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サザエさんにも出てくるヒロポンは覚せい剤だった! ワカメとタラちゃんが飲んでゲラゲラ笑うシーンあり!

昔は覚せい剤は合法でした。そんな時代もあったようです。日本人が作ったものというのも驚きです。

更新日: 2016年11月12日

mura49さん

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都市伝説ではなかった!

【サザエさんの伊佐坂先生は実は覚せい剤所持者】長谷川町子先生が昔「似たもの一家」という伊佐坂家中心のお話を書いていたそうです。 その中で、「ヒロポン」という名前の覚せい剤を伊佐坂先生が所持し、近所の子がそれを誤って飲んでしまった事もあるらしい。

ヒロポンの語源は?

「ヒロポン」の語源は俗に「疲労(『ひろ』う)を『ポン』と飛ばす」と言われているが、実際はギリシャ語"philoponus"(労働を愛する)が正しい語源である。

大日本住友製薬

大日本住友製薬株式会社(だいにっぽんすみともせいやく-、英文社名:Sumitomo Dainippon Pharma Co., Ltd.)は、住友化学株式会社の連結子会社で、住友グループ広報委員会にも参加する製薬メーカーである。かつて覚醒剤が合法だった時代に、ヒロポン(Philopon)を一般販売していた。

国家公安委員長(82年当時)が昔ヒロポン飲んでた、発言

1982年、テレビ朝日系列放映の『あまから問答』で「なくせ暴力団、覚醒剤、交通事故」というテーマの回があり、ゲストとして呼ばれた当時の世耕政隆国家公安委員長は次のような発言をしました。

「ヒロポンは戦前は薬局で売っており、ぼくらの学生時代には試験の前などによく飲んでいた。気持ちがいいし、能率があがる」。

 いくら戦前には覚醒剤の一種であるヒロポンが合法だったとしても、国家公安委員長ともあろう立場の人が反覚醒剤キャンペーンの番組に出て、「気持ちがいいし、能率があがる」はないでしょう。彼の社会性に疑問符がついてもやむをえません。

2016年2月2日午後11時過ぎ、元プロ野球選手の清原和博容疑者が覚せい剤(覚醒剤)取締法違反の疑いで警視庁に逮捕されたと速報ニュースが流れています。清原容疑者は覚せい剤取締法「所持」の疑いで逮捕されました。
清原容疑者は昭和61年にドラフト1位で西武に入団しその年に新人王を獲得。その後は巨人、オリックスと移籍し平成20年に現役を引退。引退後に黒い噂が出ていましたが、ネット上では「やっぱりか」「悲しすぎる」といった反応があがっています。
http://ringosya.jp/kiyoharakazuhiro-kakuseizai-20011

世界で最初に覚せい剤を合成したのは日本人

化合物としては比較的古くから知られているんですが、このメタンフェタミンを合成したのは日本人。薬学界の長老だった長井長義博士が、「麻黄」の有効成分で喘息や咳の薬として使われるエフェドリンを創製したとき、その誘導体の1つとして作られました。明治26年(1893)のことです。

長井長義(ながい ながよし、1845年7月24日 – 1929年2月10日)は、日本の薬学者である。日本薬学会初代会頭。エフェドリンの発見者として歴史に名を残している。日本薬学の開祖。

昭和25年まで覚せい剤は違法ではなかった!

こちら仕事場向けのアゴチン錠
(精神、肉体の過労に対する治療および予防、徹夜時の睡気、心身過労の除去に効果)

戦後日本の中毒者は100万人

日本で覚醒剤のリスクが認識されたのは昭和22年に入ってからでした。ただ、海外の文献にも薬害のくわしい記載はなく、最初は精神疾患と誤解されました。
 その後、昭和25年に薬事法で劇薬に指定、さらに翌年に「覚せい剤取締法」が施行されましたが、時すでに遅く、すでに覚醒剤はきわめて深刻に蔓延していたのでした。

 昭和29年、どれくらい覚醒剤が蔓延しているかの調査が行われました。主として15〜30歳をターゲットに20万枚の調査票が配られました。12万枚ほど回収されたなかで、8865人が使用経験ありと答えています。

