1. まとめトップ

戦国一の悪人大名とよばれる松永久秀とは

将軍殺し、大仏放火、裏切り、暗殺など悪逆の限りをつくす戦国大名である松永久秀にスポットをあててまとめてみました。

更新日: 2015年08月08日

2 お気に入り 11153 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

sasanamiさん

戦国大名 松永久秀とは

松永 久秀(まつなが ひさひで)は、戦国時代の武将。松永弾正(まつなが だんじょう)の別名でも知られている。
永正7年(1510年)に生まれとされるが、前半生には不明な点が多く確証はない。
1577年10月10日に日本発の爆死を遂げる。
裏切り、暗殺など悪逆の限りをつくすが、連歌や茶道に長けた教養人であり、領国に善政を敷いた名君として、現在でも知られているという一言ではくくれない人物である。

戦国のダークヒーロー

すこぶる評判の悪い人である。
永禄頃から大和に拠点を置いていたため、興福寺多聞院の僧(この時代は英俊)が書いた「多聞院日記」に久秀とその子・久通の名が頻出するが、この「多聞院日記」があまり好意的な書き方をしていないことも、マイナスイメージに拍車をかけている気がする。
もっとも、将軍義輝の謀殺、東大寺大仏殿の焼打ちなど、久秀の「前科」にはすざまじいものがあり、その上一度は恭順した織田信長をも二度も裏切った実績の持ち主だから、信長・秀吉の時代に良い評判など期待するほうが間違っている。
裏切り・謀略・下剋上・・・まさにこれが、松永久秀のイメージだ。

あるとき織田信長は、陪席していた老人を徳川家康に次のように紹介したという。
「この老人が、かの松永弾正(まつながだんじょう)久秀(ひさひで)である。こやつは人の成し得ないことを三つやった。
・将軍を殺害したこと、
・主家の滅ぼしたこと、
・東大寺の大仏を焼き打ちしたことだ
普通の人間なら一つとして遂げられぬ大業ぞ」

この言葉に松永久秀の黒い事績が端的にまとめられています。この3つを成し遂げた悪人は他にいません。

濃いエピソードがたくさん!

荒木村重が「一度疑いを持ったら二度と許さない」と恐れた信長が、久秀に関しては一度目の裏切りを許しているほどだから、久秀は信長が認める数少ない人物だったのかもしれない。

茶道具に火薬を詰めて自爆死

久秀は1577年、信長に信貴山城を攻められ城ごと爆破して果てた。原因は信長に対する二度目の裏切りを咎められたこと。この際、信長からは「平蜘蛛の茶釜を差し出せば赦す」という条件を出されたらしいが、久秀側はこれを拒絶して茶釜にこれでもかと火薬を詰め、天守閣をふっとばして自爆死

日本で最初のクリスマス休戦

永禄9年(1566年)、三好三人衆らと争っていた際に戦況が不利な状況で宣教師からクリスマスの事を耳にした久秀はクリスマスを口実に休戦を提案。相手もそれを受け入れ、日本初のクリスマス休戦が成立したとか。

破天荒な一面に意外な人気も

名茶釜である平蜘蛛茶釜の所持者として有名で茶人としての交流は広く、とても味のある人物でした。情報収集に優れ、状況を冷徹に判断する能力があったそうです。

居城である多聞山城は当時日本を訪れていた宣教師が「書簡に書き残しているほどの美しい城だったという

ほかにも、好きが高じてか閨房術の指南書を書いてみたりという研究好き?な一面も

閨房術(けいぼうじゅつ)は性行為の技のことであり、現在でいうSEXのハウツー本を書いたり

悪役も突き抜ければ人気に!

○破天荒なちょい悪オヤジ・松永久秀

戦国イチのワルで知られているのは松永久秀です。久秀は主君である織田信長に2度も謀反を企てた逞しい人物でした。また、信長が欲しがっていた茶器を献上せず、中に火薬を詰めてもろとも爆死するという、なんとも破天荒な最期を迎えたという逸話もあります(諸説あり)。

成り上がるためなら悪事ですらやってのける、自分の欲求に素直な久秀ですから、付き合ったらきっと毎日が驚きの連続で、スリリングな恋が楽しめるのではないでしょうか。しかし、長くは付き合いたくないタイプなので、ほどほどにして次の人に乗り換えるのが賢明かもしれません。

波乱万丈な人生を大河にして欲しいとの声も

大河で、立花宗茂か松永久秀をやってほしいなぁー。 日本史上、偉業を成し遂げたと思う西郷隆盛は、征韓論で下野して、政府に弓引いてるからできないだろうし。伊藤博文や島津義弘も政治的な問題でできないだろうな( ̄▽ ̄;) 無難なのは、藤堂高虎や細川忠興とかかな~地域振興的に。

松永久秀の大河やるんだよ、あくしろよ。 第一回「久秀、平蜘蛛茶釜と爆死!!」

エヌエッチケーは大河で松永久秀やろ?毎週見るしなんならDVDボックス買うよ?

1