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日本人の知らない日本統治時代の台湾

台湾。九州ほどのこの島に、「戦前の日本」がいっぱい詰まっている。葉っぱを海に浮かべたような島だが、東アジアの近代史を反映する出来事もこの地でたくさん起こっている。歴史認識が話題になる昨今、そもそも私たち日本人は、自分たちと隣国台湾との過去をどれほど知っているかを、確かめてみましょう

更新日: 2017年01月09日

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この記事は私がまとめました

▼以下、あまり知られていない、戦前の、あるいは日本統治以前の台湾についてです

【まとめ編者】
日本統治時代の台湾を面白おかしく語るアニメ動画。これを制作するのは、臺灣吧(Taiwan Bar)の「台灣史全集」。企業がバックにいるわけでもなく、政府(国民党政府は本当の意味で台湾人政府とは言えない)の補助を受けたわけでもない。DJだという製作者・謝政豪氏は、台湾人が自分たちで語る台湾史をまとめたかったという。中国語が分かる人はぜひご覧あれ。台湾のために貢献した日本人たちも登場する。もちろん、耳に痛い話もあるので、多少は覚悟も必要

こちらが、上掲の、アニメとユーモアで語る台湾史シリーズの第一弾。後藤新平氏も登場する。当時、莫大な財政赤字を抱えた台湾行政にあって、日本は台湾をフランスに売却すべきか否か。こんなテーマから入っている

上掲アニメ『台灣吧-Taiwan Bar』でも解説されている。当初の混乱期は武力による台湾制圧が目的となった。日本人にとっても初めての植民地統治だっただけに、混乱の方が多かったかもしれない。その後、民主化されてきた日本国内の仕組みをそのまま台湾に延長させるという考え方が台頭。台湾人は徐々に正規教育が受けられるようになってきた。しかし、日本の運命が日中戦争・太平洋戦争へと傾いていく中、台湾人にも出陣命令がくだる。その前提としての、皇民化教育もこの時期に徹底されるようになった

▼日本統治時代の象徴的なものの写真をいくつか

南投県にある台湾最大の湖、日月潭(リーユエタン)は台湾の中で最も美しい湖と言われる。朝夕には霧が立ちこめることもあり、日の出の美しさは格別だ。台湾観光で行きたい場所ベスト3に入る人気スポットでもある。日月潭は湖の西側に浮かぶ拉魯(ラル)島を境に東が太陽、西側が三日月の形に似ていることからその名が付けられている。日月潭周辺は台湾原住民のサオ族(邵族)の居住地。付近には、日本統治時代に建設された大規模な発電所がある。貯水湖としての役割も担っている日月潭は、発電所建設のときに水を他から引っ張ってきているため水位が上昇、その面積が大きく拡張したと言われる

大觀發電廠(大観発電所)とは明湖ダムにある2つの発電所の総称で、一基は日本統治時代に建造された慣常水力発電所の大觀一廠と、もう一基は抽蓄水力発電所(揚力発電)の大觀二廠。これらの発電用の水は日月潭から引かれており、その規模はアジアでもトップクラスだ。大觀一廠は日本統治時代の1918年に着工し、数々の困難の末1934年に完成した。大觀二廠は大觀一廠の発電不足を補うために建設され、1985に完成した揚力式の水力発電所。しかし、台湾全体での発電量はいまや1900億kWとなり、水力の占める割合は2%まで低下している

漢人が持ち込み、300年の歴史があるというパイナップル栽培。その後、日本人がこれを工場化し、缶詰パイナップルが誕生した。台湾パイナップルは、一時、世界の主要な供給基地となり、今でも輸出品目のひとつである。リンク先には、今日の様子も含め、多数の写真を掲載している(ただし、中国語)

農業の島:台湾ではあるが、日本統治時代の水利事業がなければ、どうなっていたかは分からない。日本は当初、農業生産の拡大を期し、台湾に大規模な投資を行う。著名な新渡戸稲造を招聘し、サトウキビの生産を始め、製糖工場も建設した。また、八田與一による一大水利事業が展開され、嘉南平野はやがて大穀倉地帯へと生まれ変わる。総工費5,400万円:満水面積1000ha、有効貯水量1億5,000万m3の大貯水池・烏山頭ダムとして完成し、また水路も嘉南平野一帯に16,000kmにわたって細かくはりめぐらされた

日本統治時代の台北は、
1)城内、
2)大稲埕、
3)萬華、
の三市街地に分けることができた。都市としての礎が築かれたのは、萬華で、古くはケタガラン族の集落があり、その表記は「艋舺」だった。港区エリアとして発展、その後、今日の若者スポット・西門町をはさんで、大稲埕に至る。日本統治時代に埋立工事が進み、新興エリアとして開発が進んだ。そして城内は、台湾総督府の各機関が置かれ、美しい都市景観が整備された。新公園と呼ばれる緑地は1908年に整備され、今日では「二二八和平公園」となった。この命名は陳水扁が96年に命名したもの。国民党政治の独裁が敗れる象徴ともなっている

▼では、まず、台湾の地理的位置を理解しておきましょう。あなたはそれを説明できるでしょうか

【文章は水産総合研究センターHP参照】
日本人にとって意外と理解されていない「東シナ海」。大部分が大陸棚と呼ばれる浅い海域で、岸から約200mの深さまで緩い勾配をなす沿岸の出っ張りを指す。この海域は、魚介類に恵まれ、かつ鉱物資源の開発も期待されている。九州から台湾に至るまで隆起部が続いているが、その間には「琉球弧」という、およそ1,300kmの海上に島が弓なりに連なった琉球列島が続く

