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甲子園・高校野球大会と「戦時中」の類似点

好き嫌いが人によってキッパリ別れる文化はそうそうないが、甲子園・高校野球大会はその典型例だろう。この日本最大規模にして最も歴史の深い学生スポーツイベントには「戦時中」との類似点は多い

更新日: 2015年07月14日

gudachanさん

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朝日新聞・NHKが煽っている

大本営発表を検証せず戦意高揚を煽った戦時中の報道。現在では右派から「左翼メディア」と非難されがちな朝日新聞やNHK(当時・社団法人)も例外ではなかった。むしろ元幹部が検閲機関の総裁になるなど、積極的に煽る立場にいた

言論統制の結果もあるが、日本のラジオ・新聞などは大本営の発表を検証しないままに過大な偏向報道をし、国民の多くは国際情勢ならびに戦況の実態を知らされず、戦争が長期化する大きな要因となった

検閲の元締めである情報局は戦争後期、緒方竹虎や下村宏など朝日新聞や日本放送協会(NHK)の元幹部が総裁を務めている

「全国高等学校野球選手権大会」を主催しているのは朝日新聞社で、放送メディアではNHKが独占中継を行っており、他メディアも追従している。その流れの構造は戦時中と重なる

全国高等学校野球選手権大会(ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかい)とは、朝日新聞社と日本高等学校野球連盟の主催で、毎年8月に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われる日本の高校野球大会であり、入場者数は毎年80万人前後を動員する学生スポーツ及び国内アマチュアスポーツ最大の大会である

全体主義と根性論

戦時中の特徴である「全体主義と根性論」。極端な滅私奉公。精神論のもとに連なる全体主義は欧米主要国と比べ劣性にあったために生まれた概念だ

大正時代に全国中等学校優勝野球大会が始まってから「武士道野球」と言う概念は存在し続けていた。高校野球特有の全体主義、勝利至上主義はまさに戦時中と重なるものだ。あの「縦社会」も軍隊そのものだ

新聞社が、自ら主催して報道する娯楽イベントには、囲碁・将棋などがありましたが、その中で最も代表的なものは、 朝日新聞社が主催した全国中等学校優勝野球大会(現・夏の高校野球)です。高校球児の熱いドラマから始まり、活躍した人気選手がプロ野球界へと、それを追い続ける息の長いファンを獲得する一大エンターテイメントとして成立しています。当時から精神主義、集団主義、勝利至上主義を基調とする「武士道野球」を推奨していました。

尚、戦時中の日本軍人の象徴である「丸刈り」は高校野球の野球部員たちにも引き継がれている

昔、多くの中学高校で丸刈りが校則で強制されていましたが、今ではほとんどないはずです。しかし、野球部だけはまだほとんどが丸刈りです。
スポーツのユニフォームは一般にカラフルなものです。柔道着もかなり前にカラー化されましたが、高校野球だけはカラー化されません。

「戦争する髪型=丸刈り」は軍隊でも多用されるが、それは軍隊に兵士に上官の命令だけに忠実に従うだけのロボットを求めているからだ。兵士から個性は収奪される。監督やコーチの命令のままに動く選手など大成しないであろうし、第一監督やコーチが人間である以上、多くの過ちを犯すのだから、選手個人が考える野球を目指さない限り、野球の技術もふくめ全てで停滞するのである

悲劇賛美としての「感動」

百田尚樹氏の代表作である神風特攻隊を描いた『永遠のゼロ』。その内容については、「特攻隊を賛美している」と言う批判もある。著者の百田氏は意図しなかったようだが、理不尽にも戦争に巻き込まれた軍人の「滅びの美学」を礼賛するような発想は、右翼趣味の一部の日本人には存在するものだ

ニュアンスの違いはあれ、『永遠の0』に対して「特攻隊や戦争を賛美している」という批判がけっこうあります

いくら軍上層部への批判を盛り込んだとしても、特攻隊員の悲劇や苦悩、人間性の素晴らしさ等を強調することで「特攻は決して無駄な作戦ではなかったという感覚を抱かせる」「戦争を起こした日本の加害性を薄めることにつながる」というような意見です

