昭和時代に描かれた木版画のことです。版元を中心として、従来の浮世絵版画と同様に、絵師、彫師、摺師による分業により制作されており、浮世絵の近代化、復興を目指しましました。そのなかでも吉田博の残した仕事は「新浮世絵」にも「新版画」にも大きな影響を与えた巨匠です。

更新日: 2016年02月26日

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bawagさん

1876年 (明治9年) ~ 1950年(昭和25年)

福岡県生まれ。

日本国内では風景画家、山岳画家として活躍する一方、明治32年、23歳のときより数度に渡って渡米、 デトロイト美術舘、シカゴ美術館、ボストン美術館をはじめ多くの美術館で水彩・油彩画の展覧会を開催。外国での知名度も高い。

大正9年(44歳)頃より伝統木版画の制作を開始し、大正14年から自ら版元となり木版画出版に新境地を開いた。

明治、大正、昭和にかけての風景画家の第一人者として知られる。

001. 若くして才能を見出されただけでなく、渡米し成功を修め財も築く。

吉田博は、旧久留米藩士・上田束秀之の次男として、久留米市に生まれ、1888年、福岡県立修猷館に入学。1891年、修猷館の図画教師であった洋画家・吉田嘉三郎に画才を見込まれ、吉田家の養子となります。

1893年、修猷館を卒業し、京都で洋画家田村宗立に師事。1894年、三宅克己と知り合いその影響で水彩を描き始め、三宅の勧めで上京して小山正太郎が主催する不同舎に入門し、後に明治美術会の会員となります。1898年、明治美術会10周年記念展に、『雲叡深秋』、『雲』などを出品。

Hiroshi Yoshida was a 20th-century Japanese painter and woodblock print maker, noted for his absolutely breathtaking landscape prints.

Hiroshi Yoshida/Toledo Museum of Art

吉田博は福岡県久留米市出身。旧久留米藩の武士の家に生まれたが、15歳のとき図画教師に才能を見いだされて養子となった。23歳になると画家の親友と2人で、片道切符と描きためた水彩画を携え渡米した。
 当時の米国は、日本人が極めて珍しい時代。しかし吉田らは、気後れすることなく果敢にアピールした。デトロイト美術館で展覧会ができる機会にも恵まれ、描いた絵は売れに売れ、一気に大金持ちになった。
 さらに稼いだ金で、渡欧。諸国を巡り、パリ万国博に出品して受賞。欧州でも大成功した。後半生では木版画に傾倒。浮世絵と西洋画の良さを融合させた独特の画風を生み出した。
成功続きの痛快人生だが、国内の知名度が今一つなのがもったいない。

今回は、日本の洋画家、版画家であり、自然と写実そして詩情を重視した作風で、明治、大正、昭和にかけて風景画家の第一人者として活躍した版画家吉田博の作品24点をご紹介します。日本以外の世界の風景を版画にした作品も多数ありますが、情緒漂う日本的な美しさに溢れています。

スフィンクス
Hiroshi Yoshida/Toledo Museum of Art

002. 多様な技法による、新たな木版画を切り開く。

吉田博は大正9年(1920)に新版画運動を進めていた渡辺木版画店より、初めての木版画を出版しました。その後、大正12年(1923)の3度目の欧米旅行をきっかけに、時代に合った新しい木版画の創造を決意し、帰国後の大正14年(1925)より、彫師、摺師を自らの意図のもとに監修、統括する制作に切り替え、木版画制作に打ち込みました。

< 帆船 シリーズ >

博の版画の特色として、平均30版以上といわれる多色刷り、細部での亜鉛凸版の使用、大判木版画などがあげられます。なかでも帆船シリーズに代表される、同じ版木を用いて色を替えて刷ることによって、時間や気候の変化を表した同版色替の技法は大きな特色のひとつです。

< タジマハール シリーズ >

同じ構図、同じ版を使い色使いや重ねる材料などを替えて、何種類もの違う作品に仕上げる。
「朝の景色」「昼の景色」「夜の景色」など、多彩な光の変容を製版の過程で違えて表現する試み。

ナンバリングのあるのは、
組番シリーズ。

003.大自然の描写―山岳風景と水の表現において右に出るものはいない。

自然の中に自らを没し、「仙骨」になりきることで真の風景が描ける

博は、自然崇拝の精神に基き、“自然の中に自らを没し、「仙骨」になりきることで真の風景が描ける”という信念をもち、制作に励みました。山を愛した博は、30歳頃からは毎年夏になると日本アルプスに数カ月も籠もり画題を探し求めたほどで、昭和11年(1936)には日本山岳画協会を結成しました。

004.水のある風景も秀逸である。

水を描かせたら吉田博の右に出るものはない」と言われた卓抜な水の表現など、博の風景画はいずれも圧倒的な臨場感が画面を覆う。

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