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ベルリン総統官邸の地下壕におけるアドルフ・ヒトラーの最後の日。ベルリン市街戦の様子。

ベルリンの総統官邸の地下に造られた地下壕についてまとめました。

更新日: 2018年11月28日

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misukiruさん

総統官邸の外観

1947年の写真です。非常に強固に作られていましたが、既にボロボロの状態です。

地下壕は攻撃に耐えられるよう厚さ4メートルものコンクリートによって造られ、深さは15メートルに達した。

もともとは空襲を避けるための防空壕だったが、戦況が不利になるにつれ、地上の官邸に替えて司令室として使うようになった。

官邸の庭に造られた地下壕の様子

右手の大きな長方形は最初(1935~36年)に造られたもので、左手の正方形に近いほうがこのとき新たにつくられたものです。

地下壕は総統大本営としての役割を果たしており、国防軍最高司令部や陸軍総司令部・空軍総司令部といったドイツ軍中枢に関わる人物がここで勤務していた。

ヒトラーはベルリン市街戦末期の1945年4月30日にここで自殺した。翌日には後継首相のゲッベルスも自決し、5月2日にはソ連軍に占領された。

総統官邸の地下壕の見取り図

ヒトラーとその愛人のエバ・ブラウンは官邸から家具を持ち込み、6部屋を使ってともに暮らしていた。

50名ほどが生活できる居住空間となっていました。ベルリンで最も強固な建物でした。

1936年当時、ここにあった総統官邸の下に一つ目の地下壕(天井の厚さ1.6m、壁の厚さ1.2m)を造り、ヒトラーが初めてこのシェルターに避難したのは、1940年8月のイギリス軍による空爆の時。

1944年10月には、連合国の爆撃に持ち堪えられるように厚いコンクリートで強化した地下壕が完成。

4月20日、地下壕には、ナチスの高官、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング、海軍総司令官カール・デーニッツなども集まり、ヒトラーは56歳の誕生日を祝いました。

地下壕は、非常に狭い部屋が区画ごとに分かれており、ヒトラーは、2階の一番奥の部屋を利用していました。

12.ゲッベルスの執務室と医師の部屋
13.会議室
14.会議室と地図室
15.電話交換室・ボルマンの執務室・警備兵の部屋
16.発電機と換気用植物
17.ヒトラーの執務室
18.浴室・化粧室
19.エヴァ・ブラウンの居室

地下壕の跡地が特定された事で、隠し切れなくなったベルリン政府は、そこに説明の看板をつける事にしました。現在は、駐車場となっています。

戦争中も豪華な暮らしをしていたヒトラー

ヒトラーの別荘がありました。

ヨーロッパ全土に位置していた総統大本営の一つとしても知られている。1935年に再建、拡張、名称変更

◆ベルリン市民の生活は、悲惨だった。

ドイツ国民は、空襲に苦しんで悲惨な状況になっていました。道端には、常に大量の遺体があふれ帰り、放置された状況になっていました。

第二次大戦末期、ドイツに侵入したソ連軍が、占領したドイツの町々で、子供や老人を含む多くのドイツ人女性を強姦、輪姦した事は、有名な事実です。

あるロシア人将校は、一週間のうちに少なくとも250人に暴行されたドイツ人少女に出会いさすがに愕然とした、という記録が残されている。

◆旧ソ連軍の兵士がベルリンを占領

1945年4月のベルリン市街戦の後に、破壊された議事堂ライヒスタークの屋根にテーブルクロス製の赤旗を掲げるソ連軍の兵士です。

1944年2月、西へと進む赤軍ですが、そこからは徐々に規律が失われていきます。「盗みは当然だ。さもないと生き残れない・・」。

占領軍は、パルチザンを非正規軍だとして虐殺しました。

「アルコール(シュナップス)さえ飲まななければ、襲い掛かって来たりしない」

さすがに多くの市民が見ている前でレイプするという事は無かったようですが、このように物品の強奪は良くある事だったようです。

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