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ガンディーは暴力を否定していなかった!?「非暴力・非服従」とは何か?

調べれば調べるほど日本人に非暴力・非服従の思想は無理であることがわかりました。今の日本人に他者のために命を捨てるなんて考えている人は、人の命を守る消防官や警察官、自衛官くらいしかいません。

更新日: 2015年09月18日

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haremasitaさん

戦後70年世論調査で「非暴力で抵抗する」が41%

仮に外国が日本を攻撃してきた際の対応を聞いた設問では「非暴力で抵抗する」が41%で最も多く、「武器を取って戦う」の29%を12ポイント上回った。「逃げる」16%、「降伏する」7%を合わせると、非交戦派は64%に上る。

非暴力で侵略国に勝利した事例が有れば教えて欲しい 【世論調査】仮に外国が日本を攻撃してきたら「非暴力で抵抗する」41%「武器を取って戦う」29%「逃げる」16% 2ch.net itest.2ch.net/test/read.cgi/… #憲法9条 #共同通信社

非暴力って、中国に侵略されたチベットが、人口の4分の1を殺されたことを知らないのか。日本だと4000万人だぞ。 <社説>戦後70年世論調査 民意の重みを政治に生かせ - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース ryukyushimpo.jp/news/storyid-2…

非暴力・非服従といえばガンディーだが・・・

1914年に第一次世界大戦が起こると、イギリスは将来の自治を約束して、植民地統治下のインド人に協力を求めた。ガンディーはこの約束を信じ、インド人へイギリス植民地軍への志願を呼びかける運動を行った。

第一次世界大戦後でははじめイギリスに協力し、戦後の自治承認を期待したが、それは実現せず、かえって民族運動を弾圧する目的でローラット法が制定されると、激しい反英運動に転化させた。

ガンディーも完全に暴力を否定しているわけではない!

わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。

しかし、わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。

そもそも非暴力・非服従とは何か?

アヒンサーは生き物を殺したり害したりすることを禁止するという行動規範で、あらゆる種類の暴力が好ましからざる業果をもたらすという信念に密接に関連付けられる。

ガンディーは、すべての生命が同胞であるとし、他を傷つけない、殺さないはもちろん肉食を禁じすべての殺生に反対しました。

非暴力は、暴力的な手段に訴えずに、愛によって敵を説得するという、ヒンドゥー教の古典『バガヴァッド=ギーター』などから続く伝統的な不殺生(アヒンサー)に基づく思想である。また不服従とは、不当な権力に対して、その命令や法令に従わず、納税を拒否し、公職を辞任するなどの手段を通じて戦うことである。

ガンディーが暴力を完全に否定していないのも「アヒンサー」の教え

ヒンドゥー教の聖典と法典では武装した攻撃者に対して自己防衛する時には暴力を使用することが支持されている。それらでは、犯罪者はアヒンサーの規則によって保護されないことを明白にしている。

聖典や法典で説明されたようなアヒンサーの概念は平和主義を暗に意味するものではなく、戦争は人生の通常の場面であり戦士の普通の勤めと見られている。

日本人には非暴力・非服従は無理!

愛と自己犠牲によって、相手の良心に訴え、相手の鉾先を鈍らせる方法であり、血なまぐさい武器の使用を伴う運動よりはるかに積極的で、有効な武器である。

自らが犠牲になって耐え忍ぶ行為ができるようになるには、死(肉体の)をも恐れない本当の信仰がなくてはできないことです。

『肉体が滅びることで、魂が解き放たれるのであるから、死は決して恐れることではない。ただし、この世に生を受け、手足を授けられた以上、命のある限り手足を最大限に使って奉仕するのが我々の生きる道である。』とガンジーは書いています。

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