昭和24年(1949年)11月6日付の東京日日新聞には次のような記事があります。
“ヒロポンの値段は注射10本入り(公定価格)81円50銭であるが品不足で100円以上でヤミに流れている。 ヒロポン錠剤は20錠入り21円、50錠入り43円でヤミはない。これらを買うには薬局にハンコをもっていけば誰でも買えることになっている。”
なおコレクションのヒロポンの瓶には[除倦覺醒剤]と書かれており、また東京市と入っていることから昭和18年当時のものかと思われます。

昭和24年(1949年)11月6日付の東京日日新聞には次のような記事があります。
“ヒロポンの値段は注射10本入り(公定価格)81円50銭であるが品不足で100円以上でヤミに流れている。 ヒロポン錠剤は20錠入り21円、50錠入り43円でヤミはない。これらを買うには薬局にハンコをもっていけば誰でも買えることになっている。”
なおコレクションのヒロポンの瓶には[除倦覺醒剤]と書かれており、また東京市と入っていることから昭和18年当時のものかと思われます。

体力をつけ、倦怠感や眠気を取り除き、作業の効率を高める薬の宣伝です。適応症を見ると、体や精神を酷使するとき、徹夜作業のとき、疲労しているとき、そして2日酔いや乗り物酔いの時にも効果があると書かれています。なんだか夢のような薬ですが、この「ヒロポン錠」、実は覚醒剤なのです。
 かつて、覚醒剤は日本の薬局どこでも買える普通の薬でした。そんなバカな、と思うでしょうけれど。
http://www.tanken.com/kakusei.html

もともと「ヒロポン」という一種の強壮剤のような形で
大日本住友製薬が販売していました。
現在では「アイス」「スピード」「シャブ」「S」「クリスタル」等と呼ばれ
最も危険なドラッグの一つとして知られています。
強烈な快感、多幸感や高揚した気分を味わえ
3時間から12時間位にわたって覚醒状態が持続します。
その間は眠ることも物を食べる事も必要なくなります。
ただし、本当は体は食事や休息を欲しているのに
ドラッグの力でそれを錯覚させているだけです。
そのために、効果が切れた後は激しい抑うつ、
疲労倦怠感、焦燥感に襲われます。

藤田まこともヒロポンを常習していた!!!

出典eiga.com

ふりがな: ふじたまこと
本名: 原田真
誕生日: 1933年4月13日
没日: 2010年2月17日
出身: 日本/東京

「昭和20年、両親の入院費用を生み出すため14歳の藤本義一は、終戦直後の10ヶ所の焼跡闇市のあちこちを走り廻る。
カレー、焼き芋、フライパンなどの闇市の品の値決め連絡役での走り使いだ。
悪い遊びにも染まる。
14歳にして酒と煙草、そして街の女に童貞まで捧げる。
すさんだ世相と激動混乱の時期を少年たちは「一度は親孝行をせにやあかんのや」などと互いに励まし、酒と煙草には慣れてもヒロポンだけは「からだがボロボロになるから」と手を出さなかった。」
だが藤田の場合はそのヒロポンも体験した。
それもヒロポンの常習者として。
19歳、便所でヒロポンを打とうとする現場を警官におさえられたが、もったいないからと、とっさに注射器を挿したとある。
闇市の少年は、旅の「一座」の役者兼歌手もつとめ高校1年で中退、ディックミネの鞄持ちもやり前座で歌ったらしい。
藤田も藤本も生年は1933年の同年生まれ。

ビートたけしが語る、芸能人と覚醒剤 東MAXの父も常習者だった!!!

たけしによると、昔から薬物に手を染めている芸能人は多く、芸人ではミヤコ蝶々、三波伸介、東八郎、かしまし娘などの実名をあげたが、1951年の覚せい剤取締法執行まで「ヒロポン」と呼ばれる薬物は合法だったため、使用していたとも説明する。

また、たけしがフランス座にいた頃は、ダンボールにアンプル(注射剤)が山積みになっており、皆、これを使用してから舞台に上がっていたようで、これにはさすがのたけしも「驚いた」と明かしている。

東 八郎(あずま はちろう、本名:飛田 義一(ひだ ぎいち)、1936年5月31日 - 1988年7月6日)はコメディアン、タレント。東京府東京市浅草区(現・東京都台東区浅草)の出身。昭和時代を代表するコメディアンの一人である。妻との間に3男2女があり、次男にお笑いコンビTake2の東貴博、三男にタレントの東朋宏がいる。
Feペディアより

メタンフェタミン

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