1. まとめトップ

北海道函館アリーナライブ2015後のGLAYゆかりの聖地スポットの今

2015年7月25日(土)と26日(日)に函館アリーナこけら落としコンサートGMDN Vol.2があり、多くのファンが帰函してGLAYゆかりの聖地スポットに訪れました。2018年7月に予定されてるGMDN Vol.3を見据えて、過去を踏まえつつGLAYスポットの今現在の姿を未来に向けて綴っていきます

更新日: 2017年12月15日

947 お気に入り 1688138 view
お気に入り追加

○○小学校 ⇒ 鍛神小学校 ⇒ 赤川中学校 ⇒ 大谷高校

▽ 函館市立鍛神(たんしん)小学校

JIRO さんも小学生だった頃は、TERU さんのように草野球に明け暮れていた日々があったそうです


【注意】

キャラメルブックスによると、和山義仁さんは小学校3年生の時に函館市立鍛神小学校へ転校しています

すると、その前はどこの小学校だったのか?判明しましたら記載を改めます

因みに、「隣りの小学校へ転校」と書いてあるので、調べてみると中央小学校か、もしくは東山小学校の可能性がありそうですが、事実はまだ不明です

▽ 函館市立赤川(あかがわ)中学校

神山町のご実家から徒歩15分ほどの距離にありました。JIRO さんは赤中に入学した当初、まだロックに目覚める前はお姉さんのススメでバスケット部に入っていました。

「中学に入って放課後とかに何もしないでいるのは無駄だから、男なら何かスポーツをするべきでしょ」みたいな感じでお姉さんから当時、和山義仁さんは言われたそうです。

当時の担任の先生によると、JIRO さんは何にでも好奇心旺盛で落ち着きがなく、そして無邪気でカワイイ生徒だったとのことです。


▽ 公式サイトTEL 0138-46-0486

▽ 公式サイト住所 ↓

▽ 私立函館大谷(おおたに)高等学校

JIRO さんがギターを背負って通っていた高校で、高校入学後は2年生の時から「セラヴィ」というバンドにいましたが、高3の頃に「ピエロ」のベースのオダジさんが脱退して、

JIRO さんは誘われてギターからベースに転向して「ピエロ」に入り、バンドマンとして「JIRO」と名乗り始めています。

JIRO さんの神山町のご実家から自転車で15分ほどの距離にあります。

『高校では思いっきりバンド活動をしたい。それには自由な校風のところがイイ。自由でバンド好きな連中が集まってくるような学校が良いと思う』との考えがあって、この高校にしました。

実際、入学後は学校に来ると音楽の話ばかりをしていて、部活などの課外活動はしないで、放課後はすぐに帰ってバンド仲間とギターの練習に明け暮れていた生活でした。

当時の担任の先生によると、和山義仁さんは礼儀正しくて恥ずかしがり屋で、あと目標を決めた時の集中力がすごい生徒だったそうです。

因みに、JIRO さんの本名は「和山義仁(わやまよしひと)」で、何故「JIRO」と名乗ったのか?その理由は特に明確なモノはなくて、当時のノリで決めた… みたいな感じでしたw

因みに、和山義仁さんが2年生で セラヴィ に加入した頃、3年生だった5人編成の GLAY は函館のインディーズシーンで既に絶大な人気を誇っていました。

函館にいた高校生のバンドの憧れの的が GLAY という感じで、JIRO さん以外の セラヴィ のメンバーは全員、GLAY のファンだったそうです。

和山義仁さんは対バンライブをして初めてグレイの存在を知った流れでした。

JIRO さんのお父さんは左官(さかん)業をされていて、高校を卒業する時に、できれば函館に残って長男として後継ぎになってほしいとの希望がご両親にはありました。

しかし、和山義仁さんは『ピエロのメンバーで上京して、バンド活動でミュージシャンとして絶対に有名になってみせる!!』と言っていて、自身の意思を貫きました。

因みに、JIRO さんにはお姉さん1人と、妹さん2人がいます。

和山義仁さんは高3の春にピエロにベースとして加入して、最初の活動はサウンドパパでの「はいからコンサート」に出るためのオーディションで、

その時に当時のリーダーだったツカサさんからバンドでの名前を聞かれて何故か?「ジロウ」とノリで答えたことから JIRO と呼ばれるようになりました。


JIRO さんが大谷高校で3年生だった時に YUKI さん(元 JUDY AND MARY)が函館大谷短期大学に在学していて、音楽仲間として知り合ったエピソードはあまりにも有名ですね。