野球部といえば、水も飲めないような過酷なトレーニングがおなじみだ。そうした「鍛練」を繰り広げ、熱中症の激化する真夏に「死闘」を繰り広げる。そして負けた選手は、整列し、土下座をしたり、甲子園の土をかき集めるなどして泣きじゃくる。このような「過酷にさらされること」や「滅びの美学」へ「感動」する発想は右翼趣味そのものだ

高校野球の魅力とは、端的に言えば「滅びの美学」だ。ファンは疲れた体にムチを打ち、ボロボロになるまで戦う姿に感動する。前出トレーナーが言う。
「甲子園ほど体に悪いものはない。こんな暑い時期に、あんなに暑い地域で、もっとも暑い二時前後にも当たり前のように試合を組んでいる。ここ数年、足をつる選手が続出しているのですが、あれは完全に熱中症状。外に出ることさえ控えるべき環境の中で連投させて、しかも平気で百球以上投げさせるなんて、虐待以外の何物でもないでしょう。それを喜んで観ているファンも相当、悪趣味です。アメリカ人がクレイジーだというのも、もっともです」

開会式と行進曲

戦時中を振り返る際によく映像として用いられる「学徒出陣」の光景。この行進・整列が何かに似ていないか。そう。甲子園の開会式そのものだ

あの行進は敬意をはらう行進だとしても、今時の高校生にやらせるべきではないでしょう。なぜなら、旧・日本軍、太平洋戦争時の学徒出陣、彼(か)の国・北朝鮮、戦後も軍隊の伝統を引継いだ自衛隊や警察隊の式典行進、あるいは政府の儀仗(ぎじょう)隊ぐらいしか見掛けません。高校野球は、戦前の戦局悪化につれて国威発揚を高めた歴史があります。例の行進は、戦前・戦中の旧・日本軍の行進の名残りと言えます。高校野球の行進を見ると、まだ“戦後は終わっていない”どころか、戦前のままです。

なお、春の高校野球(いわゆる「センバツ」)の行進曲の変遷は、時代の影響をもろにうけている。大正ロマン昭和モダンの時代は洋楽を採用。しかし戦時中は軍歌(戦時歌謡)一色に染まり、戦後はヒットソングで行進をするようになった。AKB48や「ありのままに」を用いながら軍隊式行進を繰り広げる様子は、シュールだ

軍隊行進の一方で、春の大会は流行歌を行進曲にするなどチグハグです。1930年代は「星条旗よ永遠なれ」「モンパリ」などの欧米曲、戦局が悪化すると軍歌一点張り、戦後まもなくは「異国の丘」「鐘の鳴る丘」、そして欧米曲が復活、流行歌が定着したのは1962年・坂本九の「上を向いて歩こう」でした。「ルビーの指環」の歌詞は高校生にとって教育的にどうか?途中でスキップしないと、行進が合わないのではないかとも心配しました(苦)。AKBや“ありのままに”の曲をバックに軍隊行進をさせるとは、主催者は何を考えてるのか?

夏の甲子園のテーマソング『栄冠は君に輝く』と、NHKの高校野球中継のオープニング曲『スポーツショー行進曲』はそれぞれ古関裕而氏の作曲の行進曲だ。古関氏は戦時中、多数の軍歌を残している。「六甲おろし」や「闘魂こめて」も同氏によるものだ

『栄冠は君に輝く』(えいかんはきみにかがやく)とは加賀大介作詞、古関裕而作曲の歌・行進曲である。1948年発表。副題は「全国高等学校野球大会の歌」

『スポーツショー行進曲』(スポーツショーこうしんきょく)は、古関裕而によって作曲された行進曲

戦時中は戦時歌謡で数々の名作を残している。古関メロディのベースであったクラシックと融合した作品は、哀愁をおびたせつない旋律のもの(愛国の花、暁に祈る等)が多かった。それが戦争で傷ついた大衆の心の奥底に響き、支持された。戦時歌謡を作るかたわら、ヴァイオリン協奏曲のスケッチを重ねていたが、完成に至らぬうちに譜面が散逸したという。古関自身、前線の悲惨な体験や目撃が『暁に祈る』や『露営の歌』に結びついたと証言している。また自らの作品で戦地に送られ戦死した人への自責の念を持ち続けていた。

地元の送り迎えの「熱狂」

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