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daiba49さん

毛沢東は「日本の侵略に感謝する」と何回も外交の場で述べていた。61年に黒田寿男、64年に佐々木更三をそれぞれ団長とする日本社会党の訪中団を迎えた毛は事実を素直に語った。「何も謝ることはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。日本の皇軍なしには、私たちが権力を奪取することは不可能だった」と言って、佐々木らを驚かせた。

歴史を教える教師の語り口はぎこちなかった。実際は、アメリカが広島と長崎に原爆を投下するまで日本軍は中国各地で戦闘を続けていた。結局、ソ連・モンゴル人民共和国連合軍が満州や内モンゴルに侵攻するまで日本は降伏しなかった。こうした事実はどう考えても、「共産党のゲリラ戦による勝利」とは直接結び付かない。

毛沢東は「国共合作」で得た国民党の情報を日本
に売り、巨額の情報提供料を得ていた。それどころか、潘漢年という
スパイを通じ、日本軍に停戦を申し入れてもいる。毛沢東の基本戦略は、
日本軍との戦いは蒋介石の国民党軍に任せ、温存していた力を日本軍が
去った後の「国民党潰し」に使い、自分が「皇帝」になることにあった
からだ。いわば、「建国の父」が自ら、人民を売っていたのである。

毛沢東は戦後も一貫して、日本の軍人と協力しようとしていた。
日本の敗戦後に4年間続いた国共内戦は、共産党の勝利に終わる。
中国共産党は49年に中華人民共和国の建国を宣言した。とはいえ、
中華人民共和国が国連に加盟するのは71年なので、それまでは
「国際的に承認された中国」は中華民国(台湾)のままだった。
だから、中国人の意識の中では戦後も「国共内戦」は続いていたのだ。
当時は中共も台湾も「日本軍人の力を使って」相手を潰すことを考え
ており、日本の軍人は中台が奪い合う対象だったのだ。

毛沢東は、日本の支那派遣軍総司令官だった岡村寧次大将を中国に
招きたかったが、戦後に蒋介石と太いパイプを築いた岡村は「白団」
という元日本軍人による軍事顧問団をつくって台湾を支援していたため、
代わりに招聘したのが遠藤中将だった。毛沢東の「日本軍に感謝する」
発言が、他ならぬ元日本軍人に対してなされたのには、そういう背景があった。

ちなみに毛沢東は、日本軍の「侵略」という言い方は、一貫して使っていない。
使っていないが、日本人の側が贖罪意識から、毛沢東の使う「進攻」という
表現を「侵攻」「侵略」と言い換えている例は多々ある。
徹底したリアリストだった毛沢東は、彼に会いに来る日本人がみな左翼で、
誰もが判で押したように「謝罪」ばかり口にすることにうんざりしていたという。
それもそのはずだ。彼が欲しかったのは「左翼の謝罪」ではなく、
「元日本軍人の協力」だったのだから。

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