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【芥川賞】ピース又吉芥川賞おめでとう!ピース又吉の本についての熱い思いまとめた!【又吉直樹】

【芥川賞】ピース又吉芥川賞おめでとう!ピース又吉の本についての熱い思いまとめた!【又吉直樹】

更新日: 2015年07月17日

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hcheckinさん

お笑い芸人初の快挙だ! 「第153回芥川賞・直木賞」の選考会が16日都内で行われ、お笑いコンビ「ピース」又吉直樹(35)の処女小説「火花」が芥川賞に選出された。羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」とのダブル受賞だった。

 同作は単行本累計発行部数が6月末までに54万部を突破し、純文学では異例の売り上げを記録。5月には「三島由紀夫賞」にノミネートされたものの、惜しくも受賞を逃した。

▼芸人随一の読書家ピース 又吉 直樹がGALAPAGOSに出会ったでのインタビュー

又吉さんは、「芸人随一の読書家」と言われるほど本がお好きと聞きました。
又吉そうですね。中学生のときに芥川龍之介の『トロッコ』に出会い、読書の面白さに目覚めましたね。小学生のうちから本は読んでいたんですが、初めて心の底から共感する作品に出会って面白く感じて、次に同じ芥川龍之介の『羅生門』を読みました。
ーそれからはどんな本を読み進めるように?
又吉国語の教科書の便覧に載っているような作品が、どうやら自分の好みらしいと気づいて、芥川龍之介から太宰治、三島由紀夫などの純文学を読みあさりましたね。中学、高校の電車の行き帰りに、新潮文庫などで読んでいました。

ー今も、国内の作家の作品を主に読まれるんですか?
又吉そうですね。本って、当然ですけどものすごくたくさんあるじゃないですか(笑)。一生かかっても読めない本の山を前に「さて何を読もうか」と考えたときに「とりあえず国内の作家に絞ろう」と。
ーふだんはどんな時に本を読まれるんですか?
又吉移動中はたいてい何かしら読んでいますね。いつも4~5冊は本を持ち歩いています。ちょっとした移動時間は、エッセイなど短くて軽めの内容のものを。東京~大阪の新幹線移動では、ミステリーなどわりと長めのものを読みますね。移動時間のほかに時間が確保できたときは、小説を手に、その小説にあった雰囲気の場所へ足を運んで本の世界にどっぷり浸かることもありますよ。
ー至福の時ですね。
又吉それはもう。

ー又吉さんは、ある雑誌の特集で神保町を愛する人を選ぶ「神保町の10人」に、古本屋の主などと並んで選ばれたことがあるようですが…。
又吉神保町が好きでよく通っているんで…たまたまですよ。
ー目当てのものを探しに古本屋めぐりですか?
又吉目当てのものがあるときもありますし、ただブラブラすることも。この間は、太宰治の『人間失格』の初版本を見つけて興奮してしまいました。
ー人間失格の初版本…! それはすごい。やっぱり初版本は本好きにとってはたまらないものなのでしょうね。
又吉そうですね。だんだん、こだわってきてしまうんですよね…。1冊を保管用に、もう1冊を実際に読むために2冊買いをしたり…。

ーふだん、電子書籍などで本を読むことはあります?
又吉それが、まったくないですね。本は最初から今までずっと紙で読んでいます。
ーやっぱり、あの質感がいいんでしょうか?
又吉うーん、それもありますし、何というか「リアルに存在している感じ」は外せないのかな。
ーというと?
又吉本を読むだけじゃなくて、本を買いに行く行為も好きなんです。翌日は本屋に行こう、と決めたときから読書はもう始まっている。「明日はどんな作品と出会えるんだろう」と考えただけでワクワクしてしまう。「本」というものが存在していて、手にとって買おうか買うまいか悩んだり、そういった行為を含めて本を楽しんでいるんです。

▼又吉直樹(ピース)の名言コラム「確かにお前は大器晩成やけど!!」

中学生の頃、太宰治の『人間失格』を読み衝撃を受けた。そこに書かれていた幼少期から少年期までの主人公大庭葉蔵の振る舞い方は自分自身が世界に向き合う時の方法そのものだったからである。

 なぜ誰も知らないはずの僕のやり方がここに書かれているのだろう? この人は一体なんなのだろう?  そのような感覚が最初の印象であり、ということはだ、ここに書かれている凄惨な出来事が今後自分自身の人生にも起こるかもしれないという恐怖も感じた。

 『人間失格』を読んだ多くの人が、僕と同じようにこれは自分の物語だと感じるらしい。

 それを不思議に思う人は毎年必ず生まれるラブソングの流行歌を思い出して欲しい。

流行歌をさして、「あれ、私達の歌だよね」などと言うカップルを阿呆だの馬鹿だの痛いだのと揶揄もするけれど、どこか思い当たるふしもあるはずだ。

 なぜラブソングが売れるのかは単純なことで子供から大人まで誰もが恋愛を経験したことがあり、強い想い出、強い憧れがあり万人が共感できるテーマだからである。

 数万人の人々がその恋愛の歌詞に自分の恋愛を重ね合わせ共感し自分の曲として感受する。

 そして、数年後に突然懐かしいラブソングが聴こえてくると昔好きだった人を思い出してしまうのである。

これは、「あれ、私達の歌だよね」と公言するか否かの問題は置いといて、多くの人が潜在的にそのラブソングを自分の人生に重ね合わせ自分のものとして消化してしまっている証拠だと思う。

