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軍艦島の人々の「憩い」と「死」を担った隣の「中ノ島」について

長崎にある軍艦島(端島)は、世界遺産となり注目されていますが、その軍艦島にとって大切な存在だった「中ノ島」という島があります。何でも揃っていた軍艦島にはなかった、憩いの場となる自然溢れる公園、そして火葬場と墓地が中ノ島につくられました。

更新日: 2019年08月05日

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CuteMonsterさん

世界遺産となり注目されている「軍艦島」

閉山後、無人のまま数十年が経過した島。廃墟と化した今、観光上陸として人気が爆発している島。

軍艦島には生活に必要なものや娯楽施設が何でも揃っていた

最盛期には東京都区部の9倍の人口密度となる約5300人が狭い島に暮らしていましたが、限られたスペースの中にはなんでも揃っていました。

日本最初の高層アパートに住み、三種の神器と言われたテレビ・冷蔵庫・洗濯機などの電気製品を使う、そんな、時代を先取りした生活が営まれていたのです。

パチンコ屋からお寺まで、社会生活を営むためのものは、何でもあったのです。

学校や病院のほか共同販売所、映画館や料理屋、娯楽場など最先端の技術と都市機能を持つ炭鉱都市として軍艦島は栄えました。

そんな軍艦島には兄弟のような存在の島があります

中ノ島は端島の北北東約700mに浮かぶ無人島。

軍艦島で有名な端島のとなりにある『中ノ島』

軍艦島になり損ねてしまった兄弟島みたいな感じでしょうか。

とてもマニアックな場所ですが軍艦島を語る上ではなくてはならない場所

軍艦島(端島)でその存在があまり前に出てきませんが
とても三菱においても軍艦島(端島)においても大切な島だったのです。

中ノ島も元々は炭鉱の島でした

中ノ島鉱は軍艦島よりも早い明治17年に三菱社が買収し、操業を始めますが、わき水が多く明治26年には操業停止となった、短命の炭鉱でした。

現在でも操業当時の 井坑跡が残存しています。

閉山後は軍艦島を補う存在となりました

中ノ島は軍艦島ではカバーできない部分を補っていたわけです。

死と娯楽
軍艦島の島民のややもすると正反対なことを 担った島

人が生活するうえで必要なものは、すべてあると思われている軍艦島。しかし、わずかに足りない施設があったのだ。
それは、緑溢れる公園、火葬場、墓地である。
それらが存在するのが中ノ島だ。

憩いの場としての中ノ島

広場や滑り台、ブランコ、海水浴場、展望台などがありました。

閉山後も軍艦島からの海洋レジャー島として中ノ島水上公園が整備され軍艦島組に利用されてました。

閉山後は桜が植えられ、花見場などになっていましたが、本格的に島内が整備され緑地公園化されたのは昭和37年(1962)のことです。島内には遊歩道、展望台、遊具などが造られ、当時、超人口過密状態にあった端島島民の憩いの場として利用されました。

そして火葬場や墓地という「死」に関わる施設も

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