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ざっくり「戦国武将」47人まとめ

斎藤道三、真田幸村、徳川家康、上杉謙信、浅井長政、前田利家、加藤清正、石田三成、黒田長政、高山右近、福島正則、今川義元、明智光秀、池田恒興、竹中半兵衛、松永久秀、山本勘助、秋山虎繁、小西行長、荒木村重、後藤又兵衛、蜂須賀小六、藤堂高虎、片倉小十郎、山内一豊、大谷吉継、細川忠興、他

更新日: 2017年07月11日

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hogehogemanさん

斉藤道三

斉藤道三 明応4年?-弘治2年(1494?-1556):岐阜県

斉藤道三(さいとうどうさん)は、美濃国(現岐阜県南部)の戦国大名。「美濃の蝮」の異名を取り、油売りから戦国大名へ成りあがった下剋上の典型とされてきた。しかし、近年の研究では、美濃の国盗りは、道三一代ではなく、父長井新左衛門尉との父子二代によるものと考えられている。

真田幸村

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。真田昌幸の次男。「真田幸村(さなだ ゆきむら)」の名で広く知られている。

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす) / 松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。海道一の弓取りの異名がある。

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名。後世、越後の虎や越後の龍、軍神と称される。

浅井長政

浅井 長政(あざいながまさ、旧字体表記:淺井 長政)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。北近江の戦国大名。浅井氏の3代目にして最後の当主。

前田利家

前田 利家(まえだ としいえ)とは、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。

加藤清正

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後熊本藩初代藩主。別名虎之助(とらのすけ)
豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人である。その後も各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられた。秀吉没後は徳川氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後国一国を与えられ、熊本藩主となった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。

石田三成

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣。豊臣政権の五奉行の一人。
関ヶ原の戦いにおける西軍側の主導者として知られている。

簗田政綱

簗田 政綱(やなだ まさつな)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。名は広正とも伝わる。
尾張国の人で、春日井郡九之坪城主であった。来歴は不明だが、永禄2年(1559年)領内に十所神社を建立した記録が残っている。織田信秀・信長父子に仕えたという。
「簗田政綱」の名は、『三河後風土記』の桶狭間の戦いの条に見られる。通称は出羽守で、桶狭間の戦いに織田方として参戦した武将として名前が挙がっている。
一説には、今川義元の本陣の場所を織田信長に伝え、義元の首を挙げた毛利良勝よりもその功績は大きいとして、沓掛城主となったという。しかし、なぜ本陣の場所を簗田が知っていたのか、なぜ功績を讃えられたのか、不明な点が多い。

黒田長政

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