 「自分の歌だなんて、おこがましい」

 と謙遜する人も多いだろう。

 「俺は洋楽のロックしか聴かないから、これが自分の歌だなんて、ダセえ」

 と自己主張する人もいるだろう。だが、そんな人も恋愛に破れて落ち込んだりもするのである。

 特殊な人生を歩んで来た人を除いて、ラブソングは不特定多数の人の心に刺さりやすいようになっているのだ。

ラブソングを馬鹿にする人には、『巷で流れる軽いラブソングに吐き気がする……』というようなカウンター気味の平凡な歌詞が又々用意されていて、そちらに共感しておけばいい。

 類型というのは恐ろしく、あらゆるものを網羅する。同じ世界で生きる人間だから仕方無いのだろう。

 言わばラブソングは究極の「あるある」なのだと思う。

 そして、太宰治の『人間失格』もこのラブソングによく似た「あるある」なのだと思う。

 恋愛と同じように、人間として生きていくために生じる本質的な題材を扱っているため多くの人の共感を呼ぶのである。

 道徳観念というものに、ひたすら従順に生きれる全うな人間なんで、ごく一部であり、多くの人が自分の駄目な部分に気付いている。そういう人なら『人間失格』を読み必ず共感できる一行があるはずだ。

もしくは、「こういう奴いるよね」という読み方で共感できるかもしれない。いずれにせよ何かしらの感情を持って読みやすい作品なのだと思う。

 僕は典型的な太宰ファンの見本そのものの読み方で激烈に共感したわけだ。そして、少年期以降の部分を予言書として読んだのだけれど、実際にあれは予言書だった。

強い共感を喚起することにおいても天才的な手腕を発揮する太宰治が書いたのだから当たり前かもしれない。幼少期、少年期、青年期と同じ作家が書いているのだから、青年期で急に精度が下がるはずもないのだけれど、「このシーンもかいな、このシーンも自分の人生で出てくるんかいな」と未だに驚かされている。

 長くなったが、このような理由で僕にとって太宰治は特別な作家なのだ。
作品はもちろんのこと、太宰治自身に対する興味も募り、お墓参りや太宰が歩いた土地を暇を見つけて訪れるようにもなった。年に一度、太宰の誕生日に『太宰ナイト』というライヴまで開催するほど心酔するようになった。人生における大概の落とし穴は太宰が予告してくれると信頼している。

 そんな気概で色々と足を運ぶのだが、長らく太宰の生家である青森の斜陽館には行く機会がなかった。

 いつも、時刻表を調べたりするのだけれどまとまった休日も運賃もなかったため行けなかったのである。

 しかし、去年ようやく青森に行くことができた。

番組が僕の休日を用意してくれて、行きたい所に行ってよしという願ったり叶ったりの企画をいただいたのである。

 迷わず斜陽館に行きたいと言い、念願の斜陽館に行くことができた。

 現地の人はテレビなどで太宰を好きと公言する僕をどう思っているだろう?恐らく、「鼻息の荒いにわかファンの癖に」と嫌われていることだろうと思っていた。行きの道中は、その誤解に対する言い訳を十個も二十個も考えていた。

 だが斜陽館に着いてみると、ようやく太宰が生まれた場所に来れたと感動する気持ちと共に、そこで働く従業員の方々が僕を凄く応援してくれているということに感激した。

   皆さんと写真を一緒に撮り、一緒に館内を周り詳しく説明して下さった。

一人の女性がこんな話をしてくれた。

 「最初は、なんか最近テレビで太宰を好きとか言ってる人がいるね……でもどうなんだろう?……という感じだったんです。でも、『親友交歓』を好きだと言ってたよ、とか『ヴィヨンの妻』が好きだと言ってたよ、『御伽草子』だって言ってたよ、とかみんなで情報を持ち寄っている内に、あの人は私達より詳しいね、っていう話になって気が付いたらみんなで応援してたんです」

 嬉しかった。なんか平凡な言い方だけど同志という感じがした。ピッコロが初めてナメック星に降りたった時はこんな感じだったのだろう。

 続けて女性従業員はこのように言った。

 「毎年、太宰の誕生日に又吉さんが東京で開催してる、あれにも行きたいんですよ、ほらっ、マニアックナイト!」

 「マニアックナイト?」

我が耳を疑った。恐らく、『太宰ナイト』のことだろう。この太宰を敬愛する同志は『太宰ナイト』のことを『マニアックナイト』と間違えた。

 揚げ足を取るつもりなど毛頭ないが、普遍的なことを人間の本質を書き続けた作家太宰治のことを、またはそのファン達のことを潜在的に『マニアック』と認識しているのだろう。

 そのような理由が無ければ、かなり難しい間違え方だ。

 「ほらっ、マニアックナイト!」

 この言葉は帰りの道中、僕の脳髄で繰り返し響き続けた。

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