1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

daiba49さん

日本は戦争に負けた。それは事実である。だが、指導者たちにとっては「どうやって戦争を終わらせるのか」こそが重大問題だったのだ。

 1931年の満州事変(日中戦争)が太平洋戦争に至る15年戦争の始まりである。陸軍の青年将校たちは「それ行け、どんどん」で満州に攻め入った。だが、いったん火がついてしまうと、軍部も政治家たちも自分たちで始末を付けられなくなった。

 結局、どうにもならなくなって、立憲君主制の下では、本来なら内閣の結論を追認する役割にすぎない天皇が「聖断」を下すことで戦争を終結させた。戦争の終わらせ方こそが最大の難問になってしまったのだ。

 この無責任体制は、実はいまも残っている。政治家と官僚は政策を始めるときこそ意気軒昂だが、それが失敗と分かっても止められず、責任もとらない。

朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑(かんが)み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告く

 朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり

 抑々(そもそも)帝国臣民の康寧(こうねい)を図り万邦共栄の楽を偕(とも)にするは皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々(けんけん)措かさる所曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以(ゆえん)も亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し領土を侵すか如きは固(もと)より朕か志にあらす然るに交戦已(すで)に四歳(しさい)を閲(けみ)し朕か陸海将兵の勇戦朕か百僚有司の励精朕か一億衆庶の奉公各々

1