ユーラシアプレートとフィリピン海プレートとの境に、琉球海溝やマニラ海溝がある。2つのプレートの狭間で起こる現象が、今後いつ巨大地震を引き起こすかはなかなか予想が難しい。台湾が地震大国であるのも、この位置関係によるものだ。ちなみに、過去に発生した大地震としては:
●日本統治時代の1935年4月21日に発生したマグニチュード7.1の新竹台中地震
●戦後最大の地震は1999年9月21日に発生したマグニチュード7.3の台湾大地震

【文章は中華民国交通部観光局HPを参照】
台湾の緯度は沖縄よりはるかに南。台南はハワイに近い緯度になる。台湾の国土の多くは山岳地帯であり、3000mを越える山が約144峰です。更に4000m近くの高さを誇る玉山は東北アジア最高峰を誇り、かつて日本では新高山(にいたかやま)と呼ばれていた。したがって、台湾にはかなり豊富な高山植物が見られる。その険しい山々は台湾東部の海岸にまで迫っていて、数々の絶景を見ることができる

▼台湾は「九州ほどの大きさ」と言いますが、本当でしょうか

九州の地理に詳しい人なら台湾の街を理解するのは簡単。福岡の位置に台北があり熊本は台中、鹿児島は高雄ついでに基隆は北九州。その間を高速鉄道や台湾鉄道が結び高速道路もこのルート。東海岸の開発は西に比べて遅れていて平野も狭い。大分の位置に花蓮、宮崎の位置に台東。ただし山脈は九州より険しく富士山より高い山、玉山(新高山)まである

面積はほぼ同じだが、人口については倍近く、そして経済規模としては、(図とは異なり)直近データでみると、域内総生産が52.5兆円(2011年度)。最新レートで単純換算すると、4300億米ドル。これに対して台湾は、GDPが4740億米ドル。なかなかいいライバルぶりだが、現実には外資系進出企業が圧倒的に多く、地の利を活かした中国経済との一体化を強みに、成長を続けている台湾。九州が見習えることろはまだまだいっぱいあるようだ

▼台湾は、人類が大移動をする中継地点でしたが、古代・中世と、ここに文明が根付くことはありませんでした

「澎湖1号」と名付けられた化石は、ジャワ原人や北京原人、小型のフローレス原人に次ぐアジア第4の原人化石で、比較的新しい19万年前~1万年前に生息していたらしい。この化石は、顎や歯が頑丈だった。顎や歯は人類の進化とともに繊細化するという傾向からみて、従来知られていた原人の直系の子孫とみなせず、独自の原人化石と位置づけられた。新生代第四期の氷期には、海水面が下がって台湾とアジア大陸は陸続きになっていた。このため、台湾本島と澎湖諸島の間の海底からは、ゾウなどの動物の化石が底引き網にかかって大量に引き上げられている。その中に古代型人類の化石が混じっていた

台湾の新石器時代は「大坌坑(だいふんこう)文化」(7000~4700年前)と呼ばれている。台北の八里郷にあり、周辺の円山や芝山でも遺跡が見つかっている。その他は、台東や台南などの島南に多くの遺跡が見られる。南王村の卑南遺跡は、2000~3000年前の様子がほぼ完璧な形で発掘されている。

台湾で発見された遺跡のうち、最大規模になるのがこの台東県に位置する「卑南」だ。日本から、人類学・考古学・民族学の先駆者と称される鳥居龍蔵がここを訪れて写真を撮影している。そしてもう一人、鹿野忠雄の名前も残っている。日本統治時代の後期に台湾にいた日本人であり、有名な博物学者。台湾の山林や生物および原住民を研究し、卓越した業績を残しているという。日本の敗戦後、この遺跡の発掘作業は続けられなくなったが、1980年代、ようやく再び重視されるようになり、大規模な保護作業が9年にわたって行われた

世界には5000から1万の言語があり、それらは語族というグループにまとめられる。オーストロネシア語族には600から1200の言語が含まれると言われ、約2億7000万人の話者がいて、インドネシア語、マレー語、ジャワ語などが特に大言語である。台湾先住民もオーストロネシア語族に含まれている。このように太平洋へと拡散した語族は、実は、台湾あるいは中国本土の新石器文化にその起源があると考えられている。いったん台湾へ出ると、そこは航海技術を発達させるには絶好の土地だ。その環境が、「海の民」を育んだ可能性がある

同サイトによると、古代の中国からして台湾は何の利用価値もないと考えられてきたようである。陸続きでなくなった台湾は、大陸にとって港にも、船舶のルートにもならなかった。また大陸からの侵攻もあったようだが、結局何も変わらないままだった。他方、日本や琉球から見ても、「宮古凹地」という海峡のせいか、「見えなくなる」ほどの距離があり、交易などもなかったとされる。ゆえに、台湾ではオランダ人がくるまで言語がなく、原住民が暮らしているだけだった

現在、台湾に住んでいる人々は、
●ホーロー(福佬)
●客家
●外省人(戦後中国国民党とともに台湾に渡ってきた人々)
●原住民族の4つに分類される。原住民とは、オーストロネシア語族(南島語族)に属する諸民族の総称で、総人口の約2%を占めている。現在、行政院原住民族委員会によって、14民族が認定されている。日本統治時代に原住民族として分類されていた9民族に5つが加わっている

北海道日本ハムファイターズの陽岱鋼(ヨウ・ダイカン)選手は2005年のドラフト一位選手。WBCでの活躍を受け、台湾での陽選手の人気は一気に火が付いた。彼は愛国心に溢れる投稿をし、多くの台湾人の共感を得た。

【まとめ編者】
陽岱鋼は、何を隠そう、台湾先住民アミ族出身だ。後段で紹介する野球映画「KANO」で登場する先住民出身の選手と同じく、その身体能力には目を見張るものがある。彼の活躍もあって、日本のプロ野球が台湾で放送される機会が増えたのも素晴らしいことだ

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