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長崎・広島・福島の放射能被爆で人体実験の結果。原爆・原発で被爆する恐ろしさ。アメリカ軍の大虐殺

日本は、世界で唯一の原爆を利用された被爆国なのに、まだ原発を利用しようとして、国土を放射能汚染にさらして、頭がおかしいです。米軍は人体実験として広島・長崎を利用しました。日本は、西日本に原爆を落とされ、東日本で原発で被爆しました。長崎の城山小学校の被爆についてもまとめました。

更新日: 2019年09月05日

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misukiruさん

◆広島・長崎 30万人の大虐殺

ちちをかえせ
ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつながるにんげんをかえせ
にんげんのにんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉 (被爆者・詩人)

投下から数時間後、第一報を耳にした米国のハリー・トルーマン大統領は、原子爆弾の爆発を「歴史上最大の出来事」であり、「圧倒的な成功」だと誇らしげに宣伝しました。

◆毎年、行われている広島・長崎の平和宣言

『多くの子供が親を亡くしていた。生き延びた子供は、幼い弟や妹を親代わりとなって支えていた』

確かに日本軍は中国や韓国に対してひどい事をした。しかし、あの小さな子供たちが何かしただろうか。

*広島・長崎を撮影したジョー・オダネル氏の言葉

◆犠牲になった子供たち

背中の子供は、既に死んでいるのです。ジョー・オダネル氏が撮影した写真

この写真を撮ったのは、アメリカ人のカメラマン、ジョー・オダネル氏でした。

オダネル氏は、日本軍に真珠湾攻撃を受けた事により復讐心に燃え、日本人を殺すために19歳で軍隊に志願した。

◆広島・長崎 原爆の記録

『体のあちこちに異変が起きた。25回も手術をすることになった。』彼自身も、この後日に体から浴びた放射能によって、体をむしばまれていきました。

傷ついた人々を撮影しているうちに、日本人に持っていた憎しみが消えていった。憎しみから憐れみに変わった。

眠ろうとしても眠れない。悪夢が終わらないのだ。写真を見たくなかった。見ると長崎の悪夢が蘇ってしまう

オダネルは2007年8月9日、85歳で帰らぬ人となる。奇しくも長崎の原爆の日が彼の命日となった。

罪のなき子供が被爆して、被爆した母親から乳を貰っています。

原爆投下3時間後の中国新聞に掲載された写真です。

中央の女の子が黒焦げの赤ん坊を抱えています。火傷した子供達が左側にうずくまり、ほとんどの人が酷い火傷をしています。

◆人体実験としての広島原爆

被爆した少年の谷口綾嘩さん、被爆者の体験から平和活動をしている山口仙二さんの写真です。

広島の爆心地から1・6キロ以上離れた地点で黒い雨を浴びた236人で、発熱や嘔吐(おうと)、下痢、血便、紫斑、脱毛などの急性症状が高率で認められた

被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。治療は全く受けませんでした。

この怒りを誰にぶつければ良いのだろうか。

現在も谷口さんは、体の不調に苦しめられています。

緑豊かな学び舎を5,000℃の熱線、秒速250mの爆風、致死量を超えた放射線が襲いかかりました。

私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです。

ここまで火傷が及ぶと、治療をしても助かりようがありません。(1945年8月10日撮影)

朝日新聞大阪本社写真部員・宮武甫さんが陸軍報道班員として広島市内に入り、1945年8月10〜11日に撮った写真

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