当時、校舎の窓から YUKI さんは JIRO さんを見かけて、「カワイイー!!」などと声をかけていたとか。(でも、短大時代に YUKI さんには遠距離の彼氏さんがいたそうですが...w)


それから、大谷高校の学食にはなんとラッピが入っていて、お昼の時間帯に40分くらいだけ「ラッキーピエロ 大谷高校内食堂」として営業しています。

実は、この学食がラキピの(最後に開店した)17番目の店舗なんです。

JIRO さんの母校の学食にラッキーピエロが参入した理由は下記 ↓ の記事で明かされています。

因みに、TAKURO さんと YUKI さんは中学の頃から仲が良かったですが、14~15歳の頃に久保琢郎さんの親友が磯谷有希さんに告って2秒で玉砕した(拒否られた)というエピソードが残っていますw


磯谷有希さんが函館時代に付き合ったのは橘君と、年上の男性の2人で、実はけっこう真面目な感じの女の子でした。

▼ TAKURO(久保琢郎)さんの母校シリーズ

鍛神小学校 ⇒ 桔梗小学校(途中で転入している) ⇒ 桔梗中学校 ⇒ 稜北高校

▽ 函館市立桔梗(ききょう)小学校

小学校6年生の夏に TAKURO さんが転入してきて、そこで TERU さんと知り合ったとされています。

鍛神小学校から桔梗小学校までは北に5kmほど離れていて、ご実家から桔梗小学校までは徒歩12~13分ほどの距離でした。

当時の TERU さんは野球少年だった時代で、4年生の時にはレギュラーとなり、さらに6年生の時にはキャプテンをしていました。

元々、明るくて人なつっこくて頑張り屋で、運動神経も良さそうですからね。キャプテンをしていたというのは自然な感じがしますね。

▽ 函館市立桔梗中学校

TERU さんと TAKURO さんが通っていた中学で、久保琢郎さんのご実家から徒歩15分ほどの距離にあり、1987年3月に卒業しています。

この頃、TAKURO さんは雑誌を見ていてビートルズの存在を知り、音を聴いてみて衝撃を受けて音楽に目覚めて、

ビートルズやジョン・レノンのファンになっていったとされています。今でも TAKURO さんはジョン・レノンを偲んで

度々、ニューヨークへ訪れていて、GLAY の音楽的なルーツは、実はビートルズだったと言える面があります。

▽ 北海道函館稜北(りょうほく)高等学校(道立)

TAKURO さんと TERU さんが高校2年生になろうとしていた春、1988年3月に GLAY が誕生しています。

当時、TAKURO さんは「GUEST-APO(ゲシュタポ)」という前のバンドが結成して1年足らずで解散していて、TERU さんはドラムをしていたバンドが解散していて、

HISASHI さんは高1から「蟻」というバンドを組んでいて、解散後に翌年、TAKURO さんから GLAY へ誘われています。

GLAY を結成した当時はリーダーの小学校からの友人で、TERU さんの幼なじみでもあったヒトシさんがベース、小橋照彦さん(テッコ)がドラム、久保琢郎さん(タクロー)がギターという3人編成でした。

その約1年後に外村尚さん(トノ)が加入しています。因みに JIRO さんはこの時、「セラヴィ」というバンドでギターでした。和山義仁さん(ジロウ)がベースに転向して「ピエロ」に入る前の時期です。

この頃(高2の時)、TERU さんのお姉さんの結婚式で披露した「ずっと2人で...(原曲バージョン)」が生まれています。

TAKURO さんがカフェ・ペルラの窓際の指定席(?)でホットレモンティーを飲みながら作詞したとされている名曲です。

参考までに、シングルバージョンの「ずっと2人で...」の歌詞も UP しておきますね。

1 2 ... 14 15 16 17 18 ... 31 32