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サイパンが舞台の「南洋興発」という日本の超大企業が興味深い

サイパンにかつて存在していた日本の超大企業「南洋興発」に焦点を充てて、サイパンの歴史と日本の底力溢れる戦前の企業を垣間見る。やはり南の島はいいところが多く癒されます。しかし、この会社スゴイです。

更新日: 2015年09月18日

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「南洋興発株式会社」戦前に存在していた日本の国策企業である

サイパンに存在していた製糖工場。
つまり砂糖の精製を行っていた。そして、、、

南洋興発株式会社(なんようこうはつ、英語: Nanyo Kohatsu Kabushiki Kaisha)は、
かつてサイパン島に存在した日本の株式会社。

満州を中心とした南満州鉄道に対して、南洋興発は南洋諸島を舞台として発展した。
このため、この会社を「海の満鉄」「北の満鉄、南の南興」と呼ぶこともある。

あの満鉄に並ぶ日本の大企業であった。

初代社長は?「シュガーキング」こと「松江春次」氏

政府と東洋拓殖の協力の下に、南洋興発を創業し、その最高経営責任者(専務取締役)となった。
創業3年目で経営を軌道に乗せ、そしてテニアン島にも製糖工場を建設したのを機に、欠員だった取締役社長に就任した。
その後、製糖業以外にも事業を拡大し南洋群島における最大の企業へと発展させた。

わずか創業3年で軌道に乗せたその経営手腕はまさに「シュガーキング」の賜物。

1920年に危機的状況に陥っていた日本の産業開発関連の会社から従業員を貰い受け、
砂糖精製の可能性をベースに、次々と課題を解決し、人をも救って構築した。

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1920年に南洋殖産、1921年には西村拓殖が倒産した。
そして、後には従業員である約1,000人の移民が取り残された。
残された労働者は飢餓に苦しみ、土着の住民の主要な食糧であるヤシがカイガラムシによる
虫害を受け、彼らも食糧難に襲われていた。
これらの2社の倒産の同時期に、日本内地と台湾で製糖業に携わっていた松江春次は、
移民の救済と南洋での製糖業の将来性を主張していた。
これらの失業者の救済と南洋開発のため、松江春次を中心に設立されたのが南洋興発である。

南洋興発のすごいところ

鳥居のかたちを横にしたような形。
NとKを形どっているかと思われる。
本社があったチャランカノアの郵便局敷地内に残っている。

ジャワ品種のサトウキビの導入による虫害の撲滅、輸送状況の改善により、
1925年から経営は好転する。
1925年に南洋興発の工場で9,000トンの砂糖が生産され、1935年には68,000トンにまで増加する。

松江社長の経営手腕から10年間で7倍以上のもの生産量を叩き出した奇跡の企業であった。

製糖業の中心地であるサイパン島とテニアン島のジャングルは開拓されて工場・農場に変わり、
道路・軽便鉄道が敷設された。

最終的には従業員・関係者は約48,000人と満鉄に匹敵する規模の大会社に成長した。

1934年以降のサイパン島、テニアン島の日本人人口は現地住民の10倍以上に増加し、
1930年代半ばまでに南洋興発の従業員数は南洋群島の全人口の約半分を占めるようになっていた。

サイパンを語る上で看過できない歴史上の大きな一コマとなった。

今のDFS近くに存在していた出張所。
ガラパン地区は現在、サイパン島一の繁華街となっている。

南洋興発は製糖業で得た利益を基に南洋の拓殖事業へと発展していきます。

酒造業、鉱業、水産業、農業、運輸業など業種が拡大され、サイパン、テニアン、ロタでは
総面積の7割を甘蔗畑にするなど独占が目立ってきます。

総面積の7割って広すぎて想像がつかない。
業種拡大でもはたコングロマリット化した。

こんなスゴイ大企業がどうして無くなってしまったのか?

当時の建設技術の高さがうかがえる跡地

1942年に南洋興発には南洋貿易(NBK)と合併し、事業分野を拡大する。

しかし、南洋群島の地力の低下に伴う砂糖の減産、軍需産業への労働力の提供は、
会社にとって重い負担となる。

戦争の激化に伴い、南洋諸島はアメリカ軍の占領下に置かれ、南洋興発の事業所も壊滅的な被害を受けた。
1944年にマリアナ諸島でマリアナ地区軍民協定が締結され、南洋興発は軍に全能力を提供するが、アメリカ軍の上陸・占領により施設・従業員の両方に多大な被害を受け、会社の機能は事実上停止する。
終戦後、1945年9月にGHQにより閉鎖機関に指定され、解散した。
1954年に閉鎖機関指定は解除されたが、南洋興発の経営が再開されることは無かった

ようするに太平洋戦争の終結により、米軍の介入がありそのまま再建されなかったということになった。
今でもサイパン島に残る遺跡の数々からは、なかなか想像がつかない。

今はみられない当時の発展ぶり

かなり発展していた工場地帯が窺い知れます。

昔からは想像のつかない平和で誰もいない風景が拡がっています。

銅像も今ではとても平和な雰囲気の中にたたずんでいる。

サイパン旅行いかれる方に一つだけお薦めしておきます

少し中心地から離れているため、車でないといけません。

地元民に愛されていて、なかなか観光客もいかないところですが、ご飯も美味しく、ここから見える夕焼けが最高です。

復活した「南洋興発コーヒー」 米国人夫妻、半世紀ぶり輸出再開

当時、南洋興発所有の珈琲農園が多数存在し、一部はそこからも採れている。
100%マリアナスは高級珈琲だ。

南洋興発が築いた日本人街は米軍上陸で壊滅し、コーヒー農園も放置されたままとなった。戦後、ジョーダン氏ら米国から来たプランナーがインフラ整備に尽力し、常夏の観光地を作り上げ、半世紀以上を経てコーヒー栽培を復活させた。

 ジョーダン夫妻は「ハワイのコナコーヒーよりもずっとおいしい」と誇らしげだ。「いまサイパンで採れた豆で作ったコーヒーは、南洋興発の時代のものとほぼ同じと思ってください」。

そういえば南洋興発時代には珈琲も栽培していたらしく、
米国人夫妻が「マリアナス・コーヒー」として復活したとは目新しいニュースである。

おー!ジョーダンさんが産経新聞に登場!(嬉) でも待て待て。よく読んでみると…えーっと、南洋コーヒーって、南洋興発とは別会社じゃなかったっけ?南洋興発コーヒーだった??南興史を見返さないといけませんな。... fb.me/w7M2boy2

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